サンダウンの人生は、一転して薔薇色だ。
  こっそりと部屋の中を覗き込めば、しっぽはないけれども、ちゃんとセイレーンが座っている。
 今まで味も素っ気もない部屋が、セイレーンが一人いる事で、まるで豪華宮殿のように様変わりし
 ている。
  ちょこんと、所在無げにベッドに座っているセイレーンの後姿を見て、しっぽはなくともやはり
 可愛らしいと再認識して、サンダウンはしかしこれからどうしよう、と考え込んだ。
  どうやら、セイレーンの羽毛は着脱式であったらしく、彼は時折、羽毛を脱いで人間社会に紛れ
 込むといった生活を繰り返してきたようだ。今現在、彼が住んでいるセイレーンの島に来る前も、
 人間社会で生きてきたらしい。
  今回、街にやって来たのは、小皿が割れてしまって、その代わりを購入しに来ただけのようだ。
 そこは嘘でも、サンダウンに逢いに来たと言って欲しかったが、結果的に逢えたのだからまあ良し
 としよう。
  しかし問題は、マッドがセイレーンの島に帰れなくなったしまった事にある。
  別に、それだけならサンダウンとしては全く問題がない。セイレーンの島に帰れないのなら、サ
 ンダウンの傍で暮らせば良いのだ。それで万事丸く収まるだろう。 
  だが、それだけが問題ではない。問題は、マッドがセイレーンの島に帰れなくなってしまった原
 因にある。
  脱いだ羽毛が、何処の馬の骨ともしれない輩に、奪い去られてしまったというのだ。
  羽毛を脱いだマッドの背中には、当然のことながら、あの黒い翼はない。それどころか、マッド
 の下半身を覆っていたふかふかの黒い羽毛もないのである。当然、あの短くてふりふり動く尻尾も
 ない。代わりにマッドの下半身を覆っているのは、人間が着るズボンのようなものである。
  その事実は、サンダウンとしても看過しがたい。
  よりにもよって、マッドのしっぽを奪い去った輩がいるのだ。しかもサンダウンが保安官として
 努めているこの街で。これを何故みすみすと見逃せようか。見逃せるわけがない。
  なので、サンダウンはしっぽの捜索に全力を尽くす事を、マッドに約束した。
  その約束がなければ、おそらくマッドは、間違ってもサンダウンの家を宿としようとは思わなか
 っただろう。
  むろん、サンダウンの中に、しっぽを探し出したくないという思いは、本当に若干ながらあった
 のだ。
  しっぽが見つかれば、マッドはまたセイレーンの島に帰ってしまうのだ。
  それは、マッドに恋焦がれているサンダウンとしては、身を切られるよりも辛い事だった。だが、
 サンダウンにとってマッドの言葉は絶対である。それが術である呪いであるとかは、どうでも良い。
 ただひたすらに、サンダウンはマッドの言葉に忠実であり続けるのだ。
  だから、しっぽを見つけて、人間社会から離れていく事をマッドが望めば、きっと結局は引き止
 められない。
  近々訪れる、再びの別れを思って、サンダウンは小さく溜め息を吐いた。
  すると、その溜め息が聞こえたのか、ベッドに座っていたマッドが振り返り、口を尖らせるとい
 う、なんとも愛らしい表情でサンダウンを睨んだ。

 「溜め息を吐きたいのはこっちだ。よりにもよって、俺の羽根を盗みやがって……。見つけ出した
  ら、ただじゃおかねぇぞ。」

  ぶつぶつと、しょんぼりと肩を落としたまま、マッドは恨み言を吐いている。
  マッドの落ちた肩を抱いて、サンダウンは耳元であやすように囁く。

 「安心しろ。お前のしっぽは必ず見つけてやる。」
 「……羽根じゃなくて、しっぽで捉えてる事に突っ込んだら良いんか、俺は。」

    ますます下がっていく肩を抱きかかえ、サンダウンは自分は何かおかしな事を言っただろうか、
 と首を捻る。が、思い当らないので深く考えるのは止め、代わりにマッドの肩を抱き寄せて、その
 まま立ち上がるように促す。

 「……何も食べていないだろう?そろそろ夕飯の時間だ。何か食べたいものはないか?」
 「蜂蜜と、果物で良い。」

  マッドは口を尖らせたまま答えた。

 「羽根を脱いだからって食生活が変わるわけじゃねぇ。肉や魚だって食べれるけど、結局俺らの栄
  養源は花の蜜なんだ。まあ、人間社会に紛れる為には、蜂蜜だけ食ってたら怪しい眼で見られる
  から、色々食ったけど。」

  今はそんな色々食いたい気分じゃねぇし、と呟くマッドに、サンダウンは分かった、と頷く。

 「苺と、チェリーと、ブルーベリーと……あとは蜂蜜につけるクラッカーも用意させよう。」

  サンダウンはマッドの頬を優しく撫でると、件の物を用意させる為に、いそいそと助手を呼んだ。
  そんなしょうもない事で呼ばれた助手は、けれどもサンダウンの近くにいるマッドを見て、息を
 呑んだようである。何せ、自分がどうやら不愉快にさせてしまった男がいるのだ。まさか自分の失
 態を――別に失態でも何でもないのだが――保安官に告げられているのかと慌てふためく。
  そんな助手の様子など一向に介さず、サンダウンは急いで命じる。

 「何か果物を持ってこい。それと蜂蜜と、クラッカーと。」

  そわそわと落ち着きのないサンダウンは、マッドの肩を未だに抱いたまま、助手のほうなど振り
 向きもしない。
  珍しく落ち着きのない保安官の様子に一瞬怪訝な表情をした助手であったが、すぐに命じられた
 事を成す為に、慌てて果物と蜂蜜をクラッカーを準備しに出ていく。
  その様子を見ていたマッドが、小さく溜め息を吐いた。

 「………あれか。てめぇは食事も全部、助手に任せてんのか。」
 「そんなわけがないだろう。」

    如何に独り身とはいえ、サンダウンも自分一人の食事くらいは準備できる。
  ただ、それらは味も素っ気もないもので、マッドが好む蜂蜜だとか果物だとかは、サンダウンが
 すぐに持ち寄れる物ではなかった。むしろ、助手のほうがそういったものに詳しいだろうと思い、
 買いにやらせたのだが。

 「それとも、お前が自分で好きな物を買いに行った方が良かったか?」
 「いや、別にどっちでもかまわねぇよ。それより、あのガキ。あんたと俺を見て、物凄い変な顔し
  てたぞ。」

  恐らくその原因であろう、未だにマッドの肩を抱いたままのサンダウンの手を振り払い、マッド
 は苦い表情を浮かべた。
  サンダウンとしては、もう少し触れていたかったのだが、仕方がない。大人しく振り払われるま
 まになり、しかしマッドの前から立ち去らずに、マッドの心の大半を占めているしっぽ――もとい
 羽毛の事を口にする。

 「お前のしっぽを奪ったのは、恐らく非合法に亜人達の所有物を売り捌いている商人だろう。やつ
  らの居場所は以前から追いかけている。捕まるのも時間の問題だ。それまでは、せいぜい人間の
  生活を楽しんだらどうだ?」
 「人間の生活だって、別に亜人と対して変わりがあるわけじゃねぇだろ。」

  むっつりと告げるマッドに、サンダウンは少し眼を泳がせて、ゆっくりとマッドの繊細な手を取
 った。

 「……言い換えよう。しっぽが見つかるまで、傍にいてくれ。」

  こうして、サンダウンの、期間は短いが薔薇色の生活は始まったのだ。
  始まってしまえば、マッドから離れていたぐずぐずとしていた時間が嘘のように、それどころか
 今までにないほど意気揚々とし始めた。
  何せ、保安官事務所に隣接している保安官の宿舎にはマッドがいるのだ。しかも、どうやら独り
 身の生活の染みついた部屋はお気に召さなかったのか、セイレーンの島にいた時のように、サンダ
 ウンの部屋を掃除して、むさ苦しい臭いを追い出している。素っ気なかった黒ずんだ茶色い床は磨
 かれ、白い絨毯が敷かれていた。黄ばんだカーテンは全て取り替えられ、薄い青に白い模様が描か
 れた物に変わっていた。テーブルにはクロスが敷かれ、柔らかい色の花が水差しに活けられている。
  ほんのりと黄色い花を見て、お前が咲かせたのかと問えば、マッドは苦い顔で、羽根がないうち
 はそんな力もなくなるのだと答えた。
  セイレーンの不思議な生態に、そうなのかと驚きつつも、魔力がそこに結集しているから、それ
 ほどまでにしっぽが大切なんだな、と納得する。
  それに、大体サンダウンにとってはマッドの歌に魔力が籠っていようがいまいがどうでも良い。
 マッドの歌声によって呪われた人間が言う台詞ではないのかもしれないが、そもそも既に呪いに罹
 って、骨抜きにされているサンダウンには関係のない話である。
  マッドの歌声は好きだが、だからといってそれがマッドの全てではない。
  サンダウンは、マッドが傍にいるだけで幸せなのだ。
  そんなサンダウンの薔薇色ぶりは、傍目にも明白だった。助手はすぐに、サンダウンの恋煩いの
 相手が、黒髪の男であった事に気が付いたし、そうなると必然的にマッドにも周囲の眼は向くとい
 うものだ。
  正直なところ、サンダウンとしてはそれはあまり有難くない事であった。
  何せ、マッドは美人だ。
  セイレーンであるなしを抜いても、マッドは人間の言う美醜で判断するならば、紛れもなく美し
 い部類に入る。まして今のマッドは、見た目完全に人間だった。
  だから、セイレーンであるという偏見はなしにして、見る者全員がマッドに惑わされるだろう。
  マッドがサンダウンと一緒に暮らしている事は、皆が知っているだろう。そして、マッドがサン
 ダウンの為に買い物に行く事も知っているはずだ。ならばマッドはサンダウンの恋人であると思わ
 れて納得されるのが普通だろうが、しかしそれだけでは終わらないのが人間だ。
  特に議会に行くような貴族連中の中には、他人の恋人を平然と奪う輩が大勢いる。
  マッドがそんな連中について行くとは思えないが、いつ何処で馬車に引きずり込まれるとも分か
 らない。
  マッドが傍にいて幸せだと思った瞬間に、サンダウンは今度は別の心配をしなくてはならなくな
 ったのだ。
  だが、だからといって生活が薔薇色である事に変わりはない。 
  生活が薔薇色であると、仕事もその分早く進む。
  勿論、マッドのしっぽを奪った商人に行きつくのも。