エリアスは、と宣教師は呟く。

「彼は、自分が銃で撃たれたことは覚えていたけれど、雷が自分を選んだことは覚えていなかった。
けれども、何か気づくところがあったんだろう。自分が何か、得体の知れないものに愛されているこ
とに。」

 異教の偉大なる神は、銀髪の青年を選んだ。この地に残る伝説通りに、気に入った人間を選び抜い
たのだ。

「私は、それがどうしようもなく、嫌だった。彼が、誰かのものになるなんて、嫌だった。」

 それが例え、神であっても。
 異教の神でなくとも、自身の神であっても、嫌だった。そう、宣教師は自らの神に背く。

「私がこの地に戻ってきたのは、もう一度、彼に懇願するためだ。異教の地から彼を引き離せば、神
も彼を諦めるかもしれない。そう思って、彼にイギリスに一緒に帰ってほしいと懇願した。それは、
失敗してしまったけれども。」

 あの、告解室で。
 マッドは、告解室で見つけた銀の髪と擦り切れた僧衣の切れ端を思い出す。告解室で、確かに宣教
師と自警団の団長は会っていたのだ。けれどもその密会の内容は、二年前の事件に通じる何かしらで
はなく。
 ただただ、宣教師が異教の神に下った青年に請うためのものだった。
 宣教師は蹲って蒼白の呪術師を見下ろす。呪術師の血は止まらない。放っておけば死んでしまうか
もしれない。二年前、自警団の団長が、そうなりかけたように。

「君は、呪術師だったな?未来を占い、人の不幸を告げる。ならば私は知りたい。あの告解室で、私
はシスターなど気にせず、彼を抱いてしまえば、彼を手に入れられただろうか?」

 宣教師が問う。
 呪術師に、もはや手の届かない未来を占えと、問いかける。

「知るものか。」

 呪術師の声は、彼の苦痛と同じくらいの苦さを以て吐き捨てられた。既に選ばれなかった未来など、
知りえない、と。
 そもそも呪術師が語るのは、不幸な未来ばかりだ。人は不幸に傾きやすいから、未来は不幸ばかり
が語られる。

「俺も、お前に一つだけ、聞きてぇんだが。」

 マッドは宣教師に問いかける。

「状況は、理解しきれねぇが、てめぇの言いたいことは理解した。だが、それでどうして俺らを巻き
込んだ?てめぇは、自警団の団長に、何が起きているのかわかってたんだろう?自警団の団長が、ど
うして姿をくらましたのかも。」

 告解室で、宣教師は自警団の団長を手に入れようとした。その様をシスターに見られてしまったの
なら、シスターの憎しみが何処に向かうかなどわかりきったことだろうに。
 それを防ぐために、自警団の団長は、身を隠した。神の住まう聖域に。そこならば誰にも手が出せ
ない。それは宣教師も気が付いていたはずだ。しかし誰にも手が出せないであろう場所に、何故マッ
ドとサンダウンを向かわせようとしたのか。そうすれば自警団の団長が、取り戻せると思ったのか。
 宣教師は、瞬きを一つして、その間に、すまない、と告げた。

「私は、君を騙したんだ。」
「あん?」

 騙された、という感じはしない。ただ、宣教師は語らなかっただけだが。けれども宣教師は騙した
のだ、と続ける。

「そんなことをしても、エリアスが戻ってきても、エリアスは私から離れていくだけだと分かってい
たけれども、そうしてでもエリアスを異教の神から取り戻したかった。」

 君なら、と瞬きを終えた宣教師の目は、信じられないほどの鬱屈を湛えていた。仄暗い眼差しでマ
ッドを見つめる。

「君なら、エリアスの代わりになるだろうと、思ったんだ。」
「はあ?」

 この宣教師、俺を抱きたいとかぬかすんじゃないだろうな。
 マッドの脳裏に、一瞬、そんなアホな考えがよぎる。
 幸いにして、その考えは宣教師の次の言葉で潰える。尤も、宣教師が次に放った台詞は、わりと斜
め上をいくものだったが。

「君なら、エリアスの代わりに神に選ばれると思ったんだ。」

 異教の神は銀髪の青年を選んだ。それの代わりとなる存在を持ち出せば、神は青年から離れて、身
代りのほうに向かうかもしれない。
 あまりにも浅はかで、勝ち目のない作戦だ。
 けれども、宣教師にはそれしか手が残されていなかった。異教の雷で包まれた神は、その稲妻を以
て銀髪の青年を囲ってしまった。そして青年もまた、宣教師の手を拒んで海という隔てによる開放を
求めなかった。
 だから、宣教師は無理やりの手段に出たのだ。先に述べたように、勝ち目のない作戦に。

「うまくいくと思ってたのか?」

 マッドは呆れたように、こぎれいな宣教師の顔を見る。貴族の匂いを纏わせる宣教師は、何も知ら
ない坊ちゃん然としつつ、実は狡猾な面を持っている。正に、貴族のそれだ。
 彼はすまないと言いながらも、マッドを身代りにすることを戸惑っていないのだ。

「うまくいくかどうかは関係ない。やってみなくては、分からない。ただ、うまくいった後、私はき
っと、永劫にエリアスを失うことになっていただろうな。」

 エリアスは、自分の命の代わりに誰かの命が奪われる事など、嫌いだから。
 勝ち目がないどころか、八方塞がりの作戦だ。うまくいったとしても、結局宣教師が報われる事は
ない。

「サンダウン・キッドを連れてきた。彼なら、君をそのまま奪われるような真似はしないだろうと思
って。」

 不意に出てきた、この場にはいない茶色いおっさんの名前に、マッドは目を瞬かせる。

「彼なら、君のためなら、神も殺せるだろうと、思ったのさ。」
「いやあ、どうだか。」

 言いかけて、マッドは口を閉ざした。別に君のため云々に引っかかったわけではない。宣教師の、
神をも殺せるという言葉への否定が、完全にできない事に気が付いたからだ。
 あの、正鵠無比な銃弾が、神に届かないなんてことがあるだろうか。己の愛馬のように、人の憎し
みが、生まれたその姿を捻じ曲げることがあるのだ。サンダウンの中に、どれほどの闇が蠢いている
かは知らないが、全く以て神に届かぬとは言い切れなかった。