眼を覚ますと、もはや当然のように隣にサンダウンがいる。
  背後から、或いはマッドの顔を自分の胸に引き寄せるように、マッドを抱き締めて隣に寝転んで
 いる。マッドが眼を覚まして身じろぎすれば、それを待っていたかのように耳元に口付けを落とし、
 低い声で朝の挨拶を耳朶に落としていく。その度に、マッドが耳まで赤く染まっている事も、もは
 や恒例だった。
  そして、如何に恒例となった事であろうとも、マッドとしては次の日の朝をサンダウンの腕の中
 で迎える事は、非常に恥ずかしい。だって、好きな人がすぐ傍で――傍どころか抱きついていたら、
 誰だって恥ずかしいだろう、普通。
  けれども、それならばサンダウンが少しでも離れて寝てくれたら良いのかと言えば、そうでもな
 い。
  一応、今のところ、サンダウンもマッドの事が好きだと言う。マッドとしては未だに信じられな
 い気持ちでいっぱいなのだが、サンダウンは自分の発言を信じて貰おうと、マッドからぴったりと
 ひっついて、離れない。告白の日から、サンダウンは誰にもマッドを渡さないと言わんばかりに、
 マッドを一人で眠らせてくれた事はなく、結果、マッドはこの日まで、一人で迎える朝というもの
 に別れを告げている。
  そんなだから、もしも今此処で、サンダウンに少しでも離れて眠られてしまったなら、きっとサ
 ンダウンはもうマッドに興味などないのだと思ってしまう。というか、一度思った事がある。
  そんなわけで、マッドはサンダウンに離れろと言うに言えない状態で、今日もサンダウンの腕の
 中で朝を迎えたのだ。




  しかし、如何にまるで初めての夜を明かした恋人同士のような気分を味わっていたとしても、マ
 ッドは自分の本分を忘れた事はない。
  マッドは賞金稼ぎだ。
  それと、念の為に言っておくが、マッドは確かにサンダウンに抱き締められて眠っても、所謂、
 情を交わした事はない。
  なので――肉体関係云々は兎も角として――マッドは賞金稼ぎとして働かなくてはならないのだ。
  むろん、サンダウンはマッドが仕事をする事について良い顔をしない。もしも万が一賞金首に襲
 われたら、と心配している男は、自分も同じ賞金首である事を忘れているのか、仕事に行くマッド
 の後を堂々と追いかけ、マッドが賞金首を撃ち落とし、保安官に証拠を持っていくまで付いてくる
 のだ。
  賞金首が、5000ドルの賞金首が保安官事務所の前でじっと佇んでいる様は、どう考えてもおかし
 い。
  だが、それについて文句を言えば、今度こそサンダウンはマッドから賞金稼ぎという仕事を取り
 上げてしまうかもしれない。ならばそんな危険な仕事など止めてしまえ、と言って。

  もしや、マッドが賞金稼ぎを止め、サンダウンを追いかける事を止めさせる事が目的で、マッド
 が好きだなどという嘘を吐いているのだろうか。 
  ふと思って、マッドは自分の想像に勝手に傷ついて、こっそりと目を潤ませる――サンダウンに
 眼をうるうるにさせているところを見つかりでもすれば、本当に面倒な事になる。 
  サンダウンに見つからないうちに眼を擦って、そして、マッドがサンダウンを追う事を止めさせ
 る為にそんな迂遠な事をする必要はないと思い直す。普通に、マッドを撃ち抜けば良いだけの話だ。
 それとも、マッドに絶望を感じさせる為にそこまで演技をしているとしたら、それほどにサンダウ
 ンはマッドの事を嫌っているのか。
  これまで幾度となく考えてきた思考回路に陥り始めたところで、再び眼が潤み始めた。慌てて、
 眼に入ったゴミを取るような素振りでごしごしと眼を擦る。しかしその合間に、くすん、と鼻を啜
 った音に、サンダウンが気付いたらしい。
  先程までのそのそと後ろを付けていた男が、唐突に素早くマッドに近付き、身を寄せてきた。き
 ゅっとマッドの肩を抱き、マッドの視線よりも少し高い所からマッドの眼を覗きこんでいる。

 「どうした……?」
 「な、なんでもねぇ!」

  マッドの頬に手を添えて、顔を近付けてくる男に、マッドはふるふると首を振って一歩後退る。
 が、サンダウンは許さない。

 「嘘を吐くな。また、何か考えていただろう。」

  恐ろしいほどの的確さでマッドの心を読み取った男は、逃げようとするマッドを逆に引き寄せよ
 うとする。
  その行動にうろたえたのはマッドだ。
  断っておく。
  此処は街中だ。マッドは賞金稼ぎとしての仕事を全うして、保安官事務所に証拠の品を提出し、
 金を受け取って事務所を出てきたばかりだ。そして、今からどうしよう、またサンダウンと二人っ
 きりだ、とドキドキしていたところだ。
  つまり、二人は今、周囲の眼に曝されているわけだ。
  そんな環境下で、身を寄せ合おうものなら、嫌でも人目を惹きつけてしまう。賞金首と賞金稼ぎ
 の組み合わせで、且つ男同士で身を寄せ合っていたら、あらぬ疑いを――例えそれが容疑ではなく、
 真実であったとしても――かけられてしまう。

 「待てよ、キッド!後で、後で話すから!」
 「そうやって、はぐらかすつもりか。」

  サンダウンの表情は険しい。そんな顔で見られると、またマッドの眼はうるうるとなってしまう。
  その顔を隠そうとしたところを、サンダウンに止められそうになって、マッドはもう一歩後退り
 する。サンダウンと一緒にいるところはおろか、こんなみっともない状態はサンダウンにだって見
 られたくない。
  サンダウンの手から逃れようと身を捩り、後退る。
  マッドはサンダウンから身を離す事に躍起になっており、サンダウンの表情の変化にまでは気付
 かなかった。
  険しかったサンダウンの眼が、突然見開かれ、同時に鋭い注意を促す声が放たれる。

 「マッド!」

  しかし、その警戒音は、マッドが聞いた時にはもう遅かった。
  マッドの眼が何かに気付いたように丸く開かれたが、その時にはマッドの背後に並べられていた
 水桶が、マッドにぶつかって引っ繰り返っている。
  派手な音を立てて倒れる水桶。
  そして飛び散る水。
  それをまともに浴びるマッド。
  帽子からぽたぽたと垂れる滴に、しばし呆然としていたマッドだったが、じんわりと身体の中に
 入り込んでくる冷たさに、本当に情けなくなって泣きたくなってきた。

 「何をしているんだ、お前は!」

  ぎゅっと唇を噛み締めていると、サンダウンの腕を引かれる。顔を見れば、やはり険しい。怒っ
 ている。しょんぼりと俯くと、サンダウンはマッドの腕を引いたまま歩き始める。

 「こっちに来い。」

  空いているほうの手で馬の手綱を引き、喧しい周囲の視線を掻き分けてマッドを連れて通りを渡
 っていく。マッドにはサンダウンが何処に向かおうとしているのか、分からない。分からないまま
 に腕を引かれて、歩いていく。 
  途中、水の染み込んだ服の冷たさにくしゃみをすると、サンダウンが振り返った。

 「………。」

  無言で被せられるポンチョ。
  すっぽりとポンチョで覆われたマッドには、もう人の視線さえ突き刺さらない。完全にサンダウ
 ンに守られた状態で、マッドが連れてこられたのは小さな安宿だった。
  手早く宿の手続きを終えたサンダウンは、ポンチョに包まったままのマッドを部屋に連れていく。
  そして、部屋に着くなり、ポンチョを払いのけられた。帽子も取られる。

 「……早く、着替えろ。」

  風邪を引く。
  言いながら、サンダウンは険しい顔のままマッドの服に手を掛ける。ジャケットを払い落され、
 シャツに手を伸ばされそうになったところで、マッドは我に返った。

 「キッド!」

  サンダウンの武骨な指が、シャツのボタンを外そうとする。その様子に、マッドは先程以上にう
 ろたえた。

 「止めろ、キッド!」
 「何を言っている……。着替えないと風邪を引く。」

  マッドの言葉に、サンダウンはますます表情を険しくさせた。
  だが、マッドにしてみればそれどころではない。
  今まで、サンダウンはマッドを無理やり抱こうとする事はなかった。無理強いはしないとも、何
 度も告げ、そしてその通りにしてきた。だが、それでも触れる指先に欲が灯っていなかったとは思
 わない。何よりも、最近でははっきりと情事を求めるように触れる事が多くなっている。
  勿論、今のサンダウンの触れ方は、そういった情事を連想させるものではない。真にマッドの体
 調を慮っているだけだ。
  それでも、マッドにしてみれば、無理やり衣服を剥ぎ取られようとしている事に変わりはない。
 だから、必死で抵抗する。
  だが、必死で抵抗すればするほど、サンダウンの表情も険しくなり、それに伴って手つきも乱暴
 になっていく。マッドの抵抗を抑え込む為に、マッドの身体を粗末なベッドに引き倒し、両手を抑
 え込む。そして、シャツを引き千切るように肌蹴させられた時、マッドは悲鳴を上げてしまった。

 「ぃやだっ……!」

  泣きそうに上擦った声で叫んで、ようやくサンダウンの手が止まった。

 「マッド……?」

  ふるふると震えるマッドに、サンダウンも手を止め、泣きそうな顔を覗きこむ。そして、サンダ
 ウンもマッドの言わんとするところが分かったようだ。
  シャツを掻き合わせて震えているマッドを見下ろすと、マッドから手を離し、その手で自分の眼
 元を覆う。まるで自分が成した事が、とんでもない罪悪であると気付いてしまったかのように。

 「……すまん。」

  マッドから身を離し、払い落したジャケットと帽子を手近にあるテーブルに乗せ、ポンチョは自
 分で纏う。
  そして、まだ怯えているマッドの頬を一撫ですると、困惑したような表情で囁いた。

 「私は部屋を出る。その間に着替えると良い。」

  そうして、サンダウンはマッドの上に覆い被さるように屈めていた身体を持ち上げる。

 「あ………。」

  サンダウンが出て行ってしまう。
  このまま、もしかしたら戻ってこないかもしれない。
  その事に、焦りのようなものを覚えて声を上げると、サンダウンが苦笑した。

 「お前が着替え終わったら戻ってくる。」

     低い声はいつもと変わらず落ち着いている。その事にマッドが安堵したのを見て取ったのか、サ
 ンダウンはポンチョを翻し、部屋から出て行ってしまった。
  後に残されたマッドは、しばらくの間ベッドに横たわっていたが、のろのろと身を起こすと部屋
 の隅に残された自分の荷物を手元に引き寄せる。その時に、サンダウンの荷物も置いてある事を確
 認して、もう一度安堵した。
  そして、濡れた服を着替えようと、荷物の中身を取り出した。