マッドは重たい瞼を持ち上げた。なんだか熱を持って腫れぼったくなっているような気がする。
 それもそのはず、眠りに落ちるその瞬間まで、マッドは眼をうるうるさせて、ぐずっていたのだ。
瞼が腫れぼったくなりもしよう。おまけに、眼はまだ湿り気を持っているのか、妙に視界がうるんで
いる。
 眠る直前まで、マッドはサンダウンとの事を考えては、自己嫌悪と不安に駆られていた。
 これからの事を考えて眼を潤ませるなんて事は、今更の話だ。男のくせになんて女々しいんだ、と
思うが、仕方ない。マッドはそれほど、サンダウンの事が好きなのだ。
 だが、問題はこんなマッドを見てサンダウンがどう思うか、である。
 幸か不幸か、今、マッドの近くにサンダウンはいない。その事はマッドを少し落ち着かせると同時
に、新たな不安も運んでくる。
 サンダウンが傍にいたら、マッドの心は全く落ち着かない。サンダウンはいつもマッドを抱きしめ
て、自分はマッドの事が好きなのだ、と言う。
 マッドもサンダウンの事は好きだが、そんな事をされて落ち着いていられるほど、自分に自信はな
い。大体、マッドもサンダウンも男だ。マッドがサンダウンの事を好きであるという事実について、
サンダウンが本当に好意的に持っているかとうか、疑わしい。
 マッドは、サンダウンを疑っている。いや、疑っていると言うよりも、それはやはりマッドが自分
自身に対して、サンダウンが好きになるはずがないと思い込んでいる。だから、こうしてベッドの中
で潜り込んでいるマッドを見て、サンダウンが女々しいと呆れるのではないかと思い、心をすり減ら
しているのだ。
 が、一方でサンダウンが傍にいたら、こんな事を思っているとすぐに、悲しいことを考えるな、と
言われてしまう。そしてそのまま、顔中に口づけられるのだ。そうなってしまえば、マッドの頭の中
は許容量を超えてしまい、それこそ何も考えられなくなる。
 なので、サンダウンの傍と言うのは、基本的に考え事には向かない。そう思ってサンダウンの傍を
離れて、こうして一人、安宿に泊まっているのだが。
 サンダウンから離れても、こうしてうじうじと、全く建設的でない事を考えていたら、結局は同じ
事だ。
 そう思い、マッドは再び自己嫌悪に陥る。
 自分は、こんなにも女々しい男だっただろうか。賞金稼ぎマッド・ドッグがこんな女々しい男だな
んて世間に知られたら。だが、今のマッドは世間よりもサンダウンにどう思われているかのほうが重
要だ。サンダウンに、女々しいと思われるのは嫌だ。けれども、どう考えても今の自分は女々しい。
 こんなの、ちっともサンダウンに好かれるような男じゃない。
 サンダウンの好みというのを全く知らないが、少なくとも女々しい男は好きじゃないだろう。
 マッドはベッドに潜り込んだまま、再び眼が潤んでくるのを感じた。自分が女々しいという事実と、
サンダウンの好みを知らないという事実に気づかされ、ますます落ち込む。

 もう嫌だ。眠ってしまおう。

 眠ってしまえば、少なくともこんな事をうじうじと考えずに済むのだ。腫れぼったい瞼は、まだ寝
ていた方が良いと告げている。
 でも、とマッドは考え直す。
 そもそも、こうしてマッドが一人でいるのは、これからの事をきちんと考える為ではなかったか。
マッドはその為に、サンダウンから離れて、一人で街にやって来たのだ。サンダウンに送られた薔薇
が枯れるまでの期間。それがマッドがサンダウンから離れる事を許された時間である。
 薔薇が枯れるまでの時間、というのがどれくらいの期間なのか、マッドには分からない。
 サンダウンがマッドにと手渡した薔薇は、そのほとんどがまだ蕾だった。蕾が開いて花が散るまで、
一見すればかなり時間がかかるように思う。だが、そう思っていたらあっという間に花が散っている
という事だってある。花というのは、案外に周りの気温に左右されるものだ。
 それに、サンダウンが本当にそそれだけの帰還待っていてくれるかどうか。
 花が枯れるまでに帰ってきてくれ、とサンダウンは言った。枯れたら、きっと問答無用でサンダウ
ンはマッドを連れ戻しにかかるだろう。しかし、それよりも早くにマッドを連れ戻しに来るという事
はないだろうか。
 そんなには、待てない、と言って。
 そうやって迎えに来てくれる事が、嬉しいことなのか悲しいことなのか、マッドには、やはり分か
らなかった。
 サンダウンが、マッドがいない事に耐えられないと言うのなら、それはマッドにとっては諸手を挙
げて喜ぶ事のように思えたが、一方で花が枯れるまでという約束を反古にしたのかとも思う。マッド
との約束など、所詮その程度なのか、と。
 結局、喜ぶことも悲しむことも出来ないだろうマッドは、きゅっと唇を噛み締めると、そんな事は
どうだって良いじゃないか、と自分に言い聞かせた。

 どうせ、もうすぐ終わる。

 マッドは、薔薇が枯れる時が、この関係が終わる時だと思っている。
 サンダウンの思惑は分からない。だが、サンダウンが本気で自分の事を好きだと思っているとは、
微塵も思っていない。
 いや、サンダウンも自分の事が好きだというのが、本当だったらいいな、とは思っている。つまり、
とどのつまりマッドはサンダウンの言葉を信じ切れていないのだ。
 それに、終わるものだと思っていたほうが、サンダウンがやっぱり本気でなかったと告げた時に被
るダメージも少なくてすむというものだ。マッドは、その程度の覚悟と予想で、いざサンダウンから、
本気じゃなかったと告げられた時のダメージが軽減されるだなんて思ってはいなかったが、それでも
まるっきり信じ込んでいた時よりも、ましだろう。少なくとも、衝撃のあまり涙も出ないなんてこと
はないだろう。
 それとも。
 マッドは、むくりとベッドの上に身を起こしながら、ぼんやりと思う。ちらりと見た窓の外は、も
う薄暗い。ぐずって眠っているうちに、世界は夜を迎えていたようだ。何か食べに行こうか、と思っ
た直後、電撃のように脳裏に閃いたのは、自分が不用意に口に出した言葉だった。

『あのおっさん、ここ最近はずっと俺の塒で寝泊りしてたからな。昨日も一緒だった』

 そう、これが、マッドがベッドに潜り込んでうじうじする原因の一つだった。自分に絡む男が鬱陶
しくて、思わず口走った真実の言葉。
 冷静になればなるほど、これはどう考えても自分とサンダウンの仲を好きにとってくれ、と言って
いるようなものだった。しかもこれを吐き捨てた時、マッドはまるっきり余裕がなかった。この時、
皮肉めいた笑み一つでも浮かべていたら、相手をからかっただけで済んだだろうが、そんなこと言っ
たってもう遅い。マッドは鬼気迫る表情で言い放ってしまった。
 無駄に名前が売れている自分とサンダウンの事だけあって、マッドのこの台詞は、音の速さで西部
を駆け巡るだろう。そこまでいかずとも、この町の中でももう噂になっているかもしれない。
 サンダウンとマッドができている。
 こんな噂を立てられるだけでも、マッドとしては身悶えしそうである。だが、それ以上にこの事が
サンダウンの耳に入ったら。目下、それが重要である。しかし、サンダウンの耳に入らぬなんて都合
の良いことがあるだろうか、いや、ない。
 サンダウンがこの噂を聞いたら、怒るだろう。マッドの事を好きだと言っているが、それが勘違い
だと気が付いて、心底呆れ、怒りを腹に溜めるだろう。なんて事を言ってくれたのか、と。
 その時の、サンダウンの剣幕にマッドは耐えられるだろうか。きっと耐えられない。サンダウンの
怒りを最後まで聞き届けずに、途中で心臓が止まるかもしれない。
 いっそ、心臓が止まってしまえば楽だろうが。
 だが、実際そうはならない事は分かっている。マッドは心がぽっきりと折れたまま、怒りを立ち昇
らせたサンダウンの後姿を見送るしかないのだ。
 耐えられない光景だが、抱えるしかない。死ぬほどの痛みを味わったとしても、人間はそんな事で
死んだりはしないのだ。
 だから。
 マッドは、つい先程思考の隅を横切った事を思う。それは最低で卑怯な方法だ。だが、もはやそれ
以外に自分が救われる方法はないようにも思えた。

 このまま、サンダウンの前から消えてしまえ。

 荒野で生きている以上、噂を聞かずに生きていく事は出来ないだろうが、しかし姿を見せずに生き
ていく事は出来るだろう。荒野は広い。薔薇が枯れるまでの間に、サンダウンとの距離を広げていれ
ば、サンダウンとは異なる場所で生きる事は出来るだろう。
 ただ、それはサンダウンに対する大きな裏切り行為のようにも思えた。サンダウンは、もしかした
らマッドが戻ってくると信じ込んでいるかもしれないのだ。
 尤も、それはマッドの都合の良い想像かもしれない。サンダウンは、もう薔薇の事など忘れて、一
人で何処かに行ってしまっているかもしれない。そんな行動は、サンダウンらしくなかったが、一方
で、マッドとの約束を守っているサンダウンもまた、信じられないもののように思えた。
 マッドはしばらくの間、何もない床の一点を見つめていた。眼が乾くほどに見つめ続け、床の模様
がもはや分からぬほどに見つめた後、ベッドから降りる。意を決したように、ジャケットを掴み取る。
いや、意を決するも何も、マッドはもう、こうやって卑怯に生きる事を選んでしまった。
 こと、サンダウンの事に関しては。
 マッドは今宵、サンダウンとは全く別方向に、ひた走る。