ふらりふらりと蝶のように歩いて、街ゆく人々の隙間に見える景色を探す。硬い砂地の上に出来
 た街並みは、メインストリートを除けば、後は雑然として家や店が突き出している。茶色の丸太を
 組み合わせた家は、民家もあれば店もあり、ぱっと見ただけではどれがどれだか分からないだろう。
 その中から酒場を見つけ出そうと、マッドは眼を凝らす。
 あからさまに盛り上がっている酒場を避け、ひっそりと落ち着いた酒場へ。
 一人で飲みたい気分の時は、マッドはそうやって酒場を探す。通りに面した酒場ではなく、家並
 に沈んでしまいそうな酒場を。
  日が沈んだ後の街は、街灯と家の明かりだけが荒野の中で浮かび上がる。その中で、一番明かり
 から遠い場所を探せば良い。
  人の出入りが少なくて、静かで、今にも闇に呑み込まれてしまいそうな。
  それを探して、光から光へと移っていく。
  そして見つけた光の粒の中に、マッドはひらりひらりと引き寄せられて、ふわふわと立ち止まる。




  Turning Point





  悪くない。
  ウエスタン・ドアを開いた先に広がる景色に、マッドは満足した。
  こぢんまりとした酒場の中は、茶色がかったオレンジの光で満たされており、カウンターの他に
 は、離れ離れにテーブルが二、三個置いてあるだけだ。それぞれのテーブルの距離は絶妙で、他人
 の会話が邪魔にならない間隔を押さえてある。
  小さいが、けれども居心地の良い空間。
  一人で飲むには、相応しい。
  此処でならば、傷ついた獣も、妙に浮足立った心も、ひっそりと沈める事が出来るだろう。
  そう思い、うっとりとした手つきでウエスタン・ドアを後ろ手で閉めた。
  と。
  扉を閉めて、マッドは硬直した。
  カウンター席の左。棚の影になって、暗がりが落とされた場所。その所為で、そこにいる影に気
 付かなかった。普段なら、何よりも真っ先に気付いたはずだろうに。背の高い影が闇と同化してい
 たとしても、光に掻き消されていたとしても気がついたはずなのに。
  いや、明らかに、ぬっと背の高い影自体も、意図して気配を隠していた節がある。でなければ、
 何故マッドが気付かないなんて事があるだろうか。
  暗がりの中で砂色に鈍く輝く髪と髭。荒野の晴れた空のように強みのある青い双眸。
  まるで、荒野そのものだ。
  見間違えるはずもない。そもそも、さっきから言っているように、気付かなかった事がおかしい。
 まして、マッドが。
  扉の前で硬直するマッドが、普段自分が追いかけている賞金首サンダウン・キッドがそこにいる
 事に気付かないなんて。
  いや、それよりも、気配を隠していた男に気付かなかったよりも、何故この男が此処にいるのか
 のほうが問題だ。
  普段ならば、酒場だろうが荒野のど真ん中だろうか、遊覧船のマストの上だろうが、サンダウン
 がいれば決闘を申し込むのが常だが、マッドの心情が一人で飲みたい方向に傾いている時は、それ
 は適用されない。むしろ、サンダウンがいないほうが好都合だ。サンダウンが傍にいると、ゆっく
 りと酒も飲めない。それは別に、サンダウンがいる所為で闘争本能が刺激されるとかではなく、た
 だ単純に、気まずいのだ。
  だから、せっかく見つけた居心地の良さそうな酒場の入口で、マッドは咄嗟に回れ右をして出て
 行きそうになった。しかし、中に入っておいて、それはないだろう。かといって、そこに居座るの
 も微妙だ。
  結果、酒場の入口という非常に邪魔な場所でマッドは一人、もじもじする。
  そんなマッドを救ったのは、他でもないサンダウンだ。

 「マッド。」

  いつになく所在なさげなマッドを見て、不思議に思ったのか。普段はほとんどこの男から声を掛
 けるなんて事はないのに、珍しくマッドの名前を呼ぶ。
  名前を呼ばれたマッドは、サンダウンのほうにまともに顔を向ける。すると、サンダウンがマッ
 ドを手招きするのが見えた。何を考えているのか、と思ったが、恐らく入口の前にいれば邪魔にな
 るからだろう。そして邪魔になっているマッドに視線が向かえば、自然とマッドが見ているサンダ
 ウンにも視線は向かうわけで。おそらく、サンダウンはそれを恐れたのだろう。
  なんでサンダウンの言う事なんか。
  そう思わぬでもないが、しかしだからといって、此処で騒ぎを起こすほどマッドは大人げない人
 間ではない。
  だから、ひとまずサンダウンが座る、一番隅っこのテーブルにふらふらと近付く。

 「なんで、あんたがこんなとこにいるんだよ。」

  怪しまれぬようにテーブルに着きながら、マッドはぶつりと愚痴のように呟く。
  すると、サンダウンが首を傾げた。

 「……お前こそ、何故こんな酒場にいる。」

  そう、サンダウンの考え方のほうが正しいのだ。マッドはもっと派手な、馬鹿騒ぎを容認するよ
 うな、娼婦も賞金稼ぎもならず者も飲みこむような酒場で、その場の中心にいるべきなのだ。少な
 くとも、世間一般はそう認識しているだろう。マッドが一人で酒を飲むなど、信じられない事だと
 思っているかもしれない。
  その事に思い至ったマッドは、だから黙りこんで眼の前に差し出されたグラスを睨む。いつの間
 にか眼の前にあって、琥珀色で満たされたグラスには、むっつりとした自分の顔が映っていた。

 「なんで、あんたなんかと酒を飲まなきゃならねぇんだ。」

  やはり、さっさと踵を返せば良かった。変なところで一目など気にしなければ良かったのだ。薄
 っぺらいテーブルを挟んで、何が悲しくて茶色いポンチョのおっさんとグラスを傾けねばならない
 のか。
  しかも先程までは気付かなかった気配は、一度気付けば無駄に存在感を主張し始める。そこにい
 るのは、サンダウン・キッドその人なのだと。
  せめて別のテーブル、いや、やっぱり別の店で飲むのが良い。

 「……こういう場所では、大人しいな。」

  ちびちびとウィスキーを飲んでいるマッドを見て、サンダウンがぽそりと呟いた。
  その言葉に対して、マッドは、うるせぇよ、と答えるしかない。

 「あんたには関係ねぇじゃねぇか。」
 「……いつもなら、所構わず決闘を挑んでくる。」
 「だったら、有り難いと思いやがれ。あんたの、ささやかな幸せを潰さずにおいてやってんだから
  な。」

  別にサンダウンがどうとかではなく、単にマッドがその気にならないだけなのだが。しかし、そ
 れをサンダウンに言う必要もない。が、何故か、いつもはマッドに構う素振りなど微塵も見せない
 サンダウンが、やけにしつこく食い下がってくる。

 「……何か、あったのか。」
 「……ああ?」
 「違うのか?」

  低い声が、不思議そうに問うてくる。
  なんだろうか、この男の中で、自分はそんなに喧しい存在として確定されているのか。

 「うるせぇな。どうだっていいだろ。第一、てめぇにゃ関係ねぇ。」
 「…………。」

  サンダウンから返ってきた沈黙は、到底納得していない意志を孕んでいたが、マッドにはそれを
 フォローしてやるつもりなど全くない。
  というか、大人しいマッドをサンダウンが薄気味悪く感じると言うのなら、マッドだってこんな
 ふうにお節介なサンダウンは気持ち悪い。
  ふぅ、とマッドは気持ち悪いサンダウンに溜め息を吐いて、椅子を引いた。
 「……やっぱ、帰る。」
 「マッド?」
 「宿で飲み直す。」

  サンダウンと一緒に酒なんて飲めるもんじゃない。そんな悠長な事言っていられないだろう、普
 通。賞金首と賞金稼ぎが、こんなふうに一つのテーブルに着いているだけでも十分におかしいのだ。
  サンダウンの青い眼が見開かれるのを確かめずに、マッドは立ち上がり、テーブルにグラス一杯
 のウィスキーの代金よりもやや多いくらいの紙幣を置くと、オレンジの光が揺れ動く中を泳いで、
 逃げるようにウエスタン・ドアを掻きわけた。
  その背後で、背の高い影が、ぬっと立ち上がった事には気付かなかった。