サンダウンは、珍しい事に顔を洗っていた。
  放浪する身であり、且つ追われている身ともなれば、身繕いに手をかけている暇などないのだが、
 基本的に無精の傾向にあるサンダウンは、自分が賞金首である事を言い訳に、こと己が出で立ちと
 いうものにはまるで興味がない。
  放っておけば、髭も髪も伸び放題で、寝癖がつこうがどうしようがお構いなし。着る物も、そん
 なものに手をかけている余裕などないと言ってしまえばそれまでだが、余裕があろうがなかろうが、
 平気で一週間くらいは着替えずにいる。風呂など、きっと別次元の問題だと思っているに違いなか
 った。
  そんなわけで、長年使い続けたポンチョと帽子とブーツは、サンダウンという中身を取り出して、
 その辺に放ったらかしにしておけば、もはや元の原型は分からずに、おそらくゴミだと判断される
 に違いなかった。
  しかし、当の本人は自分がゴミのように見えようがどうなろうが心底どうでも良いと思っている。
 世を捨てて死に場所を求める男に、他人の目を気にするというスキルは備わっていないのだ。
  にも拘らず、何故顔を洗っているのかというと。
  がばり、と顔を上げて洗面台の前に備え付けられている鏡を見る。
  すると、そこには髭と髪から滴を滴らせた中年の顔が映っていた。
  ただし、髭には白い生クリームが、べったりと付いていた。




  Strawberry Tarte





      全ての原因はサンダウンにある。
  それは、如何に鈍いサンダウンと雖も、気が付いていた。
  事の発端は、サンダウンが生クリームと苺がたっぷりと乗せられたタルトを買ってきた事にあっ
 た。
  むさ苦しいおっさんが、菓子屋に立ち寄って、苺のタルトを買ってくるという光景は、想像する
 だけで些か破壊力のあるものだったが、むさ苦しいくせに意外と甘い物が好きなサンダウンは、最
 近ことあるごとに、菓子屋に寄っては菓子類を購入するようになった。
  別に、何かに目覚めたというわけではない。
  強いて言うならば、サンダウンの首を狙っている恋人である賞金稼ぎ――もはや突っ込みどころ
 が満載な説明だが――マッド・ドッグへの、日頃からの労りを込めて購入しているのだ。
  基本的に、マッドに関しては幾つかの勘が働く男は、マッドがお気に入りの小屋に滞在している
 日というのを、ピンポイントで分かったりする。
  なので、その日に菓子を購入して、マッドが待っている――マッドとしては待っているつもりは
 全くないのだが――小屋にいそいそと行くのだ。
  ただし、マッドは取り立て甘い物が好きと言うわけではないので、菓子を選んで持っていく必要
 はない。そのあたり、サンダウンはどうも自分が食べたい物を選んでいる節がある。実際、マッド
 の為に購入した菓子の半分以上は、サンダウンの腹の中に納まる事になる。
  そしてその日、苺のタルトが食べたい気分だったサンダウン・キッドは、躊躇う事なく言い値で
 ――ケーキに言い値も何もないが――苺タルトをホールで購入し、いつものようにいそいそとマッ
 ドがいる小屋に向かったのである。
  ぱかぱかと小屋に馬を走らせ、小屋に併設してある厩に、マッドの愛馬である目つきの悪い黒馬
 がいる事を確認すると、サンダウンはひくひくと鼻を蠢かせた。そして小屋から漂ってくる匂いに、
 今夜はシチューか、と一人頷いた。
  なお、この時マッドが逃げ出そうかと迷う気配を出していた事については、都合よく丸ごと無視
 する。
  しかし、勿論マッドの気配はしっかりと何処にあるのか察知しているので、そちらにケーキの箱
 を持って、のそのそと歩きはじめる。この時、マッドが本当に嫌そうな気配を発していた事は、む
 ろん無視する。

 「なんだよ……。」

  マッドがいる台所の扉を開くと、シチューの匂いとマッドの低い声が広がってきた。
  その二つに、一人でほっこりしていると、マッドが胡散臭そうな眼をしてきた。サンダウンは特
 におかしな事をしたつもりはないのだが。そんな視線を受けるのは甚だ心外である。
  だが、此処でそんな話をしたら、間違いなくマッドは機嫌を損ねるだろう。付き合いの長いサン
 ダウンはマッドの怒りの琴線が何処にあるのか、良く知っていた。

 「……土産だ。」
 「どうせ菓子だろ。」

  サンダウンがケーキの箱を差し出すと、マッドはそれを一瞥して、一言だけ返した。せっかく買
 ってきたのに素っ気なさすぎる。マッドが欲しい物――酒とか葉巻とか――を買ってこないサンダ
 ウンが悪いのだが。

 「大体、あんたがほとんど食っちまうじゃねぇか。」
 「安心しろ……今日のはお前でも食べられる。」
 「……別に食えねぇとは言ってねえ。何が何でも食いたいと思わねぇだけで。」

  言いながら、マッドはケーキの箱を開けていく。そして、目の前に出てきたタルトを見て溜め息
 を吐いた。

 「また、甘そうなのを買ってきたなあ、あんた。」
 「お前でも、食べられる。」
 「だから、別に食えねぇわけじゃなくて、食いたいと思わないだけだって。大体、自分で、出来る
  限り自分好みに作っても食いたいとまでは思わねぇんだぞ。」

  ぶつぶつと艶やかな赤い実を見下ろして呟いているマッドに、大丈夫だ、とサンダウンは言った。

 「これはお前が作ったものではない。だから、お前の作った物よりも、お前の口にも合うはずだ。」

  その瞬間、マッドの眉間にはっきりと皺が寄った。
  サンダウンとしては、そこまで深い意味があって言ったわけではない。単純に、どうしたってサ
 ンダウンの口に合わせて作ったマッドのケーキよりも、万人向けに作られたケーキのほうが、甘さ
 は控えめになるのではないか、と思っただけだ。
  が、マッドの耳には、明らかに『お前の作ったケーキよりも美味い』というふうに聞こえた。
  結果。
  苺のタルトは宙を飛んで、サンダウンの顔面に着地した。

 「だったら、そのケーキ作った菓子屋の所で居候でもしてろよ、馬鹿!」

  苺のタルトと熱烈な口付けをしてしまい、呼吸困難に陥ったサンダウンの耳に、マッドの怒鳴り
 声が届いた。次いで、バタバタと足早に遠ざかっていく足音が。
  待て、だとか、違う、だとか言いたいが、何せ視界はおろか鼻も口も苺と生クリームで塞がって
 いる。その為、何よりも楽しみにしていた甘いマッドを取り逃がしてしまった。
  そして、顔を洗っているわけである。……まさか、顔を洗わないサンダウンに顔を表せる為にマ
 ッドがケーキをぶつけたとは考えたくない。
  そして落ち着いたら、間違いなく自分の吐いた言葉がまずかったのだと分かる。なんであんな言
 葉を吐いてしまったのかと、自分で自分を殴り飛ばしてやりたい。何も考えていなかったにしても、
 もう少し何とかできただろう。 
  だが、後悔しても遅い。
  マッドは小屋を出ていってしまった。残っているのは、もう少しで出来上がりそうなシチューだ
 けである。
  シチューを置きっぱなしにしているから、もしかしたら戻ってくるかもしれない、とも思うが、
 一方でマッドが非常に頑固になる事も知っているので、戻ってこないかもしれないとも思う。
  今すぐに探しに行くべきなのかもしれなかった。
  だが、肝心の勘のほうは、こんな時にはさっぱり役に立たない。マッドが何処にいるのか、その
 足跡の場所でさえ教えてくれなかった。 


  
 
  
     キッドのアホ、とマッドは腹の底で怒鳴っていた。
  ろくに一人で食事も出来ないくせに、いつもマッドにたかってばかりで何もしないくせに。
  事もあろうことか、買ってきたケーキを突き出して、マッドの作った物よりも口に合うはず、と
 は一体どういう了見なのか。マッドの作る食事よりも好みのものを作る見せなり人間なりを見つけ
 られたのなら、さっさとそっちに行けば良いのである。
  もともとサンダウンとマッドは、賞金首と賞金稼ぎだ。偶々一緒にいて食事をしたり酒盛りをし
 たりしているけれども、それと同じくらい、いつ離れていつ殺し合いを始めてもおかしくない関係
 なのだ。
    食の切れ目が縁の切れ目だというならば、そうすれば良い。
  でも、ケーキを顔面にぶつけたのは大人げなかったかな、と思う。しかしすぐに考え直す。大体、
 賞金稼ぎに食事をたかりに来るのが悪いのだ。そしてそれをケーキ一つで帳消し出来るという考え
 も浅はかだ。

  大体なんでケーキなんだよ、どう考えたって自分が食いたいもんだろうが。

     サンダウンはいつだってそうだ。マッドの事など、少しも考えないのだ。別に、考える必要など
 ないのだけれど。しかし、好き勝手にやってきて好き放題するのなら、もう少し考えても良いので
 はないかと思ってしまう。
    勝手にマッドの作った食事を食い漁っていくのなら。
  そこまで考えて、そういえばシチューを放ったらかしたまんまだった事を思い出した。
  だが、とてもではないが戻る気にはなれない。どうせ放っておいても問題ないだろう。きっと、
 サンダウンが勝手に食べてしまっている。
  変なところで心配する必要がない。だがそもそもサンダウンがいなかったら、こんな事にはなっ
 ていなかったのだ。せっかくブイヨンから作ったシチューが、サンダウン一人の腹に収まってしま
 うのかと思うと、心配は鳴りを潜めて、悔しさが湧き上がってきた。
  だからといって、戻る気にはならないのだが。
  シチューでも喉に詰まらせて死んでしまえ、と、普段の撃ち取る事を夢見ている行動とは裏腹の
 事を、マッドはしかし本気で思った。
  
  一応その時、シチューではないが、生クリームで口を塞がれてサンダウンは死にそうになってい
 たわけだが。