その日は、地面を溶かすほどの大雨だった。
  消炭色をした分厚い雲は、空という空を覆い尽くし、時折その凹凸の中に白い稲光を走らせては
 耳を塞ぎたくなるような轟音を生み出していた。
  飛ぶ鳥は木々の枝の奥に身を潜め、地を走る獣も茂みや岩影で身を小さくする。
  誰もが外に出る事を厭い、皆が家の中に潜り込んでいた。
  驟雨は、西部の単発的大雨という気候には珍しく、昼を過ぎて夕方を超え夜を迎えても降り続い
 た。流石に明け方になる頃は、バケツを刳り抜いたかのような水は底をついたの小降りになってい
 たけれど。だが、小降りになったとはいえ、雨に溶かされた地面はぬかるんでいて、歩けば靴はお
 ろか、膝下は全て泥に呑まれてしまうだろう。
  歩く事さえままならないのは、誰の眼から見ても明らかだった。
  だが、そんな泥の中で、とある町の保安官は眉間に深々と銃弾を埋め込まれて死んでいたのだ。
  保安官が死んでいたのは、舗装されていない町の端だ。
  墓地だけが広がるその場所は近くにあるものと言えば墓石だけで、近くの家々は墓地から数十メ
 ートル離れており墓地の様子は普段こそ見えるものの、驟雨の中では動く人影を見えたかどうかも
 怪しい。現に、墓地に誰かがいたのを見たと言う証言は――保安官がいたという証言さえ――得ら
 れていない。
  では銃声はどうかと言えば、これもやはり雷の音に紛れて誰一人として聞いたものはいない。
  しかし、その日は豪雨。外に出た事など、服を調べればすぐに分かる。泥の跡も、どれだけ隠し
 ても家の中を調べれば分かると言うものだ。
  だが、町中の誰一人として泥塗れの服など持っていなかったし、家の中に不審な泥の跡もない。
 墓場近くにある場末の酒場に屯するならず者連中さえも調べてみたが、彼らでさえその名残を見て
 取れなかった。
  では、そのまま町を出て行ったのか。
  驟雨の中を?
  馬でさえ走るのを嫌がり、それどころか泥に足を取られて転倒する危険性のある泥の中を出てい
 くなど狂気の沙汰だ。それに、町から出ていった者は誰一人としていないという。宿という宿の名
 簿を見てもそれは明らかだし、いなくなった町人もいない。
  ならば、犯人は一体何処へ消えてしまったと言うのか。
  眉間に銃弾を埋め込まれて死んだ保安官は、泥に濡れた身体を清められて、そしてそのまま棺に
 入れられ再び命を落とした墓地に戻された。
  その間、犯人と思われる人間は誰一人として捜査上に浮かび上がらず、一人残された未亡人はレ
 ースのハンカチを握り締めて、せつせつと夫がどれだけ優しかったか、そして夫を自分から奪った
 犯人をどれだけ憎んでいるかを訴え続けた。
  しかし、憎むべき犯人はその残滓を銃弾一つにしか残しておらず、そこへ辿り着くべき道はまる
 でない。驟雨によって影は隠され、本来驟雨によって残されるべき跡が残っていない。足跡も、泥
 の跡も。

「主人は、この雨で墓地の周りの柵が壊れていないか心配だと行って見に行っただけなのに。コヨー
 テが寄りつくからいけないと言って。あの時、もっと強く引き止めれば良かったんだわ。」

  泣きながらそう告げる未亡人の声は、泣き過ぎて嗄れ果てていた。
  だが、それを聞かされていた賞金稼ぎはうんざりとしている。
  是非とも話を聞いてやって欲しい人がいると酒場の主人に言われて、こうして話を聞いているも
 のの、どう考えても自分には関係のない話でしかない。
  賞金稼ぎマッド・ドッグは、些かげんなりとした気分で、白く華美ではないが明らかに値の張っ
 ているレースのハンカチを握りしめている喪服の未亡人を見た。
  正直なところ、犯人を探してほしいと言われても、それは困るのだ。というか、犯人探しなど、
 名前や正体が既に割れているのならともかく賞金稼ぎの仕事ではない。
  そもそも、この未亡人は夫が何もしていないのに殺されたのだと思っているようだが、驟雨の中
 墓地の柵を見に行く時点でおかしな話ではないか。コヨーテさえ外に出歩きたがらないであろう雨
 の中、コヨーテを心配して墓地の墓を見に行くなど、どう考えても誰かに呼び出されたのだろう。
 それも雨の中断れずに行ったところを考えると、呼びだした相手は相当に保安官に対して影響力を
 持っているのだろう。おそらく、保安官の後ぐろいところに特に働きかけるような。
  マッドは未亡人の豪奢な喪服を見つめながら、大体どうして、こんな単純な事件なのに犯人が見
 つからない、目星さえ当てられないのか、とげんなりしながら首を傾げた。




「で、なんで殺したんだ?」

  マッドは見つけ出した賞金首に問い掛けた。
  ちょうど野営を始めるところだったらしい五千ドルの賞金首は、マッドの顔を見ると、すぐに眼
 を逸らした。
  どうやら、心当たりがあるようだ。表情は変わっていなくても、長い付き合いの所為か分かる事
 もある。

「雨の中、足跡も、泥の跡も付けずに撃ち落とす方法なんて一つしかねぇのになあ?それとも距離が
 あるから、的が霞んで見えねぇから、できっこねぇと思ったのかねぇ?」

  出来ない人間が絶対にいないなんて事はないのに。

「あんた、あの町の宿に泊まってたんだってなあ。墓場の近くの、しかも雨が降ってなきゃあの墓場
 が見える部屋に。」

  あの日は、その部屋からも墓場は霞んで見えたに違いない。しかも 墓場の近くにあると言って
 も数十メートル離れている。下手をすれば、全く見えない可能性だってあったはずだ。だが、だか
 らと言って、そこから絶対に撃ち落とせないなんて事はないのだ。

「あんた、あの保安官にどの墓場の前に立つかまで指示したのか?それで、何処に立つか場所を覚え
 て、どの位置に頭があるか測ったのか?」
 
  それとも、そんな事さえしなくとも、その蒼い眼には標的が見えたのか。
  この男なら、有り得ない話ではない。
  というか、この男ではなくては、出来ない犯行だ。

「……それで、頼まれて私を捕まえに来たか?」

  ぼそぼそと普段と変わらぬ低い声が耳朶を打つ。マッドの問いかけなど、さしたる問題ではない
 と言わんばかりの態度で、野営の手を進め始めた。
  それを見たマッドも気を悪くした様子はない。軽く首を竦めると、黒い眼を賞金首サンダウン・
 キッドに向けて気のなさそうな声を出す。

「何で俺があんな女の為にあんたを捕まえなきゃなんねぇんだ、アホらしい。大体あの女はもう西部
 にはいねぇぜ。南部の実家とやらに帰ったんだと。」

 なんせ、夫が実は銀行と癒着してその金を使って立って事がばれちゃあな。

「あの保安官と銀行の頭取はずぶずぶの関係だったみてぇだな。ただ、それを告発しようとした銀行
 員が、その直前に偶然ならず者に殺されちまった。それを知った他の奴らは、怖くて黙ってたみて
 ぇだな。」

  殺された銀行員の友人が、マッドにそう耳打ちした。
  彼も酷く怯えていたけれど。 

「あの未亡人は、自分の夫が銀行の金を着服してたって事に全然気付いてなかったらしいな。自分が
 周りよりもずっと裕福な暮らしをしてるとも思ってなかったみたいだ。まあ、あんたには興味のね
 ぇ話かもしれねぇけどな。」
「………。」

  マッドが口を閉ざすと、サンダウンからは沈黙が返された。
  どうやら、何も話すべき事はないらしい。
  それはそれ以上の意味はないのか、もしくは捕捉すべき点はないという事か。

「ま、俺としちゃあ、銀行の金が使われててそこに頭取が関係してるって情報をある成金に売れたか
 らな。そいつは、銀行の頭取を蹴落として買収しようって目論見があったらしいから、結構な額で
 買い取ってくれたぜ。おかげで俺の懐は温かい。俺の機嫌も良くなるってもんだ。だから、機嫌の
 良いこの俺が、しけたおっさんの為にわざわざ酒を恵んでやろうってわけだ。」

 そう言って、マッドは金のラベルの付いたボトルをサンダウンの眼の前に突き付ける。
 それを蒼い眼で見つめたサンダウンは、無言で受け取った。
 マッドは満足げに口元に弧を描くと、ひらりとサンダウンに背を向けた。