我慢してみせる、と言い切った男は、その日からそれを実行し始めたようだ。
  ようだ、というのは、そもそもサンダウンはマッドの身体の線を意味ありげに撫でる事はあるが、
 しかしそれ以上先に進んだ事はないため、結局のところはいつもと同じである為、マッドにはサン
 ダウンが禁欲しているのかどうなのか、さっぱり分からない。
  大体、サンダウンがもしもマッドの事を何とも思っていないのなら、禁欲でもなんでもない。下
 手をしたら、マッドに触れる必要がなくて清々する、くらいの事を思っているかもしれない。
  と、一瞬にしてネガティブな事を考えたマッドだったが、マッドがそんな思考回路に陥る事はサ
 ンダウンは重々承知していたのか、サンダウンはマッドにいつもの通り触れ、いちゃいちゃするの
 だ。
  要するに、サンダウンの一体何が禁欲なのか、やっぱり、マッドにはさっぱり分からない。
  そして今日も相変わらず、サンダウンはマッドにべったりとへばりついている。
  毎度の事ながら、マッドが賞金稼ぎとしての仕事に向かうと、不機嫌そうにしながらも一緒につ
 いてきて、マッドが仕事を終えるまでの一部始終を見届け、そして保安官事務所にまでついてきて、
 マッドが賞金を受け取るまで事務所の前で立ち尽くす。そして、マッドが事務所から出て来るや、
 早々とその腕をとって、塒にしている小屋に戻り、中に入った瞬間にマッドに抱き付く。
  間違いなく、これは禁欲ではない。
  ただし、サンダウンは我慢してみせると言った通り、むしろそれ以前から宣言している通り、マ
 ッドの服の中には、絶対に手を伸ばしてこない。服の上からもぞもぞと触れてくるだけである。そ
 れはそれで非常に厭らしいのだが、最近ではその手つきも心持ち鳴りを潜めている。
  ぎゅっと抱きしめた後、マッドを膝の上に乗せて身体を撫でまわす男は、しかし以前のように思
 わせぶりに、あらぬ部分には触れてこない。
  これが、我慢、なのだろうか。
  だが、単純に触れたくないだけなのでは。男の身体を撫でまわすなんて、普通に考えれば嫌だろ
 う。同じ男の思考で考えれば、相手が如何に中性的であっても、女のように性を感じさせる触れ方
 などしたくもない。サンダウンだって、本当はそうじゃないのか。
  ふつふつとそんな事を考えていた所為で、背後で蠢くサンダウンに気付かなかった。

 「ぅあっ!」

  いきなり首筋に顔を埋められ、しかもきつく吸い付かれて、マッドは思わず声を上げた。ちりり
 とした痛み。しかしそれよりも、敏感な部分に触れられた事による悦のほうが強い。
  おそらく赤く鬱血しているであろう箇所を手で押さえながら、マッドはサンダウンの膝の上から
 逃れようと背を伸ばしながら背後を振り返る。
  すると、サンダウンの不機嫌そうな顔とぶつかると同時に、サンダウンの腕が腰に回って逃げよ
 うと伸び上がった身体を捕えられた。

 「何すんだ、いきなり!」
 「お前がおかしな事を考えているからだ。」

  果敢にも怒鳴ると、むっつりとしたサンダウンに、きっぱりと言い返された。
  普段は大いに鈍い癖に、何故かこういう時だけ鋭さを遺憾なく発揮する男は、マッドがまたサン
 ダウンを信じていない事を、敏感に嗅ぎ取ったらしい。それ故に、男の首筋に吸い付くという、普
 通の男なら勘弁願いたい事を実行したらしい。

 「お前は私に我慢してほしいのか、違うのか、どうなんだ。」

  そして、恨みがましくそう迫ってくる。
  それどころか、マッドを抱えたままころんとベッドに転がり、マッドの上に圧し掛かるような体
 勢を取る。
  明らかにこれから迫られますよ、という自分の状態に、マッドはあわあわと声にならない声を出
 す。しかしサンダウンはそんなマッドを一蹴して――要するに退こうとしない。

 「抱かれるのはまだ嫌だと言うから我慢すれば、今度はそれが不満だと言う。一体、私にどうしろ
  と?」

  見下ろす青い視線は不機嫌そのものだ。しかし、マッドの頬を包み込むかさついた手は優しい。
 その手に擦り寄りたくなるくらいに。

 「私は、お前がいればそれだけで良いんだが………。」

  お前はそうではないのか。
  真剣にそう問うてくる男に、マッドは何を言えば良いのか分からない。
  マッドだって、サンダウンがいればそれで良い。だが、サンダウンの本心をマッドが推し量れな
 い以上、サンダウンの言葉を鵜呑みには出来ないのだ。ではサンダウンがマッドを抱けば、それで
 納得するのかと言えば、そうとも言えない。身体を繋げる事で、それが担保される保証など、何処
 にもないのだ。
  男と男が抱き合う事は、確かにこの世界ではイレギュラーな事だが、決してない事ではない。だ
 が、起こった関係の原因は、覚悟でも愛情でも欲望でさえない。ただの捌け口である事がほとんど
 だ。だから、サンダウンがマッドを抱いたとしても、きっと捌け口だという選択肢は消えないだろ
 う。そもそもマッドは、そういう眼で見られてきた事が多い。サンダウンは男に興味はないという
 けれど、女っ気のない荒野での捌け口でないなんて言い切れない。サンダウンは女の代わりでもな
 いと言うけれど、そんな保証は何処にもない。
  人肌が恋しいと言うのなら、それは、誰が相手でも構わないという事だ。
  マッドが、頭上に広がった青い眼を見つめながらつらつらと考えていると、サンダウンの視線が
 つと外れた。
  と、そのままサンダウンはマッドの胸に顔を押し当てる。

 「……キッド?」

  マッドの腰に腕を回したまま、べったりとマッドの身体に自分の身体を押し付け、そしてマッド
 の胸に顔を埋めている。正確に言えば、マッドの胸に耳を押し付けている。

   「……お前は生きてるんだな。」
 「当たり前だろうが。俺の何処が死んでるってんだ。」
 「……お前が生きてさえいれば、私はそれで良い。」

  それで良かったんだ、とサンダウンはマッドの胸の上で呟く。

 「お前に憎まれていても、嫌われていても、信用されていなくても、お前がいれば、良かった。」

  けれどもマッドはサンダウンの事を憎んでも嫌ってもいないし、むしろ好きだと言った。それな
 ら、サンダウンだってマッドを手に入れる事に躊躇しない。ただ、無理強いはしない。傍にいられ  るだけでも、自分達の間柄を考えれば十分だ。
  そう言って、サンダウンはマッドの胸に顔を押し当てたまま動かない。その状態で、なんだか妙
 に幸せそうな気配を醸し出している。

 「あんた、これで満足だってのかよ。」
 「……お前を抱けるに越した事はないが、だが、言ったはずだ。お前がいればそれで良い、と。」

  どうしたってお前は私のものなのだし、とマッドの首にかけられている指輪を指す。

 「だから、この状態でも十分に満足できる。」
 「でも、あんたは俺が一人でどっかに行くのは許してくれねぇじゃねぇか。」
 「当たり前だ。まだうじうじと考えているお前を一人にして、誰かに襲われては敵わん。」
 「じゃあ、俺があんたに抱かれたら、あんたはどっかに行くのかよ。」
 「……何故そういう話になるのかが分からん。抱いてお前がそれで納得すれば、一人で何処かに行
  くのは許してやるが。」

  お前の場合はもっと何かうじうじと考えそうだ。

 「だから、そう簡単には一人にはしてやらん。」

  宣言して、サンダウンはマッドの胸の上でもぞもぞとしていたが、しばらくして居心地のいい場
 所を見つけたのか、そこで大人しくなる。
  まるで丸くなった猫のようなサンダウンの様子に、マッドは慌てて声を掛ける。

 「おい、キッド。あんたまさか、このまま寝るつもりじゃねぇだろうな。」
 「……寝たい。」
 「だったらどけよ!俺の上で寝るな!」
 「……寝たい。」

    本格的に眠くなっているのか、サンダウンはもう碌な事を言わない。

 「お前の心音が聞こえている状態で、寝たい。」

  碌な事を言わない口は、本当に碌な事を言わなかった。
  性的な事など何もない事なのだが、しかしマッドはみるみるうちに赤くなって、口をぱくぱくさ
 せる。が、マッドが全身を赤くしているうちに、サンダウンはさっさと寝る準備に入っている。宣
 言通り、我慢しているのだから問題ないだろうと言わんばかりに。
  マッドがようやく口を聞けるようになった時には、サンダウンは既に眠りの中に逃げ込んでいた。