血飛沫が飛んだ。
  ぼたぼたと、紅が弾け飛んで、それに混じった神経やら脳漿やらも一緒になって地面に振り撒か
 れる。そして、それらを齎した鉛玉は、何事も無かったように肉を突き破り、何処か遠くで小さな
 音を立てて転がり落ちる。
  頭蓋を撃ち抜かれて斃れた身体。
  冷静に考えれば、銃弾が脳を貫通した状態で、生きていられるわけがない。夥しく流れ落ちた血
 液の量と、気味悪く蠢く脳味噌の破片を考えるに、それは自明の理であった。
  乾いた砂地で、自らの頭を銃で撃ち抜いた人間には、よほどの奇跡でも齎されない限り、生命は
 ない。
  だが、その運命を嘲笑うかのように、斃れて動かなかった人間の指先が、ぴくりと動いた。
  風に動かされたわけでもない。眼の錯覚でもない。撃ち抜かれた後の、微かな痙攣などでもない。
 ゆっくりと、しかし確実な動きは指先に留まらず全身に行き渡り、そして動くはずのない腕が大き
 く動いた。
  ずるずると水気のない砂を指で掻き、文様を描きながら、腕が折れる。埋もれるほどに砂を撫で
 ていた掌には、瀕死の人間には有り得ないほどの力が籠り、倒れ伏していたはずの身体を持ち上げ
 る。
  うつ伏せの状態から身体を持ち上げたかさついて武骨な手は、それからしばらくは茫然としたよ
 うに――もしくは銃で頭を撃ち抜かれた死人のように立ち止っていたが、やがて何かを思い出した
 かのように、再び地面の上を滑りだした。
  そうして見つけ出したのは、たった今自らの頭蓋を撃ち抜いたばかりの、銀色の銃だ。
  のろのろとそれを手にした男は、再びそれを自分の眉間に押し当てると、眼を閉じたりだとか、
 そういった覚悟の動作一つ見せずに、一気に引き金を引く。
  真っ青な空の下で、轟く銃声。
  それを聞いた鳥達が、一瞬だけ驚いたように羽ばたきを強くする。しかし、男のもとに舞い降り
 る事はない。
  眉間から血を撒き散らせた男は、確かに仰け反りはしたものの、そのまま倒れ伏す事はなかった
 からだ。撒き上がった血が治まった後は、眉間からとくとくと血を流した状態で、ぼんやりと仰け
 反ったまま青い空を見上げる。
  荒野の青は、いつだって色味が強い。

  あんたの眼に似て、腹立つなぁ。

  そう言ったのは、誰だったか。あまりにも途方も無く昔の事で、その声音はほとんど忘れかけて
 いる。
  あんなに近くにいたはずなのに。
  信じられないくらいに、ぎらぎらと照り輝く太陽のような魂だった。けれども、そこから伝わる
 熱を忘れて久しい。手の形は綺麗だったような気がするけれども、眼鼻立ちを思い出せと言われる
 と、細かいところまでは分からない。
  記憶とは、なんて、曖昧な。
  辛うじて、黒い視線の強さだけが心に強く残っている。それ以外は、どれだけ足掻いたところで、
 嘲笑うかのように手の中からすり抜けて行ってしまった。まるで、彼の魂そのものが、遠く遠くに
 離れていくかのように。
  そんなつもりじゃなかったのに。
  例え失ったとしても、きっと忘れないだろうと思っていた。確かに忘れてはいない。身体と運命
 を狂わせるほどに、強く強くあの魂は刻み込まれている。けれども、その形と手触りと匂いは、徐
 々に失われつつある。
  このまま忘れて行って、存在した事さえも忘れても、それでも刻まれた定理は消えないのだろう。
 それを思い、身震いする。彼の事さえも忘れて、ただうろつくだけの幽鬼と成り果てるなんて事。
 きっと、彼が知ったら、怒るだろう。
  いや、こんなふうに無様に生き長らえている事自体が、既に怒りに触れるだろう。けれども、そ
 れはどうしようもない。彼以外の人間の手では、自分の手でも死ぬ事は出来ない。そういうふうに、
 決めてしまい、それが運命も自然の摂理さえ捻じ曲げた。
  悉くが、自業自得。
  そして、自らで正す術が何処にもない。何度自分の頭を撃ち抜いても、結局は元の鞘に戻るだけ
 だ。
  そんな自分に愛想が尽きたのか、夢にさえ、現れない。だから、遠ざかる一方だ。

 「マッド……。」

  名前を呼んでみた。
  当然、返事はない。
  魂でさえ、きっと近くにはない。あったとしても、こちらを見てないだろう。

     でも、あんたの眼の色は好きなんだぜぇ?

  唯一、彼が好きだと言ってくれたこの眼。それでさえ、もう彼の期待には応えてやれない。どろ
 りと濁った眼で、痛いくらいに青い空を見上げて、男はぼんやりとそう思った。
  けれども、と一縷の望みも腹の底で醜く蠢いている。
  諦めの悪い奴だったから、何処かで足掻いて、再び眼の前に現れるかもしれない。口だけの人間
 は多いけれど、あの男は口数も多いだけでなく本当に足掻き倒す人間だったから。いつか、再び、
 銃を携えて現れる事だって考えられる。
  だったら、良い。
  いつか、いつものように、ふらりと現れて軽口を叩いて、今度こそ、この胸を貫いて。そうして、
 殺してくれたら良い。
  その時が来るまで、待っている。
  結局は俺に任せっぱなしかよ、という口調が、懐かしく思い出された。その口調を思い出せた事
 が嬉しくて、ぼんやりとしていた表情に、微かに笑みを浮かべる。
  それなら。
  その魂を見逃さないように、捜しに行こう。
  それが、この狂った歯車の中で、唯一の光芒のように思えた。