呪いを解く方法。
  サンダウンの口からその言葉が零れた時、マッドはそれは一番聞きたくない言葉だと思った。
  そして、マッドの呪いに罹った人間からは、今まで一度も聞いた事のない言葉でもあった。
  セイレーンの呪いに罹った人間は、未来永劫セイレーンに骨抜きにされる。呪いだ、何だと考え
 る事さえ出来ないほどに。サンダウンも同じ。
  だが、サンダウンはマッドの言う事はきちんと利くし、マッドの好むように行動するが、しかし
 自我までは消し去っていない。
  だから、マッドの顔色一つに敏感に反応し、どうしたのだなんだと騒ぐ。本心から骨抜きにされ
 た人間は、問うという事さえしないものだ。今まで海の藻屑として消え去った連中は、口をぽかん
 と開けて、自分では何一つとして考えられなかった。
  故に。
  そう、サンダウンはマッドの為に自分で考えて動こうとする。それ故に、マッドはサンダウンを
 恐れざるを得ない。現にサンダウンは、遂に呪いを解こうとする考えにまで至ったではないか。
  マッドの所為かもしれない。サンダウンを誘導したのは、確かにマッドだ。だが、他の人間はマ
 ッドの誘導にさえ何の反応も示さなかっただろう。マッドが、そう言えと言えば言ったかもしれな
 いが。
  呪いを解く方法だなんて。
  マッドの苦しみを取り除くために、と、確かにセイレーンの呪いに侵されているが故に思い至っ
 た考えは、しかし冷静に考えてみれば分かるはずだ。
  古今東西、呪いを解く方法は決まっているではないか。
  笑いたくなるほど純粋無垢に問い掛けるサンダウンに、マッドは冗談抜きで笑いそうだった。

 「マッド?」

  サンダウンが訝しげに首を捻る。それはともすれば、マッドの態度を詰っているようでもある。
 咎めるような響きのあるサンダウンの声に、マッドはゆっくりと首を横に振った。

 「あんたは、呪いを解いて、それでどうするつもりだ?」
 「………何?」

  マッドの問いかけに、サンダウンは絶句した。口ごもったサンダウンは、恐らくマッドの言葉の
 意味が分からなかったのだろう。
  普通に考えれば、呪いを解いてどうするも何もない。そもそもサンダウンが呪いを解くのは、マ
 ッドがサンダウンという存在に怯えている所為だ。正確に言えばサンダウンが呪いに罹って尚生き
 ているという事実が。
  ―――もっと言うなれば、サンダウンがいつか呪いを解いてしまうという可能性を孕んでいるか
 らだ。
  セイレーンの呪いは基本的には解けない。
  しかし、基本的にそれを実証するよりも先に、呪いの罹った人間は海の藻屑と化している。
  だから、基本的には解けなくとも、もしかしたら例外的に解ける事も有り得るのだ。
  その可能性を孕んだサンダウンを、マッドが恐れるのは当然の事だった。
  そして、サンダウンがその呪いを解こうとしている。

 「呪いが解けりゃあ、そりゃあ、あんたは自由だ。」
 「……呪いなどなくとも、私はお前の傍にいる。」
 「無理だ。」

  サンダウンの台詞を、マッドは一言の元に否定した。
     無理だ、と。

 「そんな事はない。呪いを解いても私は何もしない。今まで通り、お前の傍にいるだけだ。」

  今までと同じように、焦がれながら。
  囁くサンダウンの言葉を、マッドは一笑に付す。そんな事は無理だ、と。有り得ない、と。
  セイレーンの呪いが解けるという事は、そうした感情が悉く消え去るという事だ。サンダウンが
 これまでと同じであるとは考えられないし、呪いによって植えつけられた感情が延々と続くはずも
 なかった。
  呪いとは、そういうものだ。
  人の歩みに無理やり別の道を入れ込んで、解ければ一瞬で途切れ去る。呪いというものに前後は
 ないのだ。
  あるのは、解けたか解けないか、その事実だ。解ければ途切れる。解けなければ続く。それだけ
 だ。自発的に生み出された感情のように、尾を引いたりはしない。感情や経験の積み重ねもない。
  途切れた糸のようなものだ。
  いや、それ以前に。
  もしも呪いが解ければ。

 「呪いを解く方法なんて、簡単だ。」

  一番、手っ取り早い方法があるだろう。
  わざわざ手順も何も必要もない、ただただ、本当に誰にでも出来る方法が。

 「俺を殺せ。」

  マッドは、一息に告げた。
  もはや、躊躇う必要もなかった。
  セイレーンの呪いを解くには――いや、この世にある、ありとあらゆる呪いは、呪いを掛けた本
 人を殺せば、解けるのだ。セイレーンの呪いも、例外ではない。
  サンダウンが、手っ取り早く呪いから解放されるには、それが一番だった。
  だが。

 「……ふざけているのか?」

  サンダウンの声に険が浮かんだ。
  当然だ。今のサンダウンに、マッドを殺せるわけがない。マッドの呪いに罹っている今の状態で
 は。けれども、マッドが死んだ瞬間に、きっとその感情は消え去る事だろう。サンダウンの感情は、
 途切れた糸でしかないのだ。

 「ふざけてなんかいねぇさ。」

  マッドは、ひどく冷えた、けれどもはんなりとした笑みを口の端に浮かべた。

 「呪いを解くって言うのは、そういう事さ。あんたが呪いを解きたいのなら、俺を殺すしかない。」
 「………そんな事、できるわけがない。」 
 「だったら、あんたが死ぬか、だ。」

  唸るようなサンダウンの声に、マッドは漂然として答えた。
  マッドの答えに、サンダウンは、何故、と呟いた。

 「何故、その二つしか、ないんだ。」

  マッドの憂いを払う為の方法が。
  サンダウンが消え去る事で、呪われているのに未だ生き続けているというセイレーンにとって不
 確定な存在が消えるか、それともマッドという根本が息絶えるか。
  その二択しかない。
  マッドは、それ以外の選択肢は思いつかない。

 「大体、呪いを消す方法は、お前が死ぬ以外にもあるだろう。」

  呪いの根本を殺すのは確かに一番手っ取り早い。だが、手順を踏んだ消し方もあるはずだ。
  そう言うサンダウンに、マッドは首を横に振る。

 「無理だ。」

  マッドは、サンダウンにさっきから言い続けている。
  呪いが消えたらサンダウンはマッドの傍にはいられない。
  それが意味するところは。
  呪われているのに生き続けているサンダウンの、呪いがもしかしたら消えるのではないかと怯え
 る。
  その意味するところは。
  考えれば、すぐに分かる事だ。

 「セイレーンの呪いは、解呪の方法と、解呪の後の結末が、同義だ。」

  マッドは笑いながら、泣いているような声で、歌うように囁いた。
  眉を顰めるサンダウンに、更にもう一声、歌を張り上げて。

 「あんたの呪いが解けたら、俺は死んじまう。」