サンダウンと離れたマッドは、てくてくと踏み固められた砂色の道を歩く。森をその背に従えてい
るとはいえ、荒野の乾いた風は、何処にでも侵食してくるようだ。
 さて、サンダウンには二人揃って動くなど時間の無駄だ、とは言ったものの、マッドに何らかの宛
があったわけではない。むしろ、初めてやって来たこの街には如何なる伝手も存在しない。そもそも
この街における知り合いといえば、依頼主である宣教師と、ついさっき怒気を孕んだ眼差しで殺人を
依頼してきた尼僧の二人だけだ。しかも二人とも知り合いと言い切れる仲でもない。
 どうも、やりにくい依頼である。見ず知らずの土地に分け入る事は少なくないが、どうも、この街
全体の空気が、少しばかりおかしい。
 これは、少し失敗したか、とマッドは内心で呟く。
 宣教師に急き立てられるようにしてこの街にやって来たが、それは早すぎたのかもしれない。せめ
てこの街に関する情報を、別の街で仕入れてきたほうが良かったか。宣教師は教化を進めていないと
言っていたが、それは内側にいる人間が話す内容ではない。外から見てどうなのか、も確認しておく
べきだった。
 宣教師がやたら急き立ててこの街に連れてきたのは、その辺りの確認を防ぐ為だったのだろうか。
そういう事が考えられるほどの頭は持っていなさそうだったが。
 しかし、今更後悔しても遅い。今から町をちょっと離れます、なんて事は出来ないだろう。いや、
サンダウンだけでも動かす事はできないだろうか。
 これは、サンダウンと確認すべき事案だ、マッドはそう頷いて、てくてくと大通りを歩く。
 通りのあちこちに、インディアンと思しき人々が屯している。歩いている者もいれば、当然のよう
に店先に座り込んでいる者や、寝そべっている者もいる。確かに教化はされていなさそうだが、しか
し着ているものはインディアンの伝統衣装ではなく白人と同じものとなっている。
 けれどもその中に一人、未だインディアンの衣装を身に纏った小柄な影がある。それはマッドの姿
を見ると、襤褸を被り込んだ頭を持ち上げ、幼い声を上げる。

「あの教会から出てきたね?」

 壁に凭れ込んだ状態で座り込んでいる姿を見下ろせば、性差のない顔が笑みを刷いてマッドを見上
げていた。

「大方、自警団の団長を探すために呼ばれた人だね。なら、一つだけ忠告をしておくよ。」

 マッドが何者であるかを的確に当てて見せたインディアンは、静かに言葉を紡ぐ。

「あのシスターのいう事を、聞いてはいけないよ。彼女は、嘘を吐いているからね。誰にも彼にも自
分にも。」

 襤褸の下から覗いたのは、真っ黒い眼と日に焼けた黄色い肌だ。声の節々に独特の響きを孕んでい
る。

「あの女の言葉を鵜呑みにするべきじゃねぇってのは分かるが、嘘吐きだってのは?」

 インディアンだろうが、マッドが怖気づいたり態度を変えたりする必要は全くない。マッド・ドッ
グとは相手が誰であろうと変わらない男だ。
 インディアンは、幼い顔に浅い笑みを浮かべた。

「そのままの、意味さ。彼女は、ただただ、この地の神と精霊を、恐れている。」

 尼僧が、異形のものだと吐き捨てた者共。

「そして、消えた自警団団長は、彼女の罪を知る人間の一人だ。彼女は、だから彼をも恐れる。」
「罪ってのは?」
「僕は知っている。けれどもそれは、彼らが語るべきではないと決め、口を閉ざした。誰の為にもな らないと。だから、僕も口を閉ざす。彼は、僕達の恩人だ。」
 難解な、詩のような台詞だ。これはもしかしたら、呪い師ではないのか。けれどもマッドはそれよ
りも別の事に気が付いた。

「………お前、男か。」

 性別を感じさせない、けれども微かに、同じ性の匂いがした。
 マッドの指摘に、彼は、薄く微笑んだままだった。戦士ではない、語部の男。

「彼女についてはこれ以上は語れない。代わりに、僕達の神についてなら語ろう。巨大な、雷を伴う
鳥の事なら。」




 マッドが、男と思しきインディアンの前で、彼が語る伝承を聞いている時、古びた僧衣を引き摺り
ながら、宣教師が帰ってきた。どういうわけだか、両手いっぱいにじゃがいもを抱えている。
 彼はマッドと話をしているインディアンの姿を認めると、軽く一礼した。
 インディアンのほうも、静かに眼を閉じて目礼すると、杖を手繰り寄せて立ち上がった。

「じゃあ、もしも他の話も聞きたくなったら、いつでも来て。」

 杖は、特に足腰を支える為のものではなく、彼ら呪術師がその威厳の為に持っているものらしい。
杖を突かずに立ち去る歩みは、マッドの眼から見ると女のそれに近い。

「彼と、何を話していたんだい?」

 宣教師は、あのインディアンの事を『彼』と呼んだ。では、やはり、あのインディアンは男で間違
いないのだ。
 インディアンが立ち去る姿を見送りながら、マッドは答える。

「別に……このあたりの伝承とやらを聞かされていただけだ。」

 その中には、今からマッドが人捜しの為に立ち入らなくてはならない聖地の話もあったが。すると、
宣教師は、ああ、と頷いた。

「雷を操る大きな鳥の話だね。飢えた人々の為に巨大な牛を運んできたりする、この地の精霊――い
や、神に近いのかな?」
「そういう鳥の話は、別にこの地に限らずにあるんだけどな。」

 サンダーバード。
 アメリカ大陸全土に、その精霊――いや、宣教師の言う通り神と言ったほうが正しい――の名は残
っている。ただ、インディアンの部族によって、その伝説は少しずつ異なる。悉くが、雷を纏う巨大
な鳥である、という点では一致しているが。
 しかし、ここのインディアンの伝承は、マッドが聞いた如何なる伝承とも、また異なっていた。

「気に入った人間を連れ去って、自らを守る盾にする、だって?」

 聖域に、気に入った人間を呼び寄せ、自分の為に戦う戦士とする。ギリシャ神話などでは、わりと
そういった神――気に入った人間に手を出す神というのは、わりと多かったのだが、インディアンの
伝承でそういう話を聞くのは、初めてかもしれない。
 ふと、マッドは宣教師を見る。

「おい、お前まさか、お前が捜している自警団の団長が、伝承の鳥に攫われただなんて思っていない
だろうな。」

 土着信仰を悪魔信仰に結び付けるキリスト教の事だ。事件を土着神に絡みつけて、その土地の宗教
を踏みじにってもおかしくはない。この宣教師がそうでなくとも、自警団の団長を悪魔呼ばわりして
いた尼僧は、それくらい考えているのではないだろうか。

「まさか。」

 マッドの問いかけに、宣教師は目を丸くした。

「そんな事は、絶対に有り得ない。」

 そして、やけに力強く返してきた。伝承を伝承と切り分けるのではなく、そんな事は有り得ない、
と。まるで、伝承は信じながらも、そうではないと、知っているかのような口調だ。
 宣教師の口調に、微かな疑惑が燻ぶる。マッドはもう少し、宣教師の言葉を聞き出そうと、尼僧の
事を絡めて問い続けた。

「あんたはどうか知らねぇけど、そう思ってない奴もいるんじゃないか?あの尼さんとか。嫌ってい
るとは聞いてたけど、もの凄い勢いで、あんたの捜し人を悪魔呼ばわりしていたぜ。」

 まああの尼僧の場合、信仰云々よりも個人的な感情も多大に含まれているっぽいが。
 すると、宣教師は酷く困ったような表情になった。

「彼女と、話をしたのか?」
「ああ。あんたの捜し人は、あの尼さんに随分と嫌われてるな。普通は尼さんってのは、汝の敵を愛
せよとか言う程度には博愛主義だと思ってたんだが。ものの見事に悪意の塊だな。ナイフでも懐に忍
ばせて、隙あらば、ぐさっとやろうってふうだったぜ?そんなのでシスターとかやってられんのか?
っていうか、さっさと破門しちまえよ。」
「いや、その。彼は彼女なんかよりもよっぽど強いし、彼から被害報告は受けていないし。付き纏わ
れてるとは聞かされたけど。」
「被害報告がないって、付き纏われてるって言われたのは被害報告じゃねぇのかよ。」
「か、彼が特に何もしなくても良いって言ったから。」
「破門して、どっか別の街に放り出せよ。あんたも一緒に、あの尼さんと一緒に行けばいい。」

 あの尼僧が自警団の団長に付き纏っている理由は、十中八九、嫉妬によるものだ。マッドに向けて、
殺せ、と依頼してきたのも嫉妬に狂っているからだ。そんな理由の依頼など受ける気にもならないが。
 なので、尼僧関係の案件は、この宣教師が尼僧の手を取って駆け落ちなりなんなりしてしまえば良
いだけの話だ。
 むろん、二人とも聖職者であり、性交渉を伴う愛とやらはできないだろうが。
 それを以てして、宣教師は顔を真っ赤にして反論してくる――とマッドは思っていたのだが。

「嫌だ。」

 宣教師は、顔色一つ変えず、即座にマッドの提案を切り伏せた。
 青い眼が、信じられない程に強い光を湛えている。

「彼女がこの街を離れるべきだ、という君の意見には、頷くところもある。事実、彼も――エリアス
もそう言っていた。だから、おそらくその意見は正しいのだろう。けれども彼女がこの街を離れて行
くところがあるのか、と問われれば、私は頷く事は出来ない。彼女は二年前に、身内を失ってしまっ
たからね。彼女はその原因が、エリアスにあると思って、恨んでいるんだ。」

 見当違いも甚だしいのだがね。
 胸の十字を弄りながら、宣教師は呟く。
 だが、マッドにしてみれば宣教師の言葉は初耳だ。というか、二年前の出来事ってなんだ。
 その疑問に思い出されたのは、先程立ち去ったインディアンが告げた『尼僧の罪』だ。自警団の団
長が知っているというそれは、二年前の出来事に由来しているのではないか。

「おい、二年前に何があった。」

 マッドの直球の質問に、宣教師は微かに表情を歪めた。口にしたくないのだろう。

「言わなきゃ、俺はてめぇの依頼を受けねぇぞ。というか、ただの人捜しの依頼のくせに、お前もこ
の街も、胡散臭いんだ。」

 幾分か強い口調で言ってやると、宣教師は微かに目を伏せて、答えた。

「彼女の父親が死んだ。死因は心臓発作だったけれども、彼女はエリアスが父親を殺したのだと思っ
ている。」
「どうして、そう思うに至ったんだ?」
「彼女の父親の死の際に、エリアスが傍にいたからだ。けれども彼女の疑いは全く以て事実無根だ。
医者の見解も心臓発作で間違いなかったし、そもそも彼女の父親の死の際には、私も傍にいたんだか
ら。」
「なんでだ。」

 マッドは問う。
 え?と宣教師は首を傾げる。

「なんで、お前ら二人は、あの尼さんの父親が死ぬ間際に、その傍にいたんだ。」

 自警団の団長と、神父が、誰かの死の間際に立ち会うという、その状況は、一体。
 思い浮かぶのは、犯罪者の懺悔を聞くという瞬間なのだが。
 けれども、宣教師は口を閉ざした。

「彼らの名誉に関わることだ。私の口からは言えない。ただ、これだけははっきり言っておく。我ら
の中で、エリアスにだけは、決して恥じ入るべきところも後ろめたく思うところも、何もなかった、
と。」

 ならばお前は。
 マッドが問いかける前に、宣教師はマッドの前を通り過ぎ、教会の中へと消え去った。