マッドは安宿に転がり込んで、一人で勝手に落ち込んでいた。
  幾らカッとしていたとはいえ、馬鹿な事を口走ってしまった。
  酒場で纏わりついてきた若い男が、鬱陶しかった事は事実だ。とは言っても、普段ならば――マ
 ッドが恋煩いなんてものをしていなければ、あれくらいの事で怒り狂ったりはしないし、適当にい
 なしてそれで終わりだっただろう。
  だが、マッドは今現在、恋煩いに掛かって重篤な状態だ。しかもそれは、自らサンダウンの傍を
 離れるという事をした所為で、更に悪化してしまった。
  サンダウンが傍にいたらいたでまるで落ち着かないのだが、いなければマッドの中には不安しか
 存在しない。
  サンダウンの事をじっくり考える為に距離を取ったはずなのに、じっくり考える事が出来る心境
 ではない。
  考えているのはサンダウンの事だけなのに、サンダウンとの関係をどうこうするというふうに、
 冷静に考えられないのだ。
  酒場に入っても、結局アルコールも葉巻も、人との会話も女の香水も楽しむ事が出来ないまま終
 わってしまった。サンダウンがいない所為で。
  サンダウンの事を信じていないのに、サンダウンがいないだけでこんなふうになるのかと、自分
 の事を情けなく思っている思っている時に、全く見ず知らずの男から、まるで知ったふうに自分の 
 事を言われて、そこにサンダウンの事を絡められて、挙句の果てにサンダウンを撃ち取っただのな
 んだの、まるっきり嘘でしかない事を言われて。
  あの時、確かにマッドは不機嫌だったのだ。
  全く、どんな余裕も持っていなかった。
  だから、後先考えずにあんな台詞を吐いてしまったに違いない。

 『あのおっさん、ここ最近はずっと俺の塒で寝泊りしてたからな。昨日も一緒だった。』

  自分が酒場で吐き捨てた台詞を思い出して、マッドはベッドの上で頭を抱えた。そのまま枕に顔
 を押し付けて、ぐりぐりする。  
  今なら、はっきりと後悔する事が出来る。
  なんで、あんな台詞を吐いたのか、と。
  あの台詞を額面通り、単純にサンダウンとマッドがずっと一緒にいると受け取る輩が何処にいよ
 うか。いや、額面通り受け取られたとしても、サンダウンとマッドが実際のところ、賞金首と賞金
 稼ぎである以上、なんで一緒にいたりするんだ、という疑問は必ず湧き上がってくるだろう。
  それに対して、ただ偶々一緒にいただけと考えてくれる者が一体何人いようか。
  毎日決闘でもしていたんだな、と思ってくれる人間に至っては、きっとゼロに等しいだろう。
  絶対、ほとんどの人間が、間違いなくサンダウンとマッドはできている、という考えに収まるだ
 ろう。まるでぴったりと合う箱と蓋のように。
  確かに、マッドはサンダウンに対して恋煩いをしている。そしてサンダウンも、マッドの事は好
 いてくれているらしい。
  そういう意味では、二人が出来ていると思うであろう荒野の大部分の人間の考えは、まるで見当
 違いと言うわけではない。 
  が、問題は――これまでも常々問題となっていて今もマッドを悩ませているのだが、サンダウン
 が本当にマッドの事を、口で言うように好いてくれているのか、という事だ。
  サンダウンは、延々とマッドの事を好きだと言い続ける。マッドがその言葉を信じ切っていない
 事も知っている。そしてマッドがサンダウンの事を好きな事も知っている。だから何度もマッドを 
 抱き締めて口付けて、一体何処で覚えてきたのかと思うような甘ったるい言葉を耳元で囁く。
  しかし、それでもマッドはやっぱりサンダウンの言葉を信じられない。 
  信じて欲しいと訴えて、何度もマッドが信じられるような行動を取ろうと努力してくれているけ
 れども、臆病で疑り深くなってしまったマッドは、その行動を信じられないのだ。
  何故信じられないのか、と問われれば、マッドが臆病だから、と答えるしかない。
  この先、延々とそうやって信じる信じないの遣り取りを続けていくわけにはいかない。
  だが、それでも、その遣り取りが二人の間に収まっている間は、それで良かった。いつか途絶え
 るであろうけれども、まだ先の事だと思っていられた。
  けれども、他人に二人の関係を感付かれるような事をしてしまえば、もはや信じる信じないの綱
 引きを続けるのは厳しいだろう。
  世間一般に、二人が出来ているのだと思われていると、サンダウンが知ってしまったら。
  マッドはその瞬間を想像し、身震いした。
  マッドの事を本気で好きだと言うのなら、それほどまで大きな問題にはならないだろう。サンダ
 ウンが秘密にしたいと思っているのならば謝らなくてはならないが、けれどもマッドの行く所行く
 所ついて行こうとしている男だ。そこまで怒らないのではないかと甘く考えている。
  けれど、サンダウンが実はマッドの事など好きではなくて、ただ暇つぶしにこんな事をしている
 と言うのなら。 
  マッドは、それを想像して眼をうるうるさせた。
  きっと、今度こそマッドから離れていってしまうだろう。こんな面倒臭い事は御免だと言って。
 お前の為に変な噂を立てられるのは嫌だと言って。
  これは別に自分だけの所為じゃない、とマッドが訴えても、きっとサンダウンの耳には入らない
 だろう。好きじゃないんだから、マッドの言葉なんて聞いてくれるわけがない。
  マッドが首からぶら下げている指輪だって、サンダウンにとっては忌々しい、そして嘲笑のネタ
 でしかないのかもしれないのだ。
  サンダウンに突き放される。
  その瞬間を想像して、マッドは想像だけで切り裂かれた。ああ、あんな台詞を人前で言うんじゃ
 なかった、とひしひしと後悔が押し寄せてくる。だが、放たれた言葉が掻き消せるはずもないのだ。
 今頃、風のようにあちこちに広まっているだろう。
  このまま、何処かに逃げ出してしまいたい。
  薔薇が枯れるまでに戻ってきてほしい、とサンダウンは言っていたけれど、その言葉など聞かな
 かった事にして、サンダウンの顔を見ずに逃げてしまいたい。サンダウンがいないという状況はマ
 ッドにとっては苦痛以外の何物でもないだろうが、だが、噂を聞いた時のサンダウンの豹変を見る
 方が怖い。
  が、同時にマッドは分かってるのだ。
  これこそ良い機会ではないか、と。
  このまま延々と続く状況が、これで終わるのではないか、と。
  マッドとて、こんな宙ぶらりんの状況が続くなんて思っていない。いつかは何処かで終わらせね
 ばならない。ぐずぐずと、ベッドでいじけているような状態が、本当に良いとは思っていない。そ
 ろそろ決着を着けなくてはならないのだ。

  でも、やっぱり怖い。

  マッドは、その時の事を考えて、もう一度眼をうるうるさせて身を震わせた。
  サンダウンに睨まれる、のはまだ耐えられる。でも、侮蔑や嫌悪の眼で見られるのは、多分酷く
 堪える。 
  面と向き合って、顔も見たくない、と言われたら、どうすれば良いのか。
  以前のように、笑って皮肉気に返す事は、絶対に出来ない。
  向き合うには、もう少し時間が欲しい。

  そう言えば、サンダウンは薔薇の花が枯れるまで、と言っていたな。

  薔薇の花が、一日二日で枯れるとは思えない。サンダウンがきちんと世話をしていれば、の話だ
 が。
  その期間が、マッドがサンダウンに向き合う為に残された時間だろう。それは、マッドが最初に
 計画していた、サンダウンと距離を置いて、サンダウンの事について考える、という事と図らずと
 も一致した。

  薔薇が枯れるまで。

  マッドは自分にそう言い聞かせて、またぐずぐずとサンダウンの事を考え始めた。
  終わりが近づいていると思いながら、けれども終わるまでの甘い夢を見る事は、マッドには出来
 なかった。