サンダウンは、マッドの前に洋梨と蜂蜜とクラッカーと花束を置いて、その顔色を窺った。
  しっぽを奪った犯人が見つかったと聞いたマッドは、それは何処のどいつだと騒ぎ、今にも自ら
 殴りに行きそうな勢いだった。仕方がない。しっぽを奪われたのだ。マッドが怒り狂うのも、無理
 もない事だ。
  しかし、マッド自らが動くのは非常にまずい。何せマッドは今は見た目は人間であっても、本来
 はセイレーンなのだ。しかもしっぽを奪われた事で、セイレーンとしての力を失っている。そんな
 状態で、亜人達を売り払ったりしている悪どい商人の元に行こうものなら、そしてセイレーンであ
 るという事がばれてしまったら、マッドが売り払われてしまうかもしれないのだ。
  なにせ、セイレーンというものを間近で見た事がある者はほとんどいない。故に、その羽根一枚
 にも高額な価値がつく。
  そこに丸ごと本人が現れたりしたら、どうなる事か。
  そう考えたサンダウンは、とにかくマッドを引き止めた。
  大体、サンダウンもこれから色々と裏取りをしなくてはならない状態だ。今すぐに事が運べるわ
 けではない。
  ぷくっと膨れているマッドを、可愛いな、とか思いながら、サンダウンはマッドを宥める為に、
 セイレーンの好むものを並べているのである。

 「とにかく、しっぽの事は私に任せてくれ………。」

  洋梨をマッドに進めながらそう言うと、マッドが非常に疑い深い眼で見てきた。
  どうやら、マッドの中ではサンダウンが嘘を吐いたり、或いはしっぽを取り返すのを贈らせよう
 としているように見えるらしい。
  確かに、しっぽが戻ってきたらマッドは帰ってしまう。それはサンダウンにとっては耐え難い事
 である。
  だが、それ以上にマッドがセイレーンとして生きられない、それを苦痛であると感じるのならば、
 それはサンダウンとしても望むべき事ではない。何故ならば、サンダウンにとってマッドの喜びが
 自分の喜びであり、マッドの苦痛は何を以てしてでも撃ち払うべき事だからだ。
  それが、サンダウン自身にとって苦痛を孕む事であっても。

 「安心しろ……しっぽは必ず取り戻してやる。」
 「つーか、羽根な。」

  しっぽも羽根も同じである。
  むしろ、サンダウンの中ではしっぽのほうがしっくりくる。なので、敢えて正す気はない。

 「とにかく、食べたらどうだ。」

  マッドの目の前に並べた物を勧めると、マッドはクラッカーに蜂蜜を浸して食べ始めた。サンダ
 ウンが見る限り、マッドは自分達人間ほど多く物を食べているような感じがしない。それは食べて
 いるものが果物や蜂蜜に限られているからそう思うだけなのかもしれないが。
  しかし、見ているこっちはお腹いっぱいにならない。
  洋梨と蜂蜜だけで、そんなに食べている気になるのだろうか。
  サンダウンがじろじろとマッドを見ている間、マッドはじろじろとサンダウンが用意した花束を
 見ている。

 「てめぇ、この花束はなんだ。」
 「お前が毎日花を飾っているから、それ用に。」

  マッドはむさ苦しいサンダウンの部屋を、何とかしてリフォームしようというのか、毎日部屋に
 花を飾っている。
  それを見たサンダウンも、その為の花を買ってきたのだが。勿論、半分以上はマッドに渡す為で
 あるが、マッドがその想いを解するかどうかは分からない。
  ピンクの薔薇とサンダウンを見比べたマッドは、むさ苦しい癖に買ってくる花は随分と可愛いも
 んを選んだな、と呟いている。まだ完全に咲いていないピンクの蕾を、白い指先でなぞる様は、サ
 ンダウンが、セイレーンの島で見た時のものと変わらない。
  ただ、マッドの唇から花を咲かせる為の歌が零れる事はなかった。
  そういえば、この町で人間のふりをしている間、マッドが歌を歌うところを見た事がない。
  サンダウンはマッドに擦り寄ると、ぴったりとマッドの肩に両腕を回した。マッドの黒い髪に鼻
 を埋めていると、マッドが鬱陶しそうに身じろぎした。

 「なんなんだ、あんたは。」
 「………お前は、歌を歌わないな。」 
 「あん?歌ったところで何にもならねぇだろうが。どうせ羽根がなけりゃ、魔力は出ねぇ。歌って
  も何も起こらねぇよ。」

  花を咲かせる事も、人の心に癒せぬ呪いをつける事も。
  しかし、サンダウンはマッドに擦り寄る。

    「………そんな事はないだろう。」
 「なんでセイレーンでもねぇてめぇに、そんな事が言えるんだ。この状態で歌を歌ったって、この
  花が咲くわけじゃねぇんだ。」
 「そうではなく。」 

  サンダウンは、もごもごと口の中で呟く。
  鼻先を擽るマッドからは、いつまで経ってもあの島の花の香りが染みついているのか、良い匂い
 がする。仄かに焼き菓子のような匂いがするのは、サンダウンの知らないうちにクッキーでも焼い
 たのだろうか。そんなふうに、サンダウンの知らないところで歌でも歌っていないだろうか。
  知らないところで。
  別にそれは構わない。この部屋をどう使おうが、それはマッドの好きにしたら良い。クッキーを
 焼こうがひっそりと歌を歌おうが、それはマッドの好きに使ってくれていいのだ。
  けれども、マッドはもうすぐいなくなる。そうなれば、マッドの残り香はすぐにも消えてなくな
 るだろう。マッドがいたという痕跡は、町の人々や助手の噂で残るかもしれないけれど、マッド自
 身の痕跡は、跡形もない。
  マッドは、サンダウンに何かを残そうとは考えていないからだ。
  花弁一つ、マッドはサンダウンの為に残していってはくれない。それは、マッドのしっぽがない
 以上仕方がない事なのだろうけれども。
  思い出となるようなものが、深く切り込むようなものが、何一つとしてない。
  それが酷く寂しいような悔しいような気がするのは、恐らくサンダウンの我儘なのだろうけれど。
  マッドを抱きしめるサンダウンは、唐突にマッドの身体を持ち上げて横抱きにすると、そのまま
 自分の膝の上に乗せる。

 「おい!」

  急に持ち上げられたマッドが抗議の声を上げたが、すぐにサンダウンの膝の上に下ろされた事で、
 すぐに大人しくなった。 
  大人しくなったというか、自分の状況に文句を言い始めたが。

 「てめぇ、これはなんのつもりだ。この格好は。」

  サンダウンの膝の上に乗せられている状況に、マッドが口を尖らせる。
  だが、サンダウンは無言でマッドの髪に鼻を埋める。
  すりすりとマッドに無言で擦り寄っているサンダウンに、マッドも諦めたのか口を閉ざした。代
 わりにサンダウンのもさもさとした髪の毛に片手を添えたところを見るに、もしかしたらマッドに
 もサンダウンの言わんとする事が分かったのかもしれない。
  いや、マッドが言うように、マッドがサンダウンに呪いをかけたと言うのなら、マッドのサンダ
 ウンの心境が分からないはずがない。繊細な手つきでサンダウンの髪の跳ねを撫でつけるマッドの 
 表情はサンダウンからは見えないけれど、酷く静かな気配から顔つきも硬くなっているのではない
 かと推測できる。
  動かないマッドの頬を肌で感じながら、サンダウンは大人しいマッドに囁く。

 「………一緒に寝ても良いか?」 
 「あんた、調子に乗ってんじゃねぇぞ。つーか、どんな誘い文句だ、それは。」 

  色気もくそもねぇな、と言うマッドに、サンダウンとしては別に誘い文句として言ったわけでは
 ないと思う。
  サンダウンとしては、マッドを抱っこして寝ようと思っただけなのだが。しかしマッドには不純
 であると見做されてしまったらしい。そういうつもりで言ったわけでは。

    「………膝枕でも良い。」
 「それは俺があんたにするんか、それともあんたが俺にするんか。」 
 「どちらでも良いが………。」
 
     だったら交替で、と呟けば、マッドが非常に冷やかな眼で見てきた。何故に。

 「ま、膝枕くらい良いけどな。減るもんじゃねぇし。」
 「………本当か?」

  しかし続いて出されたマッドの台詞に、サンダウンはそわそわして、マッドをそのまま抱き上げ
 た。勿論横抱きである。

    「だからなんで横抱きにすんだ、てめぇは!」

  セイレーンであるマッドは、身長は高く見えても非常に軽い。やはり、飛ぶからだろうか。じた
 ばたと暴れても、あまり気にならない。
      といっても、暴れられすぎて落ちられでもしたら、困る。
  なのでサンダウンは文句を言うマッドを宥めつつ、ベッドに向かう事にした。