マッドは、上半身をベッドに投げ出して、ベッドのすぐ横にある窓を見る。重苦しいカーテンが降
ろされた窓は、分厚すぎて、窓の外がどんな顔をしているのか分からない。
 たぶん、夜なのだろうと思うが、光を通さないカーテンは、外が星明りなのか月明かりなのか、そ
れとも闇夜であるのかさえ、教えようとしなかった。
 一方で、光を通さないが故に暗くなった室内は、ランプの炎だけが揺れており、ふらふらとマッド
やらサイドテーブルやらの陰を壁に押し付けている。
 そういった複雑な陰影は、壁だけではなくマッドの身体の上にも落ちかかる。
 いや、むしろマッドのしなやかな身体自体が、艶めかしい影を作り上げていると言うべきか。
 服を剥ぎ取ったマッドは、上半身をシーツに埋もれさせて、その額から腹筋までに、ランプの梔子
色の光を受け止めていた。色合いは酷く温かだが、しかし実際は温もりなどほとんど感じない光に、
しかしマッドは鳥肌一つ立てずに天井を見る。天井にもまた、揺れ動く陰影が張り付いていた。




Dazzling





 身体をシーツに投げ出したマッドは、正に一糸纏わぬ姿である。
 黒の真新しいジャケットも、ジャケットに揃えたズボンも、派手な色のシャツも全部脱ぎ捨ててい
る。ベッドの淵から床に降ろした脚が、じゃらりとベルトに引っかかって音を立てた。
 マッドが息を吐けば、しなやかな筋肉に覆われた胸から腹が震える。身動きすれば、床に突き立て
た脚の内側がさざめく。そしてその度に、ランプに照らされて出来た己が影が蠢く。
 マッドはその様を、天井に顔を向けたまま、じっくりと見ていた。
 端正な若い顔は、しかし年齢不相応に修羅場を潜り抜けてきた所為か、身体を余すところなく曝け
出しても、些かの羞恥も見せなかった。白い顔には朱はなく、黒い眼には光あれど伏せられはしない。
 いっそこのまま、悠々と葉巻でも取り出して一服しそうなくらい、面倒臭げなマッドは、やはり面
倒くさそうな声を上げた。

「で、てめぇは何がしたいんだ。」

 酷く、音楽的な響きを湛えた声で、マッドは暗がりに問うた。
 ランプの光は煌々としているが、如何せん小さすぎて、とてもではないが部屋の隅々までは照らす
事は出来ない。部屋のあちこちには、光を厭うように、未だ闇を纏っている場所が多々ある。特に、
床の角や、少し何かの物陰になっているところは、そうである。
 そしてマッドの脚元もまた、深い暗闇が落ちていた。
 閨で聞くには、すこしばかり芸術的すぎる声を上げた賞金稼ぎに、足元に蟠る暗闇が、もぞ、と動
く。
 ランプの光に揺れる陰影ではない。
 まるで獣が蠢くように、もぞりと動いたのだ。
 マッドの脚の間で蠢く暗闇は、一見すると卑猥であったが、マッドが微塵も動じていないところを
見ると、まるで人畜無害のようにも思えてくる。
 マッドの黒い視線が、ゆるりと天井から落とされて、己の脚の間で息づいている闇に映る。
 すると、見る間に暗闇は伸び上がり、するするとマッドの太腿を這い上がったかと思うと、今や腹
筋はおろか胸筋までも渡り切り、いつの間にやらマッドの顔の位置までやってきて身体全体を覆い尽
くすほどの大きさになっていた。
 シーツに上半身を投げ出しているマッドはと言えば、暗闇が伸びあがる様を、黒い眼で追いかける
だけで、特に恐怖や何かを感じる眼差しを向けたりはしない。ひたすらに、夜の闇よりも静かな色を
湛えた瞳で眺めるだけだった。
 闇が身体を覆い尽くしたところで、マッドは再び天井を見上げた。正確には、覆い尽くしている闇
を見上げたのである。
 闇の中で、ぱたぱたと青い光が二つ、無音で瞬いた。

「てめぇは、何がしたいんだ。」

 マッドが、もう一度同じ事を聞く。彼にしては非常に珍しい事に、辛抱強く同じ事を繰り返したの
だ。
 本来が癇癪玉とも火の玉気質とも言われるマッドは、往々にして実はそれほど短気ではないのだが、
しかし苛烈な性質の人間特有の、目も眩むような疾走感を持っている。同じ事を何度も繰り返すよう
な愚かな真似はしないのだが、しかし覆いかぶさる奇妙な獣を前に、マッドは愚かにも同じ事を繰り
返して言っているのだ。
 反応は、ない。
 途端、マッドは渾身の舌打ちをした。
 それは別段、服を剥ぎ取られてシーツに埋もれている今の自分の状況に苛立ったわけではない。広
義の意味ではそれもあるかもしれないが、少なくともそれが第一の理由ではない。舌打ちの一番の理
由は、目の前の闇が、明らかにこちらの言葉を理解しているくせに、何ら反応しない事であった。
 いっそ獣であったなら良かった。それならば暴力なりなんなりの物理的力で、いう事を聞かせられ
るだろう。或いは本当に暗闇であったなら良かった。それならば、マッドとて話しかけたりはしなか
っただろう。闇に話しかけて返事を待つなんて、そんな無意味な事はマッドはしない。
 しかし残念ながら、現在マッドに覆いかぶさるのは、力に従う無垢な獣でも、何も聞かぬ空虚な闇
でもなかった。
 ぱたぱたと瞬きをする二つの青い光が、ただの眼である事をマッドは知っている。返される無音が
ただの無口である事を知っている。

  「おい、てめぇいい加減にしろ。素っ裸の男の股間に蹲って何が楽しいんだ。百歩譲って、てめぇが
 そういう趣味だったとしても、俺がそれに付き合う義理はねぇぞ。」

 黒い眼に落ちたランプの梔子色を、一瞬で凶暴な光に反射させて、マッドは牙を剥く。
 男に押し倒される事など、マッドにとっては歯牙に掛けるほどの事でもない。もしもこのまま股間
に手でも這わせようものなら、即座にマッドの脚で相手の股間を勢いよく撫で上げてやるだけだ。マ
ッドの身体は、悉くが武器だった。
 しかし、うぞうぞと動く暗闇は、眼をぱたぱたと瞬かせるだけで、一向にそれらしい動きをしない。
マッドに覆いかぶさったものの、その状態でやはり蠢くだけだ。
 いっそ、このまま全身を舐めあげられる勢いで抱き付かれた方が、反応には困らない。うぞうぞと
蠢く暗闇は、むしろ気持ち悪い。

「てめぇはあれか、俺の足元でうろうろしてんのが良いってのか。」

 うぞうぞしていた暗闇が、ぴくりと反応する。そして伸びあがっていたのが徐々に縮んでいく。最
終的には、一番最初の、脚の間で蟠っていた時と同じ状態に戻った。それはそれでどうかと思うのだ
が。まさか本当に、その状態が良いのか。

「おい、てめぇ本気で男の脚の間が好きだとか言うんじゃねぇだろうな。」

 言外に、変態、と言ってやった。
 すると、膝のあたりにいた気配が、更に縮み始める。まさかとは思うが、本当に物理的に縮んでい
るのではないか。マッドがそう思って、ようやくシーツに上半身を投げ出すのを止め、腹筋だけで起
き上がろうとする。
 ちょうどその時、縮んでいた気配が、ぴくりと止まった。夜の空気を同じくらい微かな呼気が、よ
うやくマッドにも感じられるくらい近くににじり寄っている。それは、マッドの脚の爪先だった。
 胸やら太腿やら股間なら、そこに性的な意味合いを見出して、マッドは即座に応戦したことだろう
が、マッドの一番下の下、脚の爪先に感じる呼気は、なんらかの疚しさを感じる事は出来ない。そも
そも足先というのは、相手に屈服を強いる時に一番真っ先に向ける場所だ。
 マッドの脚の爪先に、空気を震わす事が出来るかどうかも怪しい吐息を零している暗闇が、どんな
顔をしているのかマッドには分からなかった。上半身を持ち上げて、縮んだその姿を見ても分からな
い。跪いて、顔を俯けているからだ。
 完全に、服従の姿勢だ。
 そして、緩やかに時間をかけて、親指と人差し指の間に、温いものが当たり離れていく。
 唇であると理解したのはいつだったか。当てられる前に、既に唇がそこに沿うものであると理解し

「なんの真似だ、そりゃ。」

 けれども、マッドは動じない。
 硬質なブーツの上から、幾度となく唇を受けた事があるからだ。男が、女が。仕事を依頼する為に、
或いはマッドの気を惹く為に。本心からマッドに服従するつもりであった場合も、あるのかもしれな
い。
 だが、それらはマッドにとって目障りでしかない。
 服従するのは勝手だが、それをこれみよがしに示すのは、媚びである。そして同時にマッドからの
寵愛を強要しているのである。
 媚びるのは結構だ。しかしマッドは何かを強要される事は好まない。例え服従させてほしいという
言い分であっても、マッドの意に添わねばそこまでだ。いらぬ服従など、目障りだ。沈んでしまえ。
 そして眼の前でなされた口付けも、場合によっては目障りである。
 もしもこれが、別の男や女であったなら、マッドは興を削がれて即座に蹴り飛ばしていたことだろ
う。
 かといって、目の前の暗闇が青い光を二つ灯しているから、だから蹴り飛ばさないというわけでも
ない。単に、削がれるほどの興も湧き出ていないからである。あとは、いつもは逃げ惑うだけの闇が、
妙に積極的に自分に絡むからか。

「てめぇのそれは、なんだと聞いてるんだ。聞こえなかったか。俺に屈服するって言うつもりか。な
 ら、さっさとその首を差し出せよ。それとも俺を素っ裸にして、屈服させたいのか。だったら早く
 腰についてるもんを抜けよ。」

 基本的に一発抜いたら終わりのてめぇに、そんな根性も甲斐性もねぇだろうけどなあ。  揶揄するように言ってやったが、反応はない。それが苛立つと言うのに。代わりに、もう一度、足 先に口づけられた。
「おい、いい加減に。」
「欲しい、と言ったらくれるか。」

 唐突に、闇が朴訥とした口調で話した。掠れ気味の声は、長らく喋っていなかったからだろう。
 マッドは、吐かれた言葉に顔を顰めた。

「奪えば良いだろうが。」
「奪うつもりはない。」
「奪う気がねぇってか。」
「奪う奪わないの事象ではない。」
「剥いといて、今更その言い様か。」

 足先に、もう一度唇が落ちてきた。かさついた、しかし弾力がある。指を擽ったのは髭か髪か。
 剥かれた後に了承を請われた俺はどうすりゃいいんだ。 
 マッドは鼻を鳴らす。
 どうしたら良いのか分からなかった。
 暗闇がぼそぼそと答える。

「どうしたら分からねぇくせに、てめぇは人を剥くのか、なあ。」
「お前が。」

 呆れたように言えば、ぬるりと暗闇が再び胸のあたりまで這い上がってきて、見下ろす。闇の中で
青い眼がきらりと硝子のように光った。

「お前が眩しいから。」

 だから、剥いだら、もっと眩しくなるかと思っただけだ。
 間近で見たサンダウンの顔は、いつもよりも険しく、真顔だった。

「くだらねぇ。」

 黒い服に身を包んでいた賞金稼ぎは、白い肌を見せて首を竦めた。