「食事はどうする?」

  狭い安宿のベッドの上で、マッドを膝の上に乗せて耳朶やら項やらを弄って、まるで恋人同士の
 ようにいちゃいちゃしてくるサンダウンは、いちゃいちゃしながらマッドに問うてきた。どうせ、
 マッドが何を言っても、外に出ていかせはしてくれないのに。多分、この狭い部屋の中で、保存食
 を平らげるだけの食事となるだろう。
  サンダウンは、マッドと二人きりの時間を、何が何でも延ばそうとする。マッドの一日の大半を、
 自分が占めている癖に、だ。
  マッドが黙りこんでいると、どうした、と砂色の髭が背後から顔を覗きこんでくる。マッドの顔
 色を窺う青い眼は、マッドをがっちりと包み込んで放さない腕とは裏腹に、何処か不安そうな光を
 湛えている。
  いつも傍若無人に振舞って、マッドの事を欲しいと嘯く男は、時折こうして縋るような眼をする。
 だから、マッドはどうしてもそれに絆されてしまう。ましてマッドはサンダウンの事が好きなのだ。
 そんな表情をされたら、嫌でも従うに決まっている。きっと、サンダウンもその事が分かっている
 から、そんな素振りを見せるのだ。そう、マッドは冷静に思ってみるものの、結局はサンダウンに
 流される。

 「てめぇの好きにしろよ。」

  そう言ってしまえば、大概が保存食を二人でもそもそと食べる事になる。この時も、果たしてそ
 うだった。
  サンダウンとマッドの手持ちの干し肉やソーセージを並べて、酒を小さなコップに注ぐだけの、
 簡素な食事の出来上がりだ。行儀悪くベッドの上で、それらを食べていると、流石に食べるときは
 マッドを膝から降ろしたサンダウンが、じっと見てくる。
  なんなのだ。
  食事の最中に見つめられても、マッドも困る。いや、サンダウンに見つめられると、心臓が痛い
 くらいに脈打つから、いつ見つめられても困るのだけれど。
  見つめてくる青い眼から微妙に視線を逸らしながら、マッドは干し肉を口に運ぶ。焦点を干し肉
 に合わせれば、幸いにしてサンダウンの姿はぼやける。けれども、ぼやけていてもサンダウンがこ
 ちらを見つめている事は分かる。
  視線をあちこちに逸らしてみたものの、やっぱり居心地は悪い。なんとなく尻の座りが悪いよう
 な気分になったマッドが、耐えかねてサンダウンに視線の訳を問いかけようと口を開いた。サンダ
 ウンの答えは、どうせ、お前を見ていたい、だとかそんな歯の浮いたような台詞だろうけれども、
 しかしそれでも、マッドが嫌がれば穴が開くほどに見つめる事は止めてくれるはずだ。サンダウン
 は、マッドの嫌がる事はしないと明言してるのだから。
  思いながら口を開こうとすると、それよりも早くサンダウンの手が開きかけた口元に伸びてきた。
 そして、武骨でかさついた手が、マッドの唇の端を静かになぞる。
  マッドが眼を丸くしていると、

 「………付いている。」

  と言って、太い指先が何かを摘まんで離れていくのが見えた。どうやら、口の端に干し肉の欠片
 が付いていたらしい。
  なんだ、と安堵すると同時に、自分の恥ずかしい姿を見られたと赤面しそうになった時、サンダ
 ウンが摘まみ取った肉の欠片を、なんの躊躇いも無く口に運ぶのが見えた。それを見た瞬間、マッ
 ドの周りの空気は、一瞬、完全に止まった。
  そして、次の瞬間、ぼん、と音がしそうな勢いで、マッドは頬を赤くした。
  そんな、まるで恋人同士のような事をするなんて。

 「な、何考えてんだ、てめぇは!」

  思わず怒鳴れば、サンダウンが怪訝な顔をした。何も分かっていない表情だ。

 「何がだ……?」  
 「何がって!さっきの!」
 「……さっき?」
 「お、俺の!俺の口の端にひっついてた肉の欠片なんか、食うんじゃねぇよ!」
 「………何故?」
 「何故って……!」

  そんな恋人同士みたいな事。
  そう言えば、サンダウンの表情が少しばかり不機嫌なものに変化した。

 「お前は私のものだろう。」

  低くそう告げた男は、まだその辺に散らばっていた食事の残骸を片腕で押しのけると、マッドに
 圧し掛かってきた。
  マッドが、ひぇええ、と情けない悲鳴を上げている事にさえ頓着せず、サンダウンの砂色の髪は
 マッドの頬やら首筋やらに貼り付く。そして、武骨な指は、マッドの項を辿って、目当てのものを
 見つけるとそれを引き摺り出した。

 「これを掛けている以上、お前は私のものだし、私もお前のものだ。」

  マッドの首に掛けられている銀色の鎖。その先にある指にぴったりと嵌りそうな輪をマッドの前
 に翳すと、そのままマッドの形の良い唇にそれを押し当てる。

 「それとも、嫌なのか?」

  そう口にした途端に、空色の眼が、雲がかかったかのように陰る。そうじゃない、と小さな輪の
 隙間から呟くと、懐疑的ではあったものの、それでも安堵に晴れていく。

 「では、怖いのか?」

  マッドの腕を優しく抱きながら、サンダウンはそれ以上の接触はせずに囁く。マッドの衣服を、
 決して性的な色はないものの、無理やり脱がそうとしてマッドが怯えた事を指しているのだ。
  けれども、そう問われても、マッドには上手く返事を返す事は出来ない。
  別に、サンダウンが怖いわけではない。確かにサンダウンに嫌われたり軽蔑される事を想像する
 と息が詰まりそうになるけれど、それはいつか訪れる未来に対してであって、サンダウン自身を怖
 いと感じた事はなかった。だが、サンダウンが口にするように、サンダウンがマッドを本当に抱き
 たいのだとして、先を求められたなら。それは男なら、いや女であっても、初めて身体を明け渡す
 時の恐怖は、必ず感じるだろう。
  それを口にすべきかどうか、マッドは迷った。
  そもそも、サンダウンはマッドを抱きたいと言っているが、それが本心なのか、マッドには測る
 術はない。信じて欲しい、と言われて、此処まで一緒にいるが、しかしマッドの中ではいつも何処
 かで、実は全てが嘘だったという時の覚悟をしている。耐えられるかとうかは、別として。
  それに、マッドが抱かれる事に怯えを持っている事は、サンダウンだって分かっているだろう。
 無理強いはしない、と何度も告げる事からも、それは明白であるような気がする。
  おそらく、怖い、嫌だ、と言えば、この先もサンダウンはマッドの身体を奪う事はないだろう。
 明言するように、無理強いする事無く、ただひっそりと肌に触れて求めてくるだけだ。
  しかし、ずっとそれに耐えられるのだろうか。マッドは、それが疑問であり、それも恐怖だった。
 本当にサンダウンがマッドの事を好きなのだとして、マッドを抱きたいと思っているとして、それ
 がずっと与えられないと言うのは、どうなのだろうか。男として、辛くないはずがない。
  それでも、耐えてみせると言うのだろうか。
  だが、そんな言葉、一体何処まで信用できるのか。きっと、いつまでたっても得られないマッド
 を、いつの日か諦めて、何処かに行ってしまうのだ。
  マッドの中には、そんなジレンマがある。
  サンダウンが、マッドを欲しいという言葉を完全に信じる事は出来ない。だから求めに応える事
 が出来ない。
  だが、求めに応じられない現実にサンダウンがずっと付き合っているとも思えない。サンダンウ
 が何処かに行ってしまう。それが怖い。
  なんて、我儘な。
  傷つく事を恐れるあまり、マッドは身動き出来ずにいる。そしてサンダウンがいつか本当にいな
 くなってから、無様に嘆くのだ。

 「………マッド?」

  マッドの唇に、余計な力が入っている事が分かったのだろうか。サンダウンがかさついた手を頬
 に添え、顔を近付ける。青い眼には陰りも晴れやかさも無く、ただただマッドを思いやる光だけが
 ある。それが本心なのか、測る事が出来れば良いのに。
  マッドは眼の前に広がる青い眼に耐えられずに視線を逸らす。

 「……キッド、あんた、俺を抱きたいのか?」
 「お前が、許すなら。」
 「じゃあ、俺が良いって言わなきゃ、ずっと我慢するってのか。」
 「ああ。」
 「はっ、何処まで保つんだ、あんた。」
 「……試すのか?」

  サンダウンの手が頬を滑り、顎に引っ掛かった。そして前を向けさせられる。強い力ではないが、
 マッドには振り払えない。そうして再び合わさった視線の先で、サンダウンは静かな表情をしてい
 た。

 「マッド、お前が耐えてみせろと言うのなら、そうするが。」
 「出来んのかよ。つーか、どうやって証明して見せるつもりだよ。」

  大体、証明できなければ、傷つくのはマッドだ。去っていくサンダウンを、眺めるしかない。吐
 き捨てた声は、震えてはいなかった。だが、サンダウンはマッドが言いたい事に気付いたようだ。

 「……お前は、怖がらなくても良い。」

  額と額が合わさって、青い眼がすぐ間近で広がった。

 「私はお前のもので、お前以外には何も欲しくない。お前を怖がらせて失うくらいなら、どんな事
  にも耐えてみせる。」

  そう言って、身体の線をなぞる手。腕をさすり、腰を食んで、最後に頬を包み込んで口付けられ
 た。そして、ぎゅっと抱き締められる。

 「………マッド、離れないでくれ。お前が傍にいれば、どんな事にも耐えられるから。」

    囁き声は、唇のすぐ傍で、吐き出された。