「っ……放せよ!」

  マッドは、今、男に絡まれていた。

  失くした青い石を捜して、あの路地裏をちょろちょろしている時に、マッドを襲ったあの男に再
 び襲われたのだ。
  しかも今回は一人ではない。何処から掻き集めたのか、屈強でやさぐれた雰囲気を醸し出してい
 る男共を引き連れている。にやにやと卑下た笑みを浮かべる連中が想像する事など、手に取るよう
 に分かる。
  しかし石に気を取られて、しかも恋煩いの真っ最中であるマッドが、それらの魔の手から逃れる
 には些か分が悪かった。男達に気付くのにも普段よりも時間が掛かったし、何よりも銃を引き抜く
 手が男達に押さえつけられてしまっている。形の良い足も、一方を取られて抱え上げられ、何をさ
 れるかなど明白だった。身を捩っても、屈強な男達はびくともしない。

 「この前は邪魔が入ってしまったからね。今度こそ、ゆっくりと堪能させてもらうよ。」

  そう告げた、茶色い髪の男は水色の眼をマッドに近付ける。

 「ふざけんな!」
 「ふざけてなどいない。私は本気だよ。何せ、マッド・ドッグとあろう者が恋煩いをして、その相
  手はどうやら青い眼をしているという。ならば、既成事実さえ作ってしまえば、私でも十分にそ
  の相手として公認される。」
 「な………!」

  マッドは、男の口から出た台詞に、息を呑んだ。
  どうしてこの男が、自分の想っている相手が青い眼をしている事を知っているのだ。

 「何、あれだけ熱心に大切そうに青い石を見ていれば、誰だってそう思うさ。」

  青い眼を青い石に例える事は、古今東西良くある事だ。
  そう告げられて、マッドは眼の前が暗くなった気がした。
  自分が青い石を大切そうにしているところは、もしかしてサンダウンに見られていたなんて事は
 ないだろうか。サンダウンは、マッドが男に襲われてすぐに現れた。ならば、マッドが直前まで何
 をしていたのか見ていた可能性だってある。
  マッドはサンダウンに、青い石を欲しがっている奴がいるのだ、と誤魔化した。
  でも、もし、サンダウンが、マッドが青い石を熱心に見ているところを見ていて、そしてこの男
 が言い当てたようにに、マッドが想う相手を青い眼をした人物だと想定したら。それが自分の事だ
 と気付きはしないだろうか。

  サンダウンが自分の想いに気付く可能性がある。
  その事に呆然としたマッドを見て、何と思ったのか男は薄く笑い、それと同時にマッドの身体を
 弄る手が激しさを増す。
  マッドははっとして身を捩るが、それは男達を煽るだけのようで、取り囲む男達からはいやらし
 い笑みが零れ続けている。

 「嫌だ!放せ!」

  片脚を持ち上げられて脚を大きく開かされ、内腿を男達の手が這いずり回る。ジャケットを引き
 下ろされそうになり、シャツの隙間からもかさついた手が幾つも張り込んで、肌の上を探り始める。
 その手つきに、マッドは意識が遠のきそうなくらい気分が悪くなる。男達が吐く息も、マッドの嫌
 悪を煽る。
  気持ちが悪い。サンダウンに触れられた時には感じなかった吐き気が、喉の奥からせり上がる。
  やっぱりサンダウン以外に触れられるのは嫌だ。マッドはそれをもう一度確信し、同時に、もし
 もサンダウンが自分の想いに気付いたなら、やはり今の自分と同じように気持ち悪いと思うのだろ
 うかと泣きそうになる。
  そしてその間にも、男達まマッドを蹂躙しようとシャツを引き千切り、ベルトを派手な音を立て
 て外していく。嫌だ嫌だと喚いても、身体は完全に拘束されて身動き一つ取れない。

 「ぅあっ!」

  ずるりと手が寛げたシャツの中で動いて、胸の突起を掴んだ。その感覚に、マッドは思わず悲鳴
 を上げる。その様子に、男達の獰猛な気配が濃くなる。外されたベルトの隙間からも、手が入り込
 んできてマッドは眼を見開く。

  ―――嫌だ。

  口が叫ぶよりも、心が悲鳴を上げた。
  男達の手つきが、這い回るその感触が、何よりも想ってもいない相手に触れられる事が、マッド
 には耐えられない。これ以上されたら、壊れてしまう。
  悲鳴にならない悲鳴を全身から噴き上げ、マッドはぎゅっと眼を閉じた。
  瞬間、鋭い嘶きが空気を震わせる。同時に、焦ったような男達の悲鳴が。男達のマッドを弄る手
 が止まり、マッドは地面に投げ出される。その頭上を、男達の泡を食ったような喚き声が交差する。
  乾いた砂を唇に塗しながらマッドが薄っすらと眼を開けると、ちょうどマッドの身体の上を黒い
 馬体が飛び越えているところだった。その黒い影が着地する場所には、狙い過たず、先程までマッ
 ドを弄んでいた男の一人がいる。
  悲鳴を上げてその男が黒馬に薙ぎ倒され、それを見た男達は金切り声を上げて逃げ惑う。しかし、
 興奮しきった黒い馬は男達を逃がすつもりはないのか、前脚で何度も地面を蹴り、その怒りの深さ
 を物語っては男達を追いかけ回す。

 「ディオ……?」

  地面に倒れ伏したまま、マッドは宿に置いてきたはずの愛馬が此処にいる事に疑問を呈する。だ
 が、それにディオが答える事はなく、ディオは嘶きと共に水色の眼の男を追いかける。
  その光景を唖然として見ていると、ぐい、と強い力で地面から引き剥がされた。あっと思ってい
 ると、酷く不機嫌そうな顔をした真っ青な瞳がマッドを見下ろす。

 「な、んで………。」

  別れたばかりのサンダウンがまた現れた事に、マッドは混乱した表情を浮かべるが、サンダウン
 の不機嫌そうな表情は変わらない。マッドを些か乱暴に抱き上げると――おい、とマッドが焦った
 ような声を出しても止めない――サンダウンは、暴れ終わって大人しくなったディオを引き連れて
 マッドが泊まっている宿へと引き返す。

 「おい、なんであんたが此処にいるんだよ……!」

  いやそれよりもお姫様抱っこって!
  どうしたら良いのか分からない様子のマッドに、サンダウンは不機嫌丸出しの声で言った。

 「お前の愛馬が綱を引き千切って、宿の厩から飛び出していったと町の連中が騒いでいた。放って
  おいたら怪我人が出るだろうから、止めさせようとお前を捜していたら、お前の愛馬が怒り狂っ
  て路地裏に突っ込んでいくのを見た。それを追いかけたらお前を見つけた。それだけだ。」

  怒り狂っていたディオは、今は借りてきた猫のように大人しくなっている。ひとしきり暴れて気
 が済んだらしい。
  が、対照的にサンダウンの気配は相変わらず不機嫌だ。
  マッドがどれだけ降ろせと言っても、眉間に皺を寄せたままの表情で聞き入れず、そのままの状
 態で宿に入ると、宿の主人の眼を惹きつけながらマッドが泊まっている部屋に入り込む。
  サンダウンが出て行った時と、ほとんど変わらない部屋の様子。ただ、サンダウンだけがひたす
 ら不機嫌だ。ひしひしと肌で感じるサンダウンの機嫌の悪さに、マッドが身を竦めていると、突然
 マッドの身体が宙を飛んだ。

 「うわっ!」

  ぼすっと音を立ててマッドはベッドの上に投げ出される。痛みはないが、その衝撃に眼を瞬かせ
 ていると、相変わらず不機嫌なサンダウンの声が降ってきた。

 「お前は………昨日の今日だというのに、何故同じ事をするんだ………。」

  溜め息交じりの声は、サンダウンがどうにかして怒りを抑えようとしている所為だろう。尤も、
 それは今のところほとんど成功していないが。
  マッドはベッドの上に身を起こし、サンダウンの台詞の意味に気付いて俯く。
  確かに昨日、あの男に襲われたばかりだ。にも拘らず同じ場所でまた同じ男に襲われたとなると、
 それは間抜けとしか言いようがない。

 「マッド、いい加減にしろ。」

  低い声が近付いてきて、マッドの顎を取る。

 「………最近のお前は、おかしい。」

  マッドが一番良く分かっている事を、その元凶に指摘され、マッドは唇を噛んだ。此処で、お前
 の所為だと言えたらどんなに楽か。だが、それが出来ない事はマッドが一番よく知っている。男に
 想われて気持ち悪いと思う気持ちは、先程嫌になるほど身体に叩きこまれた。
  硬い表情で俯いたマッドの耳に、サンダウンの溜め息が聞こえる。きっと、呆れているのだろう。
 マッドだって呆れている。融通のきかない自分の想いに。せめて想いが薄れていくのなら救いよう
 があるのに、全然落ち着く兆しがない。石ころ一つに影を重ねて、それ一つに一喜一憂しているな
 んて。

 「………少し、落ち着いた方が良い。」
 「うるせぇ……。」

  出来るものなら、とうの昔にやっている。
  そう告げれば、サンダウンが顔を顰めた。

 「………荒野を離れたらどうだ。距離を置いて、落ち着いて考える時間を持ったほうが良い。」
 「そんな事………。」

  もしも離れている間に、その身に、何かあったら。
  口籠るマッドに、サンダウンはそっと手を頭に乗せる。優しく撫でる手つきに、男達に弄られて
 いた時とは全く異なる、安堵が湧き上がる。そのまま胸に顔を押し当てて、懐いてしまいたい。
  そう思っていると、まるでマッドの心を読んだようにサンダウンの手がマッドの後頭部へと滑り、
 そのまま引き寄せられる。望みどおり身体を支えられ、マッドは呆然としながらも身体は素直にサ
 ンダウンの腕の中に収まる。
  頭を撫でられる感覚にうっとりとして、サンダウンの胸に顔を押し当て、埋める。乾いた砂と葉
 巻とアルコールの匂いを鼻腔の奥まで満たし、溜め息を吐いて、もう一度顔を埋める。
  その時、ふと、何か固いものが顔に当たった。
  怪訝に思って顔を動かすと、サンダウンのシャツの隙間から何かが転げ落ちた。それを眼で追っ
 て、マッドは凍りつく。
  ゆっくりと床に転がり落ちて、硬い音を立てたのは、丸みを帯びた真っ青な、地球儀のような石。
 それが何度か跳ねながら、ベッドの下へと転がり落ちていく。

  ―――なんで。

  この問いかけをサンダウンに向けてするのは、一体何度目か。
  なんで、失くしたはずの石を、サンダウンが持っているのか。サンダウンは知らないと言ったは
 ずなのに。
  サンダウンの胸から顔を上げ、問い掛けるように見上げれば、サンダウンの眼に微かな動揺が走
 ったのが見えた。その動揺が、サンダウンが最初から――マッドが失くしたと告げた時から、この
 石を持っていた事を物語っている。
  その瞬間、マッドの中で何かがすとんと当て嵌まった。
  自分を襲った男が、青い石を見ていれば誰でも青い眼の人物を想っていると思うと言った事。
  その石が、サンダウンの手の中にあって、その事をマッドには言わなかった事。
  そして、荒野から――ひいてはサンダウンから離れろと言った事。
  つまり、サンダウンは、マッドの想いに気付いたのだ。マッドが誰を想っているのかに気付いて、
 それでマッドから想いの塊である青い石を奪って、そして離れろと言っているのだ。ひいては、マ
 ッドに想われている事に、嫌悪とまではいかなくとも、それに近しい感情を抱いているから。

  見上げている顔が滲み、マッドは慌てて顔を逸らした。
  嫌悪の対象となりえる事は、十分に理解していた。けれどもどうにか誤魔化せていると思ってい
 たから――さっきまで優しく触れられていただけに――喉元から広がる痛みは、これまでの何倍も
 酷い。唾を呑みこむたびに、眼の前の滲みが深まっていく。
  それでも何とか堪えていると、サンダウンの困惑したような声が聞こえてきた。

 「マッド……これ、は………。」

  サンダウンとしても、この石を見られた事は想定外だったのだろう。どうにかして取り繕おうと
 言葉を探している。
  その様子に、マッドはそんな事しなくて良いのだ、と呟く。
  その言葉に、サンダウンが眉根を顰めた。

 「何………?」
 「もう、そんなまどろっこしい事しなくても良いって言ってんだよ。」

  どうにか声が出せた。ずきずきと痛む喉を我慢しながら、再び滲みそうになる視界を瞬きで誤魔
 化しながら、マッドは自嘲気味に告げる。

 「悪かったな、気持ち悪い思いさせちまって。分かったよ。当分は、あんたの前には現れねえよ。」
 「………マッド?」

  サンダウンの胸に手を突いて、身を離そうとするマッドの様子に、サンダウンの声にも訝しむ色
 が浮かぶ。本当に何も分かってないような素振りに、マッドは哀しみを通り越して怒りさえ覚える。

 「っ……だから、もう、そんな演技もしなくて良いって言ってんだよ!あんたが、俺をどう思って
  るのかは、良く分かったから!」
 「……………!」

  途端に見開かれるサンダウンの眼。そして次いで、あたふたと忙しなく動き始める。今度こそ、
 何かを取り繕おうとしているようだ。

 「マッド、私は………。」
 「だから、そんなふうに、もう俺についてぐだぐだ考える必要はねぇんだよ!俺はあんたの前には
  現れねぇ!気持ち悪ぃんなら、そう言っても良いんだよ!罵り倒したって、文句は言わねぇ!お
  かしいのは俺だって分かってるんだから!」
 「………待て、お前は、私がお前をどう想っているのか気付いたんじゃないのか?」

  うろたえていたサンダウンだったが、マッドの台詞に怪訝な表情を浮かべる。
  だが、マッドはそんな事には気付かない。

 「ああ、気付いたよ!まどろっこしい言い訳までして、俺を遠くに引き剥がしたいくらい、俺を嫌
  ってるって!」

  撃ち殺す事も嫌なくらい、それならば適当に誤魔化して遠くへやってしまおうと思うくらい、嫌
 われている。

 「………マッド、私は、何か、おかしい気がするんだが。」
 「ああ、悪かったな、おかしくて!どうせ俺はおかしいよ!変態だろうよ!でも、仕方ねぇだろ、
  好きになっちまったもんは!」

  嫌われたくなかった。だから黙っていた。けれども気付かれた以上、それならこれ以上嫌われな
 いように、遠くに行くしかない。
  堪えていた喉はいよいよ痛くて、霞んでいた視界からは遂にぼろぼろと涙が零れ出す。子供でも
 ないのに、涙は言う事を聞かずに止まらない。その間も喉の痛みは何かがつかえたかのように増し
 ていく。
  しゃくり上げる直前の、か細い息を零しながら、マッドは今にも吐き出されそうな喉の痛みを抑
 え込もうとする。だが、もう、止まらなかった。
  好きになってしまったのだ。
  どれだけ嫌われると、気持ち悪いと思われると理解していても、止められない。

 「仕方ねぇだろ、あんたを、好きになっちまったんだから………。」

  零した瞬間に、つかえがなくなったかのように、しゃくり上げる音が引っ切り無しに湧き上がっ
 てきた。滲んだ視界は、もう何が映っているのか分からない。
  だから、サンダウンが眼を瞠った事にも気付かなかった。