「マッド。」

  サンダウンの低い声が、毛布に包まっているマッドの耳朶を打った。
  一晩中、マッドに離れないでくれと焦がれるような声で囁き続けた男から身を守るため、マッド
 は毛布で自分の身体を包んだのだ。
  マッドが例え薄い布一枚とはいえ、自分から離れる事を嫌がるサンダウンは、それを止めるかと
 思ったのだが、以外にも毛布に包まったマッドを剥く事はなく、代わりに毛布ごとマッドを抱き締
 めて、延々と囁き続けたのだ。
  そして夜が明けたその朝。
  サンダウンはマッドの頭と思しき毛布の一分に顔を近付け、優しくその名を呼んだ。その声に、
 一晩中まんじりともせずに毛布の中にいたマッドは、思わずびくりと反応してしまう。マッドの反
 応に、毛布越しにでもサンダウンが小さく笑うのが分かった。
  サンダウンはマッドの頭らしい場所を撫でると、その部分に軽く口付けを落とした。サンダウン
 のその行為は、勿論マッドにも伝わっている。なので、マッドはサンダウンからの口付けに、また
 毛布の中でびくりと反応した。

 「マッド。私は少し出かけてくるが、お前はどうする?」

  一緒に行くか、と。
  その誘い文句はマッドが初めて聞くものだった。いつもなら、有無を言わせずにマッドを連れて
 いくのに。いや、そもそもサンダウンはマッドが何処かに出かけるのについてくる事はあっても、
 自ら何処かに行こうとする事自体がない。サンダウンは、マッドを小屋の中に閉じ込めて、一緒に
 閉じ籠っているのが好きなのだ。
  マッドは、それを良く知っている。
  しかし、同時に、それはマッドに対する嫌がらせ、或いはからかいなのではないのかと疑ってい
 る。ほんの少しだけ。

 「此処に一人で残るか?眠っていても良いが……ちゃんと鍵を掛けるように。」
 「……俺は子供じゃねぇんだ。」

  サンダウンの言葉に、小さく反論すると、毛布越しのサンダウンは小さく困ったようだった。き
 ゅっとマッドを抱き締めながら、囁く。

   「お前が、心配なだけだ。」

  マッドの頭らしい部分を抱き締めて撫でながら、サンダウンは呟く。

 「……それとも、お前も何処かに出かけるのか?」
 「あんたには関係ねぇだろ。」

  マッドが何処に行こうが、本来ならサンダウンにとやかく言われる筋合いはないのだ。それに、
 マッドが何処に行こうがサンダウンはついてくる癖に。
  しかし、マッドの予想に反して、サンダウンはマッドの行き先について言及しなかった。

 「そうだな……。ただ、ちゃんと此処に戻って来る事を約束して欲しい。」
 「は?」

  思いもよらないサンダウンの台詞に、マッドは思わず毛布から出て行きそうになった。が、それ
 をした瞬間にサンダウンに捕まりそうで、辛うじて堪える。
  そんな事よりも、サンダウンは何と言っただろうか。
  その台詞から察するに、サンダウンはマッドが何処かに行く事に特に反対する気はないらしく、
 また、サンダウンはマッドについてくるつもりはないようだ。
  いつもは、何が何でもマッドにひっついてきて、果ては賞金首の癖に保安官事務所までついてく
 るのに、一体何事か。行き先まで聞かないとは一体どうかしたのか。先程サンダウンは出かけると
 言ったが、それはマッドよりも優先すべき事なのか。 
  或いは。
  少しも素直にならないマッドに、そろそろ嫌気が差したのか。
  途端に、マッドの眼元が潤んだ。
  いくらサンダウンに対して、可愛げのない事を言ってみたり、サンダウンの言う事を信じていな
 いのだと言ってみても、だからといってサンダウンに嫌われたり、サンダウンが離れて行ったりす
 る事は、マッドにとっては身を切るように辛い。
  自分の悲嘆に暮れた考えに、うるうるしていると、サンダウンが何かを悟ったかのように毛布越
 しに眼元に口付けてきた。

 「安心しろ……私は、此処に帰って来る。だから、お前も、帰ってきてくれ。」
 「好きなとこに勝手に行けば良いだろ。俺だって好きなとこに勝手に行くんだから。」

  だが、マッドの口から出てきたのは、やはり可愛げのない言葉だった。
  自分のひねくれ具合に、マッドはしばし毛布の中で落ち込んだ。そんなマッドにサンダウンはも
 う一度口付けを落としてから、そっと身を起こす。

 「夕方には戻って来る。」

  出ていく間際に、もう一度マッドに近付いて、囁き置いからサンダウンは扉を開いた。軋んだ音
 が毛布越しに聞こえて、それから硬質な足音が離れていく。距離が開く感じをまざまざと見せつけ
 られ、マッドはぽてりと毛布の中で沈んでいた。
  沈みながら、マッドは自分の可愛げのなさを取りあえず棚に上げて、心の中で悪態を吐く。
  離れないでくれって言った癖に。
  昨夜、散々聞かされた言葉を思い出し、それを吐いた張本人が、たった今、平然と離れていった
 事実にマッドは憤然とする。サンダウンがマッドから身を離したのは、恐らくそれがマッドの為に
 なると思ったからだろう。四六時中サンダウンと一緒にいる事に、マッドが苦痛を覚えていると、
 昨夜の遣り取りの果てにそう思ったとしても不思議ではない。
  だが、マッドにしてみれば、我儘かもしれないが気分が治まらない。
  今までぴったりと自分に寄り添っていた身体が、散々離れたくないと口にした後に離れていった
 のだ。釈然としない部分がある。
  大体、マッドが此処で大人しくしているだなんて思っているのか。サンダウンがいなくなった途
 端、何処かに行くと思わないのか。約束してくれだ何だと言っていたが、別にマッドにはサンダウ
 ンを待ってやる必要はない。そんな事してやる義理はないのだ。
  ただ、マッドがサンダウンの事を好きだと言う事実があるだけで。
  マッドはサンダウンに嫌われたくないから、約束一つ守れない人間だと思われたくないから、き
 っとサンダウンの言葉を聞いてしまうのだ。サンダウンも、それを分かって言っているのだろうか。
 だとしたら、マッドはどう考えても都合の良い人間としか思われていないという事だ。
  もしかしたら、サンダウンがマッドを置いて何処かに行ったのも、そんな愚かなマッドを嗤う為
 かもしれない。いや、それどころか、マッドの事などどうでも良くなってきたから、マッドがサン
 ダウンと一緒にいる事が苦痛だという事に託けて、何処かに行ってしまったのかもしれない。
  酷い、と思う一方で、仕方がないと思う。
  だって、マッドはサンダウンの前ではちっとも素直じゃない。サンダウンがマッドの事を好きだ
 と言うのにそれを信じないと言ったり、なのにサンダウンがいない事を寂しがったり、けれどもそ
 れを口にせずに、めそめそしたり、面倒な人間この上ない。マッドだって、そんな人間を恋人にす
 るのは嫌だ。
  例えサンダウンが本当にマッドの事を好きだったとしても、ずっとそんな反応ばかりしていたら、
 呆れて鬱陶しくなるか、さっさと諦めてしまうだろう。
  だから、サンダウンがマッドに嫌気を差したとしても、不思議ではないのだ。
  そんなのは嫌だ、と思うけれど、しかしどうしたら良いのかマッドには分からない。サンダウン
 は信じてくれたら良いと言うけれど、それが一番難しいのに。身体だけを繋げるほうが、まだ簡単
 だ。苦痛や男としての誇りだのが邪魔をするかもしれないけれど、そんなものは押え込んでしまえ
 ばおしまいだ。
  けれども、信じられないというのはどうしようもない。サンダウンの事は好きだけれど、そのサ
 ンダウンが自分に口付けてきたり、好きだと囁いてくる事が信じられない。信じられないのなら、
 裏に何かあるのではないかと思うしかない。
  しかし、信じられないと言いながらも、結局はサンダウンの腕の中にいて喜んでいる自分自身が
 いる。サンダウンがマッドを置いていった事を詰っている自分がいる。そして、サンダウンが此処
 に戻って来るという言葉を信じて、此処から動かない自分がいるのだ。
  結局のところ、マッドはサンダウンを信じたがっている。本気で、信じないなんて事、できるは
 ずがないのだ。雨の中、ずっと自分を待っていたというサンダウンを、心底から疑うなんて事、で
 きっこない。
  だから、マッドは毛布に包まって、夕方には戻るというサンダウンの言葉を怯えながら待つしか
 ない。