「旦那、旦那。」

  昨日、大いに役立たずだった情報屋が現れたのは、鈍色の髪の学生が、もそもそとタマゴサンド
 を頬張り、スープを飲んでいるところだった。チェーンを付けたままの状態で扉を開いた賞金稼ぎ
 に対し、ああん酷い、と身をくねらせた厳つい情報屋は、非常に見苦しい上に気持ち悪い。
  げんなりして、それでも情報屋の一連の行動を見納めた彼は、首を傾げて短い黒髪を揺らした。

 「何の用だよ。」
 「そんな、分かってる癖に。」

  チェーンの隙間から顔を突っ込んでくる情報屋は、大概鬱陶しい。そして鼻の下を伸ばすように
 して、部屋の中を窺おうとしている様子は、この上なく不審者だ。ただ、鼻の下を伸ばしたような
 表情をしていても、別に情報屋が窺っているのは美女のヌードシーンなどではなく、昨日、カータ
 ーの潜伏先に一緒に連れ込まれていた学生の様子だろう。それとも、だから鼻の下を伸ばしている
 のか。だとしたら、変態だ。

 「いるんだろ、あいつ?」
 「お前、そっちの趣味があったのか。」
 「ねぇよ。」

  問い掛けを即座に否定した情報屋は、あんなひょろいガキよりも旦那のほうが好みだ、と続けた
 ので、ひとまずチェーンの隙間から、その土手っ腹に拳を叩きこんでやった。
  思いのほか、綺麗に決まって、情報屋が腹を抱えて悶絶する。

 「ひ、酷い……冗談なのに。」
 「そんな冗談言う、てめぇが悪い。」

  しっかりと自分は悪くないと宣言してから、悶絶している情報屋の旋毛を、チェーンの隙間から
  見下ろす。そして、再び最初と同じ質問を繰り返す。

  「で、何の用だ。」
  「そんな、分かってる癖に。」
  「……俺は無意味な時間を取るのは嫌いだ。」

   同じ事を繰り返そうとしている情報屋に、鋭い釘を突き刺すような視線をくれてやると、ひぃ、
 と情けない声が上がった。その声にげんなりするものの、しかし情報屋のでかい図体が消えない以
 上、何とも出来ない。いっそ、チェーンを解いて蹴り飛ばしてやろうかとも思うのだが。

 「あんた、あいつの身の上を気にしてたじゃねぇか。」

  物騒な考えを読んだわけではないだろうが、いそいそと情報屋は声を低めて囁いた。

 「あの学生野郎の、自分に関わった人間は、みんな殺されたって言葉、気にしてただろ?いや、そ
  れにあんたが恐れをなしたとかそんなんじゃなくて。」
 「調べたのか。」

  自意識過剰とも思える、学生の台詞を。
  むろん、気にならなかったとは言わない。カーターに人質に取られた事も踏まえて、それに、自
 分に大切な物を作らせないように次々と殺されていくという言葉が、カーターと似通っていたから、
 カーターとは全く関係のない人間である事を裏付ける為の調査をしなくてはならなかった。だから、
 学生の言葉が事実であるかどうかは、調査していく上でいずれ突き当たるだろうとも思っていた。
  それに、恐らく学生の弁とは関係ないだろうが、確かに学生と関わったカーターは殺されたのだ。
 そうなると、やはり念の為、調べておく必要はあるだろう。そう考えていた。

 「それに、旦那だって、俺が調べるだろうって思ってただろ?」
 「………。」

  思っていた。情報屋であるこの男が、殺人犯の人質に取られた挙句に物騒な事をぬかす学生の素
 性を調べないわけがないと思っていた。そしてそれは、その通りになったわけだ。

 「で?」

  情報屋を喜ばせる言葉を吐く必要もない。彼は、チェーンの隙間から見える男の顔に、続きを促
 した。

 「それだけ勿体ぶった言い方するって事は、ちゃんと分かったんだろうな?自称、家族及び近しい
  人間を皆殺しにされたっていう、あいつの素性は分かったのか?」

  冷ややかにさえ見える黒い眼線を受け止めて、けれども情報屋はにやりと笑い、低いくぐもった
 笑い声さえ上げてみせた。

 「勿論さ、旦那。この俺に調べられない事なんか、三葉虫の思考回路くらいなもんだぜ?」
 「御託は良いんだ。用件だけ言えよ。俺はこれから、あいつを大学まで送ってかなきゃならねぇん
  だ。」

  いや、その前に、警察か。どっちにしても、ぐずぐずと時間を潰している暇はない。

 「せっかちだねぇ、旦那。まあ、分かったよ。」

  こほん、とわざとらしく咳払いをした情報屋は、これまたわざとらしく、人差し指を立てる。

 「まず、あいつの生まれはドイツの黒い森だ。つっても、あいつが生まれてすぐにアメリカに来た
  らしいけどな。両親は厳格なローマ・カトリックだったらしい。現在はカリフォルニア大学ロサ
  ンゼルス校に就学中。そこでヨーロッパの文化みたいなもんを調べてるらしいぜ。」
 「……らしいな。学生証にも書いてあったし。」

  そんな事よりも。

 「その、厳格なローマ・カトリックの両親は、今どうしてるんだ?」
 「カトリックだから、一応天国にいるんじゃねぇの?」

  情報屋は、事も無げにそう言った。

 「あいつの言ってる事は確かだよ、旦那。俺も調べてて呆気にとられたくらいさ。あいつの両親は
  あいつを連れて渡米して数ヵ月後に、ロサンゼルス郊外の自宅であいつの兄弟諸共、惨殺されて
  る。」

  一つ上の兄共々、鋭利な刃物で切り刻まれて発見されたという。遺体を切り刻んだ力は凄まじく、
 父親の首などは、一太刀で首をほぼ切断していた。

 「その時、まだ揺り籠で寝ていたあいつだけが助かったのさ。世間は当時、それを奇跡だと言った。
  でも、それが悪魔の為せる業と囁かれるのに、そう時間は掛からなかった。」
 「……誰が殺された?」
 「まずは、引き取った伯父と伯母。そしてその子供達が。あいつを引き取って、一年足らずの出来
  事だった。やっぱり、切り刻まれて発見された。凶器は同じだっていうのが、警察の見解だ。」

  次に殺されたのは、彼が預けられた施設の子供と、教師だった。その後も、彼の周りでは次々と
 同じように人間が殺されていく。彼一人が無傷のままで。

 「で、全員が、切り刻まれてたわけだ。」
 「そう。」
 「でも、カーターは銃殺だ。」

  此処に来て、その刃は止められたのかもしれない。カーターを殺したのは、悪魔だと言われてい
 る学生に付き纏っている、正しく悪魔のような人間の仕業ではないだろう。だとしたら、これは快
 挙だろう。誰かが、悪魔を出し抜いたのだ。

 「銃殺でも刺殺でもどっちでも良いよ。旦那、どっちにしろ、気を付けたほうが良い。あいつに関
  わったら気分を損ねる悪魔が、どっかに確実にいやがるんだ。」
 「それにしたって、そんなでかい事件なら、俺も知ってても良いようなもんだが。」
 「そりゃあ、あいつは事件が起こるたびに、名前を変えて引っ越して、とにかく細々と生きてたか
  らな。一時、あいつが犯人じゃねぇかって言われた事もあったけど、FBIが科学的に違うって
  言ってる。」
 「ふぅん。FBIが、ねぇ……?」

  わざとゆっくりと言ってやると、情報屋は慌てたように首を振った。口を滑らせて、FBIの情
 報機関にまで首を突っ込んだ事を言ってしまい、わたわたしているのだ。別に、それを咎めるほど
 聖人君子でもないつもりなのだが。

 「ま、FBIなら、その手の猟奇的な犯罪のデータも、揃ってるだろうなぁ。」

  けれども、数十年に渡って、同じような犯行を繰り返す。という事は、犯人はどう考えても既に
 良い歳だろうし、あの学生の周りにのみ起きているのならば、FBIなら何らかの手掛かりを得て
 いてもおかしくないはずだ。
  そして、きっと、あの学生だって自分の周りで起こる悲劇の調査を、FBIが担当している事も
 知っている。何せ、名前を変えてまで保護されているのだ。きっと戸籍も用意されている。そんな
 芸当は、警察程度では出来ない。FBIくらいでなければ。

 「旦那、とにかく、あいつにはこれ以上関わらねぇほうが良いって。」
 「FBIも手を拱いてるくらいだから、か?」
 「そうさ。」
 「随分と、弱気じゃねぇか。」
 「笑い事じゃねぇんだってば!」
 「分かった分かった。」

  チェーンの向こう側で吠える情報屋をいなす。

 「どうせ大学まで送っていったら、それきりの関係だ。それ以上関わる事もねぇよ。」

  尤も。
  彼は思って、小さく笑う。
  何処までの関係ならば許されるのかは、分からないが。