「ああ、それについては、否定しない。」
 
 呪術師の糾弾に、宣教師は微動だにしなかった。むしろ肯定さえした。隣で聞かされているマッド
にとっては、もはや混乱を通り越して諦観の境地であったが。

「私は、彼が、エリアスがどうしても欲しかった。」

 その為に、イギリスからわざわざ海を渡ってこの地にやって来たのだ。それ以外に理由などありは
しない。

「彼の傍にいられるならなんだってした。宣教師になったのは偶々だけれど、アメリカを選んだのは
彼がいたからだ。彼が、司教を捕えようとしていると聞いて、何としてでも彼の役に立ちたかった。」
「まさか、証拠をでっちあげたんじゃないだろうな。」

 マッドの問いかけに、宣教師はそんな事はしないと答える。それは、自警団の団長が、最も軽蔑す
ることだから。
 ただ、彼が仕事をしやすいように随分と手は回した。特に、この街では。

「何せ全体が司教の息がかかった連中だったから。間違いなく、このままでは彼は司教を追い詰める
のに苦労すると思ったんだ。」
「だから?お前は何をしたんだ?」
「司教と同じような事をしただけだよ。」

 司教は金の力によってこの地を治めた。だから、宣教師も同じように、ただし司教を上回る金の力
で、この地の人間を惑わせた。

「別にそう難しい事じゃなかった。元々、この地はそういう、金に眼が眩みやすい人間が大勢いたか
ら。私は、本国に連絡して、醜聞を嫌う教会と、私の実家から金を引き出しただけだ。」

 宣教師の、宣教師らしからぬ振る舞い。酷く狡猾で金の匂いを撒き散らす策は、けれども酷く有用
に働いたのだ。
 事実、呪術師は眼を瞠り、

「お前が……だから、あの時、誰も僕達の味方をしなかったのか!」

 逃げ惑う司教と呪術師に、協力者はいなかったのだ。誰も協力しないように、金の色で包められて
いた。遠くへ逃げ出そうにも駅馬車は閉ざされ、馬も誰も貸そうとしなかった。
 そうやって追い詰められた彼らが何処に向かうのか、それは宣教師は予想していたのだろうか。

「味方がいなくなった君達は、大人しく私達の前にはやって来なかった。代わりに、」

 宣教師は森を見渡す。夜の気配がそこかしこに蹲る、未だ夜明けの遠い森は、深い気配に包まれて
距離を測る事さえ覚束ない。
 マッドは遠くにいるのか近くにいるのか分からないサンダウンの気配を探るが、やはりよく分から
なかった。

「君達はこの森に逃げ込んだ。君の部族が聖地と敬うこの場所に。君は私を神に背いたと言ったけれ
ども、それは君だって同じだ。君は掟に背いてでも司教を守ろうとした。ああ、そうだな。君は、私
と同じだ。」
「この森に逃げ込んだところで、何も変わらねぇだろうに。」

 マッドは呆れたように呟く。
 聖域に逃げ込んでも、聖域で人間が生きる事は難しいだろう。食料も水もままならぬ以上、何処か
で人里に戻らなくてはならない。そこを仕留められてしまえば、結局のところ終わりだろうに。それ
が分からないほどに耄碌してしまっていたのか。
 それとも。

「まさか、この森に棲む精霊とやらに、助けを請うつもりだったか?」

 宣教師の青い眼が、一瞬だけマッドを見た。しかし言葉はなかった。それは呪術師も同じだ。どち
らも何も言わない。
 まるで、

「おい、本気でそう思ってたのか?」

 まるで、マッドの言葉を肯定するかのように、二人とも黙り込んでいる。

「いやいや、無理だろ。そっちの呪術師はともかく司教のおっさんは信じてなかっただろ。そんな、
訳の分からん事。そもそもそういうのを信じてるんだったなら、それこそガキをレイプしたりしねぇ
よ。神も精霊も信じてなかったからこそ、そのおっさんは犯罪者になったんだろ。」
「我等の神を侮辱するな!」

 呪術師が叫ぶ。

「我等の精霊は、我等の為に存在する。何も知らぬ異教徒が知ったふうに騙るな!」
「騙ってねぇよ。俺が言ってんのは司教のおっさんの事だ。あのおっさんは信じてたのか、聖域の精
霊とやらを。」

 信じるほどにこの呪術師を愛していたのだろうか。
 けれども結果、彼は死んでしまった。

「君は、」

 宣教師が青い眼だけをマッドに向けて、問いかける。

「神とか、精霊とかではなく、人には到底説明できない事があるということを、信じるか?」
「あん?」

 その問いかけに、真っ先に思い浮かんだのは己の愛馬だった。人の業を背負いすぎて人の形を取っ
た、憎悪の体現者。そして何故か、サンダウンの事を思い出した。
 ゆっくりと瞬きし、マッドは答える。

「そういう事が、ない、とは言い切れねぇな。」

 説明のつかない不条理に満ちた事が、起こるという事が。
 宣教師は、そう、と頷き、

「二年前、この森に逃げ込んだ彼らを追いかけて、私達は信じがたい事実を目の当たりにした。」

 司教と呪術師は、精霊に助けを求めて森に逃げ込んだ。精霊など欠片も信じていない自警団の団長
は聖域であろうがなんだろうが、とにかく司教を捕えようと森に踏み込んだ。それを追いかけたのは
宣教師と、そして置き去りにされていた司教の娘。

「司教の娘である尼僧は、司教が居なくなる事で自分の生活が崩れていく事を恐れていた。そして、
そういうふうに仕向けた彼を、憎んでいた。」

 呪術師は、何も言わない。

「そして彼らは追い詰められた。巨大な木の前で、エリアスは彼ら二人に投降するように呼びかけて
いた。けれども彼は、」

 宣教師の眼が呪術師を見る。

「エリアスの事などそっちのけで、何か祈りを捧げていたよ。今思えば、あれは精霊を呼び出そうと
していたんだな。精霊を呼び出して、どうしたかったのかは、聞かないけれど。」
「お前達を撃ち殺してほしかったのさ。」

 吐き捨てるような言葉に、宣教師は微かに眉を顰める。

「聞かなかった事にしておくよ。実際にそうはならなかったとはいえ、エリアスに対してそういう感
情を持っているというのを直に聞くと、あまり好い気はしない。」

 そうして、頭を一つ振って、宣教師は呟いた。

「とにかく、私達は彼らを追い詰めていた。けれども私達は気づいていなかった。尼僧が私達を追い
かけている事を。彼女は銃を手に、司教と呪術師を追いかけていた。彼女は、自分を見捨てた父親と
その原因となった彼を撃つ事に何の躊躇いも見せなかった。そして彼女は司教を撃ち抜いた。」

 尼僧が銃を持てないのは、その後遺症だ。彼女は自分の罪から眼を逸らす為に、銃から眼を背けて
いる。

「司教が撃ち抜かれた時、司教を庇おうとして――いや彼女を父親殺しにさせないためだろうか――
エリアスが、彼女と司教の間に立ち塞がった。」

 宣教師は、一度、ぎゅっと眼を閉じる。思い出したくない何かを、振り絞るように、

「銃弾は、エリアスの脇腹と、司教の心臓を貫いた。」

 仰向けに倒れ伏した司教を覆い隠すように、自警団の団長の脇腹から血が吹き上げる。誰の眼に見
ても重傷だった。司教は即死だったけれども、彼はまだ死んでいないにしても、その生死はあまりに
も不確かだった。いや、辺境の地では死神の天秤が激しく傾いていたかもしれない。

「けれども、エリアスは死ななかった。あの時、銃声と一緒に、確かに雷鳴が轟いていたんだ。」
「そうさ。僕は精霊を呼び出す事に成功した。」

 雷を操る、偉大な精霊。
 呪術師は、それを呼び出した。呼び出して、自分達を救って貰う、はずだった。

「なのに、」

 呪術師の言葉が詰まる。
 雷光が降り注いだのは、呪術師ではなく、撃ち落された司教でもなく。

「気が付いた時には、エリアスの傷は塞がっていた。流石に倒れ込んでいたけれども、呼吸も穏やか
だった。」

 残されていたのは呪術師と、司教の死体と、自分の仕出かした事を忘れ去っている尼僧だけだった。
 宣教師は、ただただ自警団の団長を抱きしめていた。

「精霊は、エリアスを選び抜いた。己が救うに値する存在として。」