逢った事もない相手に恋をするという事は有り得るのだろうか。
 
 

 例えば一目惚れというものがある。あれは出会った瞬間に恋に落ちる事を言うのだろう。それは確かに『これまで』逢っ
 
 た事もない相手に恋をするのだから、そう言ってしまえば有り得ると言えるのだろう。
 
 しかし、やはり、現実に出会ったというのは大きいと思うのだ。実際に見た瞬間、人間の脳は一瞬で多くの情報を得ると
 
 いう。それは視覚だけでなく、気配のさざめきや肌の匂いさえも気付かぬうちに得ているからだ。
 
 

 では、雑誌やテレビで微笑むアイドルへの慕情はどうだろう。彼らには、ライブなどでしか出会う事はできない。ライブ
 
 に行かない者は写真や映像で彼・彼女に満足する。それもある意味、逢った事もない相手に恋をしている状態なのだろう
 
 が、しかし相手のある一定の情報は得られている。
 
 
 
 そうではなく、実際に逢った事もなく、知識も情報もない相手――例えば夢でしか逢った事がない存在に、特別な感情を
 
 向ける事など、あるのだろうか?





 Sweet Dream







 
 妙にくすんだ色の世界。

 冷たい雪の降りしきる悲しい世界。

 人のいない世界に呼ばれた七人の英雄の一人、男アキラは、ただ今切ない悩みに胸を痛めていた。



 アキラは健全な少年である。
 
 

 父親を殺されているという不遇な目にあっていても、そのショックで超能力が使えるようになっていても、通りすがりの
 
 タイ焼き屋さんの跡を継いでいても、すれてはいても、中身はまだまだ少年である。女性の下着を見て喜ぶような、少年
 
 らしい少年時代の真っ只中にいる。その下着を頭に被るあたりは、些か変態と言われても仕方ない部分もあるが、それで
 
 も健全ではある。

 
 
 そんな健全な青少年である彼が、特定の相手を思って切ない溜め息を吐くのは、別段おかしい事ではない。むしろ、真っ
 
 当でさえある。しかし、アキラにとっては些かその相手が困った相手なのである。

 

 この世界に来てから、アキラは自分以外にこの世界に呼び出された人間に出会い、彼らと行動を共にしている。その中に、
 
 紅一点、中華美人――それこそ下着を盗ってこい!とワタナベに命令したくなるような――少女がいる。生物の中には雌
 
 の数が極端に少なく、それ故雄同士の争いが激しいという種族もあるが、確かに少女――レイに対する若者達の目線はそ
 
 れに等しい。実際、アキラもレイに如何わしい視線を向けずにはいられない。が、アキラの心中を掻き乱すのは、残念な
 
 事に、誠に残念な事にレイではないのである。

 

 世界で唯一――と言っても中世の世界だけの話であるが――の女性であるレイ以外の相手というと、男か、という話にな
 
 ってしまう。では残る四人――キューブは除く――の誰だと言われると、その中にもいないと言うのが答えである。



 現実にいる相手ではないのだ。

 彼――そう男だ――は。
 
 

 もしや幽霊かと言われると、アキラにもそれが分からない。アキラが彼を見るのは、夢の中だけなのだ。



 出会った記憶もない、ただただ夢の中だけで現れる男。

 この世界に来てから夜な夜な現れる彼に、最初はこの妖しい世界で飛び交う悲しい声の一つかと思った。必死に何かを訴
 
 える死者の一つなのかと。

 しかし、恨み言を呪詛のように吐き捨てる死者達とは違い、穏やかな光をその眼に灯す表情は、地を這うような魂とは全
 
 く異なる。そもそも、薄暗い迷宮で喉が潰れたかのような声を繰り返す彼らとは違い、彼が背負う世界は目も覚めるよう
 
 な鮮やかさなのだ。



 星が降るような夜空。

 燃えるような赤い朝焼け。

 突き抜けるような強い色の空。

 それら全てを混ぜ合わせたような混沌とした、けれど甘い黒髪と、深い夜空色の瞳。

 すんなりとした身体が、うっとりとするような所作で、繊細な長い指を備えた手を差し伸べる。

 

 幾度も夢に出て、幾度もその形の良い唇に笑みを挿して、微笑まれて。



 すれて不良のように言われがちなアキラだが、実は未だに『お付き合い』というものを経験した事がないウブな少年であ
 
 る。おそろしく洗練された仕草と、悩ましいほどに色っぽい笑みを夜毎浮かべられ、ころりと参ってしまった。相手が男
 
 だ何だという事なんぞ、遥か彼方にすっ飛ぶほどに。



 しかしそこは常識人の――例え頭にパンツを被っても――アキラである。切ない溜め息は、同時に悩みの溜め息でもある。

 出会った事もない、夢でしか出てこない、しかも男に惚れたなど、誰に相談出来ようか。いやそもそも、果たしてこれが
 
 恋だと言い切れる自信がない。



 大体、何故こんな夢を毎回見るのかが分からないのだ。毎回毎回、逢った事もない男が夢に出てくるのだ。考えても分か
 
 らない。そうこうしているうちに、もしやこれは恋?とかいう答えに行きつくしかなかった。もう少し考えたらどうだと
 
 いう突っ込みがありそうだが。

 

 まあ相手が、言っちゃなんだが、不細工だったらもう少し考える余地があったのかもしれない。しかしアキラにとっては
 
 不幸な事に、彼は色っぽいのだ。妙に色気があるのだ。小童であるアキラには到底真似できないような、色気が。

 そんな相手が、鮮やかな世界を背負って、うっとりとした笑みを湛えて手を差し伸べるのだ。小童のアキラが思い悩まな
 
 いはずがない。


 
 ―――俺はどうしちまったんだろう。



 至極真っ当な悩みを抱えて、アキラは再び溜め息を吐いた。当初はなんとかして彼が何者なのかを見極める為、その身体
 
 の隅々まで見ていたのが、此処最近は別の意味で眺めまわしているような気がする。頤から喉仏に向かう首筋の影だとか、
 
 肩から繊細な指先までの線だとか、切り詰めたような細い腰だとか。どうやったらそんなふうに動かせるんだと思うくら
 
 い、髪の毛一筋まで洗練された仕草だとか。

 
    
 ―――せめて何か喋ってくれりゃあな。


 
 鮮やかすぎる世界で、彼は一言も喋らない。薄く笑みを浮かべるだけで、何一つとしてその笑みの端から零さないのだ。

 それが、いっそう彼の属性を曖昧にしている。そしてその世界では、アキラも一言も話せないのだ。まるで、言葉が不要
 
 であるかのように。

 これは恋に言葉は不要ってことか?!とアキラが無駄に、無意味に息巻くくらいに――実際に息巻くほどアキラは馬鹿で

 はないが。
 
 
 
 せめて超能力が使えれば良かった。けれど夢の中の人間には超能力は使えない。現実の人間が持つ、どろりとした感情の

 さざめき合いなど、彼は一つとして放たない。どこまでも澄みきって、アキラには触れる箇所がない。
 
 その不可思議さが、更にアキラの心を捕えるのだ。尤も、それは世界七大ミステリーに人々が見せられるのと同じ理由で
 
 あって、恋愛感情とは若干異なる気がするのだが。
 
 しかし経験浅いアキラに、それを親身になって指摘してくれる保護者は何処にもいなかった。 
  
  
  
  
  




 ある夜、アキラは自分の悲鳴で目を覚ました。

 原因は、いつもの夢だった。

 しかし、内容はいつもと若干――いや、思いっきり違っていた。


 
 男の黒髪が、いつもよりもしっとりとしている。口元に浮かべる笑みは酷く挑発的で、こちらを煽っている。細い指が器
 
 用に、しかし見せつけるように首に絡んでいるタイを解いていく。するりとジャケットがその腕から落ち、シャツのボタ
 
 ンに手を掛けたところで、彼は一度動きを止めてゆっくりとアキラを眺める。

 その眼には微かな潤みと、戸惑いが含まれていた。それが、煽情的な行動と笑みと対照的で、むしろそのアンバランスさ
 
 が余計にこの先の行為を示す。焦らすように戸惑うように下肢を覆うものが脱ぎ棄てられていく。彼は一度、震えるよう
 
 な吐息を零すと、そっとアキラの前に身を沈めた。アキラが見たのは、すっと一直線に伸びた背骨の浮きと、肩甲骨の作
 
 り上げた浅い影。そしてその背後に見える悩ましい曲線美だ。
 
 



 ―――ひいぃぃいいいいいいっ!





 アキラは声にならない声を上げた。
 
 夢の中で叫んだはずの声は、現実世界にも零れていたようだ。

 忍びとして闇に生きるおぼろ丸が真っ先に目を覚まし、すわ敵襲かと言わんばかりの殺気を放った。次いで、眠りの浅い
 
 サンダウンが身を起こし、キューブがスリープ・モードから一気に起動状態に入り、レイががばりと跳ね起き。

 後はてんやわんやだった。

 すったもんだの末、アキラの寝言だったという話に落ち着いた時は、全員が呆れた様な眼差しを浮かべていた。しょんぼ
 
 りと肩を落とすアキラに、最後まで目を覚まさなかったポゴと日勝が馬鹿笑いをした時は、流石にアキラも米神に青筋を
 
 立てたが。



 しかしそれ以上に色々とショックだった。自分はもしかして本気で切羽詰まっているのではないだろうかと思った。
 
 

 いや、だって。

 まさかあんな、生々しい夢。
 
 

 ぽっと顔を赤く染めるアキラを、レイが不気味なものを見たかのような目つきで眺めている事にも気付かない。
 
 
 
 そんなに、彼に恋焦がれているのだろうか。

 あんなふうに、あんな事やこんな事をさせるくらいに。

  

 ―――いや、でも、逢った事がない、夢の中の人間だぜ?

  

 いくらなんでも、ここまで欲情するだろうか。

 そう考えて、はっとした。

 まさか、こちらが夢で、実は彼のいる夢の中が現実ではなかろうか、と。

 

 そんな突飛というかファンタジックな事を考え、再び彼の痴態を思い出して赤面し悶絶するという事を繰り返しているア
 
 キラは、実は目が覚めるその直前、その彼が聞こえるか聞こえないかぎりぎりの低い声を発した事に気付いていなかった。



 ―――キッド、と。









 さて、アキラは気付いていないのかもしれないが、眠っている間、超能力はアキラの支配下をほぼ離れた状態にあるのだ。

 アキラが精根尽き果てている時ならば、それに付随して超能力も衰えて動き出さないのだが、此処最近のアキラはあんま
 
 り疲れた状態にない。それはアキラが戦闘面で役立たずだからとかそんな理由ではない―――多分。

 とにかく、スタミナの有り余る状態で眠るアキラの超能力は、ひたすらに衰えず、だだ漏れの状態なのだ。

 そして、人の心を読む事に長けた彼の超能力は、知らず知らずのうちに、眠っている仲間の夢を垣間見る事になってしま
 
 ったのだ。
 


 従って、別にアキラは夢の中の男に恋焦がれているわけでも、おかしくなっているわけでもない。
 
 おかしいのは、そんな青少年を恥ずかしがらせるような夢を夜な夜な見ている人間である。




 
 眠らないおぼろ丸やキューブの、夢ではない。

 疲れて眠りこけているレイや日勝やポゴの、深すぎる眠りには手を出せない。

 眠りのひどく浅い、サンダウンの夢を、ピンポイントで垣間見たのだ。





 サンダウンは此処のところ、色々と欲求不満だった。

 放浪生活が長く、酒と葉巻が唯一の娯楽のような男ではあるが、もう一つ楽しみ――というよりも、もはや生きがいにな
 
 りつつあるものがある。

 自分を執拗に追いかける賞金稼ぎ。

 その相手をするのが、最近、楽しい。闇よりも深い黒い髪も眼もお気に入りだし、細い腰やら指やらは掴んで弄繰り回し
 
 たいくらいだ。自分だけに笑いかける姿はなかなか可愛らしいが、それ以上に押し倒して舐めまわして泣かせてやりたい
 
 とか、渋い面の裏側で、当のマッドが聞いたら裸足で逃げ出したくなるような事を考えている。


 
 が、突然放り込まれた世界。

 そこには何故だかマッドの姿はなく。

 神を心底呪った。
 
 

 一般的に可愛い系に部類されるレイやアキラを見ても何も感じず、むしろマッドのほうが可愛いと思っているあたり、視
 
 野狭唆どころか脳の視覚部位の異常を疑ったほうが良いだろう。

 

 そんなサンダウンが見る夢には――夢には潜在意識が出てくると言うが――当然、マッドが現れるわけである。
 
 
 
 それはもう、毎日。

 
 
 最初の頃は、マッドが笑みを浮かべているだけで満足していたサンダウンだったが、人間というのは実に欲深い生き物で
 
 ある。満たされた瞬間、更なる欲を満たそうとするのだ。ただしサンダウンの場合、それが二、三歩先に進みすぎたきら
 
 いがある。抱き寄せるだとか口付けとかいう段階をあっさりと飛び越え、自分が本来持っている欲望――押し倒して舐め
 
 まわして泣かせる――に向かっていったわけだ。

 


 それはもう、何も知らないアキラにとっては、最年長者の手管は赤面どころか絶叫したくなるような世界だったに違いな
 
 い。



  
 さて。
 
 
 

 もはや溜め息どころか鼻血を吹き出しそうなアキラと、欲求不満がたたりすぎて魔王になりそうなサンダウンを見て、彼
 
 らを呼び寄せた魔王オディオは良からぬ事を企んでいた。

 尤も、それは不和を望む悪魔の囁きというよりも、昼ドラ好きの野次馬根性が成せる企み事なのだが。







 
 数時間後、西部の荒野を駆け巡る賞金稼ぎが、魔王オディオによってルクレチアに、しかもアキラとサンダウンの眼の前
 
 に召喚されたとかされなかったとか。