ずっと、マッドを抱きたいと言っていたサンダウンの事だから、すぐに食い付いてくると思った。
 穏やかに触れる手つきが、すぐに服の中に忍びこんでくるのものだろうと思っていた。マッドが嫌
 がるから、無理強いはしないと言い続けてきたのだ。マッドが、構わないと言えば、それを了承と
 受け取って押し倒すだろう。
  だが、現実はマッドが思っていたようにはいかなかった。
  マッドの言葉を聞いたサンダウンは、一瞬ぴくりと身体の動きを止め、それっきり反応を示さな
 くなってしまったのだ。
  何の反応も返さないサンダウンを怪訝に思い、マッドが顔を上げて恐る恐るそちらを見ると、サ
 ンダウンは非常に微妙な顔をしてマッドを見下ろしている。
  なんなのだろう、この反応は。これまでずっと抱きたい抱きたいと言っていた癖に。いざ、マッ
 ドがそうしろと言ったら、そんな反応をするなんて。やっぱり、マッドをからかって楽しんでただ
 けで、マッドを抱くなんて事これっぽっちも考えてなかったんじゃないのか。
  そう思った瞬間、マッドはうるうるになりそうになる。
  そんなマッドを見て、サンダウンはマッドの眦に指を這わせながら溜め息を吐いた。

 「………無理強いはしない、と言ったはずだ。」
 「無理強いじゃねぇだろ。俺が良いって言ってんだから。」
 「………そんな顔で言っても説得力はない。」

  そんな顔ってどんな顔だ、と言い返しそうになったが、聞かずとも自分の瞼が熱くなっている事
 はマッドも分かっている。泣きそうな顔をしているのだろう。だが、泣きそうな顔で強請っている
 のだから、応えてくれても良いはずなのに。
  やっぱり自分の事なんか考えてくれてないんだ。
  そう思うと、余計に眼がうるうるになる。
  その様子に再びサンダウンは溜め息を吐き、しかしマッドには思いもよらなかった事を口にする。

 「………そんな、諦めたような顔で『抱け』と言われて、喜んで抱くとでも思ってるのか?」
 「なんだよ、その、諦めたような顔ってのは。」
 「違うのか。」

  ゆるゆるよマッドの眦をなぞりながら、サンダウンは厳しい表情を緩めない。これで触れてくる
 指先も厳しければ、マッドは本当に泣いていただろうけれど、サンダウンの指先は相変わらずいつ
 ものように優しい。

 「また、私がお前を見限って何処かに行くんじゃないかと考えているんじゃないのか。それで、自
  暴自棄になっているんじゃないのか。」

  低い声は、優しい指先と同じように、マッドの乱れた心の内をなぞっていく。それは完全に当た
 ってはいないけれども、外れてもいない。この状態を早く終わらせてしまいたいと思っているマッ
 ドの中を、読み取っている。

 「……マッド、何度言えば分かる?お前は何も心配しなくても良い。」
 「そんな事。」

  心配しないなんて、無理だ。
  マッドはサンダウンが自分の事を好きだと言ってくる事が、未だに信じられない。
  マッドはサンダウンの事が好きだ。傍にいるだけで心臓が痛くなるくらいに好きだ。サンダウン
 に嫌われたり、サンダウンが自分の手の届かない所に行ってしまったら、きっと二度と立ち直れな
 いだろうと思うくらい好きだ。
  けれども、サンダウンがマッドの事を好きだと言う事鵜呑みにするほど、おめでたくはない。マ
 ッドが男である以上、サンダウンが放浪による人恋しさ故にそう言っている可能性を捨て切る事は
 出来ず、他に女が現れようものなら、サンダウンがそちらに向かう事は大いに有り得る事だ。それ
 に可能性として高くはないものの、マッドをからかう為に、或いは嘲笑する為に、こんな事をして
 いるとも考えられる。
  そんな疑いを持ったまま、サンダウンの傍にいて、その腕の中にいるのは苦痛以外の何物でもな
 い。それならば、立ち直れなくなっても良いから、サンダウンがマッドを求めているわけではない
 と言って何処かに立ち去ってしまうほうが良い。
  それに、大体、マッドが何をしても、きっとサンダウンは、いつかマッドから離れていく。
  マッドが怯えて身体に触れさせない事に痺れを切らして。或いはその身体に飽きて。誰か他の人
 間に惹かれて。
  マッドには、そんな終わりの事しか考えられない。

 「マッド………。」

  サンダウンが、困ったようにマッドを呼んだ。

 「……雨に濡れただけでは、駄目か?それだけでは、お前は私を信じないか?」

  マッドの首から垂れている指輪を撫でながら、サンダウンは以前マッドを待ち続けて雨に濡れた
 時の事を囁く。約束を違えなかった事だけでは信を得るには値しないのかと囁いてくる。
  それを振り払って、マッドは潤んだ目でサンダウンを睨みつけた。

 「良いじゃねぇか、別にそんな事。あんたは俺を抱きたいんだろ。」

  そうじゃないのか、違うのか。それさえも嘘だったとでも言うつもりか。それとも怖気づいたの
 か。その何れであっても、マッドを傷つける事に変わりはないのだから、そうなら言い訳などせず
 にそうだと言って欲しい。そしてそのまま終わってしまえば良い。どうせ、碌に始まってもない。
 一緒にいた時間は以前に比べると長く、マッドがサンダウンの腕の中に時間はこびりついているけ
 れど、思えばマッドは最初から足踏みしてばかりだった。ちっとも、最初の時から進んでいない。
  だが、サンダウンは首を横に振る。

 「お前が私の事を信じていないのに、抱けるわけがないだろう。」
 「なんでだよ。関係ねぇだろ。信じるだの信じないだの。」

  それともマッドを信じさせてから絶望に突き落とそうとでも言うのか。
  マッドの表情が更に曇ったのを見て、サンダウンはマッドが何を考えているのか悟ったのだろう。

 「マッド。私は、お前を娼婦のように抱きたいわけじゃない。」

  金銭で得る事が出来る、一夜の夢が見たいわけではないのだと。

 「お前の傍に、ずっといたい。一夜限りの関係など、ご免だ。身体だけ手に入れるのも。私は、お
  前が欲しい。」

    マッドが丸ごと全部欲しいと囁く男に、マッドは首を横に振る。
  そんな事言われたって、信じられない。サンダウンはマッドを独占しようと、マッドから片時も
 離れないけれど、それでもいつかは冷めてしまうんじゃないのか。傍にいればいるほど、その時は
 速まっていくんじゃないのか。マッドが少しもサンダウンを信じない事に業を煮やして諦めてしま
 うんじゃないのか。
  サンダウンは耐えてみせると言ったけれど。
  それが証明できる時など、永遠に訪れるわけがない。逆に、証明できなかった時は分かるけれど。
 でもその時は、サンダウンがマッドから離れる時だ。
  だから、そんなわけのわからない言い分など、信用出来るはずがない。一つ信用できなければ、
 残りのものだって信用できない。

 「マッド。」

  俯いて身体を強張らせたマッドの頬を、サンダウンが包み込む。かさついた手は、今はやけに温
 かい。

 「お前に、優しくしたい、と言っただろう。だから、お前を無理強いする事はしない。」
 「もう、十分に無理強いしてるじゃねぇか!」

  マッドの中はサンダウンに侵食されて、しかもサンダウン自身がマッドから離れてくれない。逃
 げ場をなくしておいて、何が無理強いしない、だ。全然優しくない。

 「あんたは俺を独占して、俺に飽きたら捨てたら良いのかもしれないけど、あんたに全部持ってか
  れた俺は、どうなるんだよ!あんたがいなくなった後、俺は何処にも行けねぇじゃねぇか!そう
  なる前に逃げようとして、何が悪いって言うんだ!」
 「……何故、私がいなくなる事を前提で考えるんだ。」
 「そんなの、普通だろ!男同士なら、尚更考えるだろうが!男と女なら、駈落ちしたって様にもな
  るだろうし、別れた後も体裁が整うだろうよ。でも、俺は?あんたに独占されて、あんた以外が
  いなくなった俺は、あんたがいなくなった後、どうやって元の生活に戻れば良いんだ?」

  サンダウンがいなくなって立ち直れなくなっても、それでも何処か別の場所と繋がっていれば、
 抜け殻なりになんとか進めるかもしれないけれど、サンダウンはその他の場所さえ奪って、自分だ
 けをマッドの中に残そうとしている。マッドに、立ち直れなくなった後、そのまま野垂れ死んでし
 まえと言っているようなものだ。
  それとも、サンダウンはマッドがいなくなった後の事など微塵も考えていないのだろうか。だと
 したら、浅はかにもほどがある。それともマッドがいなくなっても、サンダウンは平気なのか。マ
 ッドが生きていればそれで良いと言うのは、そういう事か。

 「……違う。」

  慟哭のようなマッドの声を聞いたサンダウンは、緩く首を振って否定した。

 「違う、マッド。そういう意味で言ったわけじゃない。」

  マッドの頬を撫でていた手をマッドの後頭部に回すと、そのまま引き寄せる。マッドが離れよう
 としても、肩に腕を回して力を込め逃がさない。

 「お前がいなくなったら、私には生きていく意味もない。だから、お前を失った後の事など考える
  必要もない。どうせ、死ぬだけだ。」

  ただ、魂だけをマッドのもとに置いて。マッドの傍に置けない身体になど、何の価値もない。そ
 のまま朽ち果てても構わない。

 「お前は、私の傍にいるのが苦痛なのか?私から離れたいのか?本気でそう思っているのなら、止
  めはしない。今までずっと、お前は私の事が好きなのだと、その言葉を信じていたんだが。」

  もしも、辛い、苦痛だ、嫌だと言うのなら。

 「離れていけば良い。そうしたら、近いうちに、お前は私の死体を見つける事が出来るだろうな。」

  或いは、荒野の何処かで廃人となっているか。
  淡々と告げる男に、マッドは怒鳴る。

 「なんだよ、それ!あんたは俺から離れて、それで良いのかよ!」
 「お前から離れたいとは思わない。だが、お前が私といる事で苦痛を感じると言うのなら。」

  お前がいなければ意味のない命だから。それに、お前が消える時に魂は持っていかれてしまうだ
 ろうから、この身体は消えて無くなっても構わない。
  それが、嫌だと言うのなら。
  或いは、一片の慈悲を下すと言うのなら。

 「離れないでくれ。」

  マッドの指輪をなぞりながら、サンダウンが希った。