マッドは、久しぶりに逢う賞金首の前で、もじもじしていた。
  荒野のど真ん中で、髭面でガタイの良いおっさんを前にして、もじもじする長身の男の姿は相当
 おかしいだろう。
  何せ眼の前にいるのは5000ドルの賞金を懸けられているサンダウン・キッドだ。
 普通の賞金稼ぎなら、嬉々とするか武者震いするか戦慄するか、そういう反応をするだろう。仮に
 賞金稼ぎでないにしても、薄汚れたポンチョで身を包むおっさんを見て、もじもじする男は基本的
 にはいないはずだ。
  だって、髭だし。だって小汚いし。
  けれど、年を経た金髪は荒野の砂と同じ色をして、その奥にある眼は鋭く強い青を湛えている。
 顔に刻まれた皺は老いよりも厳めしさを醸し出し、かさついた武骨な手と同様に、荒野に生きる男
 そのもの――むしろ、この男が荒野の化身だ。包み込まれて見下ろされたなら、きっと立ち尽くし
 てしまう。
  って、違う。
  マッドは途中から完全に思考が別の方向に行っていた事を悟り、ぶんぶんと首を振る。
  別にこの男の青い眼が好きだとか、節くれ立った大きい手に触れてほしいとかそんなのではなく
 て、マッドはもっと別の関心事がこの男に対してあったはず。
  もじもじしていたのは、間違ってもこの男の前にいるからでは、断じて、ない。
  もじもじしている事については否定せず、マッドは銃を抜く事すらせず――賞金首を前にしても
 はやそれは賞金稼ぎとしてどうなのか――サンダウンの顔色を、帽子とポンチョの隙間から窺う。

 「なんだ………?」

  流石のサンダウンも不気味に思ったのか、もじもじしている賞金稼ぎに声をかけた。低い声に打
 たれて、マッドははっとして、それでもしばらくの間口をぱくぱくさせたり、人差し指どうしを絡
 めたりして、やっぱりもじもじする。
  それを数分間続けた後、ようやく賞金稼ぎは口を開いた。

 「なあ……あんた、あのジャケット、どうした?」

  マッドがさっきからずっと知りたいのは、その事だった。
  サンダウンに似合うだろうなと思って後先考えずに買って、買った後で渡す事も出来ずに悶々と
 していたら、サンダウンが何を気に入ったのか知らないが勝手に持っていってしまったジャケット。
 マッドとしてはサンダウンに渡す為に買ったのだから、サンダウンが持ち去ってしまったのは幸い
 なのだが、しかしその後の行方が気になる。
  サンダウンが使っているのか、それとも荷物袋のこやしになっているのか、最悪の場合捨てられ
 ちゃってるんじゃないのか。
  一番最後の選択肢は、一番有り得る事だと覚悟しながらもマッドにしては恐怖の一手だった。魂
 さえ込めたつもりで買ったあれを、想う相手本人に捨てられたとなったら、その打撃は如何ほどの
 ものか。
  それ故に、なかなか聞くに聞けず、もじもじとしていたのだが。
  問い掛けを受けたサンダウンは、眉根を寄せて怪訝な表情でマッドを見て、何言っているんだこ
 いつとでも言いたげだ。
  サンダウンはゆっくりと葉巻を咥えて火を点けると、静かに煙を吐き出して、マッドを真正面か
 ら見据えた。

 「………どうした、とは、どういう意味だ?」
 「どういう意味もこういう意味もねぇよ。あれからどうしたのか、訊いてるだけだ。」

  だって、どう見ても着こんでるのは見慣れた古びたポンチョだし。

 「………あれは私がお前から譲り受けた時点で、お前の手を離れているはずだが。」

  暗に、あれをどうしようが自分の勝手だと言われている事に気付き、マッドはむっとする。……
 同時に、やっぱり捨てられたんじゃないかと怯える。

 「確かにそうだけどよ、買ったのは俺なんだぜ。気になるじゃねぇか。」
 「………………。」

  サンダウンの口から、沈黙と共に吐き出される紫煙。

 「…………訊いて、どうする?」
 「別に、どうもしねぇよ。」
 「ならば、別にいいだろう。」
 「な……、だから、気になるって言ってんだろ!」

  食い下がりながら、やっぱり聞くべきじゃなかったとマッドは後悔する。きっと、サンダウンは
 捨ててしまったのだろう。持っているなら持っていると言うはずだ。それをしないのは、捨ててし
 まって手元にないからだ。
  喉の奥に固い物が詰まったような痛みが走り、マッドはそれに耐える為にぎゅっと眉間に力を込
 める。でなければ、眼の奥から何かが溢れ出してきそうだった。

 「別に、捨てちまったってんなら、良いんだ。本当に、ただ、気になっただけで。」

  痛む喉で、とにかくそれだけを口にして、マッドは顔を背ける。一刻も早くこの場を立ち去らな
 いと、本当に。
  けれど、それはマッドが焦がれている武骨な手によって阻まれた。
  身を翻そうとしたところで腕を掴まれて、マッドはたたらを踏む。身体が傾ぎそうになり、そこ
 へもう一方の手も近付いてきて、マッドの顎を掴んだ。

 「…………もし、捨ててなかったら、お前はどうするつもりだったんだ?」

  間近で囁かれた最低音の響きに、マッドはぶるりと身を震わせた。呼気が触れそうなくらい眼前
 に迫った青い瞳に、しかしそれに対して見惚れる暇はない。それよりも、その青い瞳には怒りがは
 っきりと映っている。初めて見るサンダウンの怒りの色に、マッドは息を詰めた。
  自分は何かしたのだろうか。もしかして、ジャケット一つに拘っている事を、女々しいと呆れら
 れている?或いは、やはり男を想っている事に嫌悪を感じているのだろうか。それとも、まさか、
 想う相手がサンダウンである事がばれたのだろうか。騙すつもりはなかったけれど、そうとは知ら
 ずにジャケットを掴まされて、それで嫌悪に火が付いたのかもしれない。
  怒りに呑まれて、マッドは奥歯がカタカタと震える。何をされても、この男に嫌悪の眼で見られ
 たくはなかった。そんな眼をするのなら、もういっその事、この場で撃ち殺して欲しい。触れられ
 ている事でさえ、今は苦痛だ。

 「………まさか今更、返せ、とでも?」
 「そ、そんなわけあるか!」

  真っ黒な穴の中に転がり落ちる気分で聞いた台詞は、マッドの思いもよらぬものだった。とりあ
 えずサンダウンに自分の想いがばれたわけではないようだと安堵し、それでも急いでマッドは反論
 する。

 「それなら、別に良いだろう。それとも気が変わって、今からでも渡しに行こうとでも考えていた
  のか?」
 「なっ……違う!」 

  渡しに行くも何も、既に想う相手に手渡した――というか奪い去られた――後なのに、一体これ
 以上誰に何を渡せというのか。

 「俺は、もう、渡す気なんか……!」
 「ならば、良いだろう。あんなものの事など。」

  あんなもの。
  サンダウンの言葉に、さっくりと心臓が切り裂かれたような心地がした。いや、切り捨てられた
 のは自分の想いか。
  むろんサンダウンは、マッドがあのジャケットにどれほどの想いを込めたのかなど知らない。自
 分が想われている事も――幸いにして――知らない。だからこそ、そんな言葉が口をついて出たの
 だろう。
  だが、よりにもよって、想う相手本人にそんな言葉を吐かれたマッドは、喉元をかっ捌かれた気
 分だ。まるで、自分の想いなどどうでも良いのだと言われているような。事実、サンダウンにとっ
 ては紛れもなく他人事なのだろうけれど。
  先程以上に大きな塊が喉につかえたように、息をする事さえ困難なほど、喉が痛い。
  辛うじて、は、と息を吐き、マッドはサンダウンから身を離す。もしかしたら、顔は蒼白かもし
 れない。だが、真っ赤になるよりもマシか。自嘲気味にそう思って、数回唾を呑みこむ。その度に
 ごつごつとした痛みが走った。しかし、それでもなんとか言葉を紡ぎだせるほどには、気道が開い
 たようだ。

 「ああ、そうだな。あんなもん、あんたにはどうでも良いよな。」

  サンダウンの顔を見ずに何とかそう吐き捨て、今度こそ身を翻す。サンダウンが顔を顰めた事に
 も気付かない。あれほど焦がれた武骨な手を振り払い、ディオに駆け寄ると、その背に跨るやすぐ
 さま駆けさせる。
  土埃の匂いや風鳴りが耳の中をびょおびょおと侵す中、マッドは下を向いてディオの鬣を睨み据
 える。

 「う………。」

  手綱を指が白くなるまで握り締めて、そのまま前倒しになってディオの鬣に顔を埋めた。ディオ
 が普通の馬ならマッドを放り出していただろう。だが、主人の様子に気が付いたディオはすぐに並
 足になる。
  そんな愛馬の毛並みに顔を埋めたまま、マッドは喉をしゃくり上げさせた。




  立ち去ったマッドの影を見送り、サンダウンは溜め息を吐く。
  実を言えば、少しだけ後悔していた。
  最後に見たマッドの蒼褪めた顔が、今にも泣き出しそうに歪んでいたからだ。今頃泣いているん
 じゃないかと思いながら、他に態度の取りようがあったかもしれないと後悔する。
  少し困ったような表情で、ジャケットはどうしたのかと問うマッドに、もう気が変わったのかと
 焦った。当分は想う相手に想いを告げに行く事はないだろうと考えていたけれど、それは誤りだっ
 たのかと、自分の浅はかさを呪った。
  だから、ジャケットの所在を聞かれた時、すげない返事をした。マッドが渡すつもりはないと言
 っても信じずに、冷ややかな言葉を浴びせたのだが。
  きゅっと歪められた形の良い唇を思い出し、他にやりようはなかったのかと思う。
  しかしどれだけ考えたところで、マッドを留める術は思い浮かばず、仮に思い浮かんだところで
 既に後の祭りだ。
  もう一度溜め息を吐いて、サンダウンは荷物袋の中から、雑然としている自分の持ち物の中で、
 信じられないくらい丁寧に畳みこまれて、繊細な硝子細工でも扱うように薄い布で更に覆い隠した
 ものを広げる。その中から出てくるのは、当然の事ながら、マッドが誰かの為に買ったというジャ
 ケットだ。
  マッドの言うように、捨て去ってやろうかとも思った。マッドが、誰かを想って買ったものだ。
 いっそ、足蹴にしてやろうかとさえ思った。
  それをしなかったのは、単にそれがマッドの手の中に一瞬でもあったからだ。震えながら抱き締
 められていたこれを、妬みながらも愛おしいと思わずにはいられない。あの、鳥の心臓のようにい
 とけない魂が込められているような気がして、捨て去る事など出来なかった。
  だが、と後悔の念が押し寄せてくる。
  酷く傷ついたようなマッドの眼差しは、もしかしたら、それが決意に変わるかもしれない。そう
 なれば、マッドはもうサンダウンの手の届かない所へ行ってしまう。
  先延ばしにしておくはずだったのに、自分の手でそれを早めてしまった。