サンダウンは、まだ咲き揃ってもいない薔薇を無言で眺めた。
 マッドに良く似合うと思って買ってきた薔薇は、まだ蕾ではあったが確かにマッドに良く映えてい
た。その事実にサンダウンは満足し、マッドを薔薇で埋もれさせたのだが、しかしその後、出ていく
マッドに、薔薇が枯れるまでに戻ってきてくれ、と言ったのがいけなかった。
 薔薇というのは、一体いつ枯れるのか。
 じりじりしながら、そんな事を思う。
 大体、サンダウンはこれまで薔薇なんぞ買った事がないし、貰った事もない。勿論、飾った事もな
い。だから、薔薇が枯れるまでに、どれくらい時間がかかるのかも分からない。
 見下ろす薔薇は、未だ蕾のままで、そろそろ開こうかという頃合いだ。枯れるまでには、どうみて
も時間がかかる。
 薔薇が枯れるまで、とサンダウンはマッドに言ったから、薔薇が枯れるよりも先にマッドが帰って
来ても何も問題ない。 
 しかし、とサンダウンはマッドの様子を思い出して、果たしてそれは叶うだろうか、と思う。
 今のマッドは、触れるだけでもふるふると震えて、泣き出しそうな顔をする。それはサンダウンに
してみれば愛おしい以外の何物でもないのだが、一方でそこまで追い詰めているという事実でもある。 
サンダウンも、マッドを拘束しすぎたという自覚があった。
 だからこその、この離れるという期間。
 拘束していたマッドを、少しばかり腕から離した。勿論、抵抗はあったが、縛り付けてそのまま弱
らせるなんていう身勝手な事は出来ない。ただ、薔薇が枯れるまでには戻ってきてくれと言って、手 
を離した。  
 眼がいつも潤んでいるようなマッドが、何か不安を感じ取ってサンダウンの元にすぐにでも戻って
くるというのなら、それはそれでいい。その時は、何も不安に感じなくてもいいのだ、とこれまでも 
何度も繰り返した――しかし未だマッドには伝わらない言葉を、マッドを腕に閉じ込めて囁けば良い。
 だが、それはサンダウンにとって都合の良い方向に事態が転がった場合の話である。
 マッドは、不安に思った時に、サンダウンの元にやって来るということは、きっとしないだろう。
これまでのマッドを見ていれば、何か悲しいことを考えている時に、サンダウンを頼るという事はし
てこないだろうと思う。きっと、不安に駆られても、サンダウンの元には戻ってこないだろう。戻っ
てこないまま、一人で俯いて唇を噛み締めている。
 サンダウンは、マッドの眼が潤むのを止められた試しがないのだ。
 今何処かでマッドが身を丸くして、悲しい未来の事を考えて、眼を潤ませていても、仮にその場所
にサンダウンが立てたとしても、マッドは眼を潤ませるばかりだろう。
 何を言っても、マッドはサンダウンに関わる事で、悲しいことを考えずにはいられないのだ。
 一人でいるほうが、よっぽどか悲しい思いに囚われるだろうに、と思う。しかし、サンダウンに関
することであり、しかも未だマッドとサンダウンの距離が縮まらない以上、サンダウンが居てもマッ
ドはやはり不安を膨らませるだろう。
 そう考えれば、恐らくマッドもそう思っているだろうから、すぐにサンダウンの元に帰ってくると
は思えない。
 マッドは、薔薇が枯れるまでの間、精一杯にサンダウンとのことを考えて、その身体一杯に不安な 
未来を夢見るのだ。その夢の果てに、マッドはどんな答えをサンダウンの元に持ち帰ってくるのだろ
うか。 
 サンダウンのいる未来が存在するのだと思うだろうか。それともその夢の背後に、やはり拭い去れ
ない不安を見て取るだろうか。
 それとも。
 サンダウンは、棘の取れていない薔薇を見る。真っ赤な蕾は、噛み締められたマッドの唇のようだ。
マッドは今も、そうして不安を腹の底でどうにかして消化しようとしているのかもしれない。
 その果てに、サンダウンの元に煮え切らないままも、戻ってきたなら良い。
 だが。
 サンダウンは、潤んだマッドの黒い眼を思い出す。濡れた眼はいつも何かを思いつめていて、悲し
いことを考えている事は分かるが、それでどうしたいのか、サンダウンには分からない。
 だから、マッドが薔薇が枯れるまでの間に何を考え抜いて、どんな答えを出すのか、サンダウンに
も分からない。いや、答えが出たとして、それを果たしてサンダウンの元に提示してくれるだろうか。
 薔薇が枯れると同時に、音もなくその姿が消えてはいまいか。
 そう考えると、身震いした。
 マッドはいつだって、サンダウンから逃げようとしていた。こちらを見ながらも、けれども身体は
遠くに逃げようとしていた。魂はきっとこちらに残っているのだろうが、身体はまるでサンダウンの 
手元には残らない。その可能性がある。
 サンダウンは、とうとう立ち上がった。
 そして立ち上がったところで立ち止まる。
 このまま、薔薇が枯れるまでなんていう言葉を無視して、マッドを連れ戻しに行けたならどれほど
良いだろうか。しかし、それでマッドの元に行った時、約束を反故にしてやって来たサンダウンを見
てマッドはどう思うだろうか。
 喜ぶか、悲しむか。
 きっと、その両方だろうと思う。
 だが確かにマッドはこう思うはずだ、嘘を吐いたのか、と。薔薇が枯れるまでというのは、嘘なの
か、と。
 約束を反故にしてもお前に逢いたいのだと言えば、その頬はそれこそ薔薇のように紅潮するだろう。
しかし、サンダウンが嘘を吐いたのかという思いは消えないだろう。 
 しかし、それならば、このままみすみす、マッドが何処か遠くに行ってしまうかもしれない状況を
見過ごせばよいのだろうか。いや、そんな事は許されない。誰が許したとしても、このサンダウンが 
許せない。何を許せないのかといえば、自分から離れようとするマッドもだが、未だマッドに信じて
もらえない自分自身を、だ。
   だから、サンダウンは帽子を取り、ポンチョを羽織り外に出ていく事に、今度はなんら躊躇わなか
った。昨日の今日で現れたサンダウンを見て、マッドは眼を見開き、その眼を潤ませて震えるかもし
れないが、それについてはなんとでも言える。マッドが何処かで一人ぐずっているくらいならば、サ
ンダウンは自分が嘘つき呼ばわりされたほうがましだった。
 マッドがゆるりと背を向けている姿が、瞼の裏に一瞬だけ映った。
 今、何処で何をしているのかは分からないが、今から追いかければ少なくとも、薔薇が枯れるまで
には追いつく事ができるだろう。 
 この薔薇は無駄になったな、と思考の隅で思った。
 だが、すぐに、今度はきちんとした薔薇を贈れば良いだけだ、と思い直した。今度は、マッドが返
答出来るようなものを。
 外は日が暮れたばかりで、夜明けはまだまだ遠い。
 だが、不思議と道には迷わないような気がした。