サンダウンは、マッドの項から除く銀の鎖を見て目を細めた。
  サンダウンが与えた指輪を、指に通す事はしないけれども、大人しく首からぶら下げているとい
 う事は、マッドが本気でサンダウンを拒絶するつもりはないという事だ。いや、それどころか、こ
 れまでの経緯から考えても、マッドがサンダウンを拒絶する事など有り得ない。
  サンダウンの事が信じられないと言って俯くマッドが、けれどもあと少し、何か切欠さえあれば
 自分の手の中に転がり込んでくるであろう事を、サンダウンは知っている。
  ただ、その切欠がなんなのか、分からないだけで。
  当初は指輪が切欠になるかと思ったのだが、マッドは頬こそ染めたものの、まだサンダウンに身
 を委ねようとはしない。
  尤も、抵抗もしないのだが。

  あの日以降、サンダウンはマッドにある種の意図を持った触れ方をしている。
  以前は身体を閉じ込めて抱き締めるだけだったが、今はその身体の線をなぞって、熱を確かめる
 ようにして触れている。所謂、性の匂いが漂う触れ方だ。おそらく、マッドもそれには気付いてい
 る。けれども、マッドはそれについて口を開こうとはしない。
  夜眠る時、サンダウンが何かを促すようにその身体に触れても、マッドは身を硬くして黙ってい
 るだけだ。
  そういう時、サンダウンにはマッドの戸惑いが手に取るように分かる。
  何度も何度もマッドを抱き締めたけれど、マッドはまだ戸惑いを消す事が出来ないでいる。

 「マッド。」

  仄暗い月明かりに照らされたシーツの上で、サンダウンはマッドを呼んだ。マッドが眠っていな
 い事は、サンダウンが一番良く分かっている。
  案の定、マッドは大きく肩を震わせた。しかし、サンダウンの胸に顔を埋めたまま、それ以上の
 反応をしない。ただし、耳がほんのりと赤くなっていて、冷たい月の光の中でそこだけが熱を持っ
 ているかのようだ。
  その耳に口付けて、甘く噛んでやれば、マッドはサンダウンが何を求めているのか、嫌でも分か
 るだろう。きっと、小さく身を震わせて、うろたえたようにサンダウンを見つめるはずだ。
  しかし、サンダウンはそのままの甘さを以て、マッドの身体を覆う布切れを剥いだりはしない。
  何せ、サンダウンはマッドに何度も宣言をしている。
  無理強いはしない、と。
  マッドの服を剥いで、その白い腿を押し開く事は造作のない事だ。けれども、そうする事によっ
 てマッドからの信が消える事は明白だ。身体が欲しくないわけではないが、身体だけ手に入れても
 おもしろくない。貪欲なサンダウンは、マッドが丸ごと欲しい。
  だから、ほんのりと赤くなったマッドをそれ以上弄る事はせず、きゅっと抱き締めてやる。する
 と、戸惑いながらも、少しだけサンダウンに身を委ねる気配がした。
  これが、今のマッドに出来る精一杯の譲歩か。
  そんなマッドの様子に、サンダウンは微笑ましい気持ちになると同時に、微かに焦がれるような
 気分にもなる。
  無理強いするつもりはない。
  しかし、できるだけ早く、マッドを手に入れたい。
  そんな相反する思いに悩まされるサンダウンとしては、せめて、マッドからの口付けの一つでも
 欲しいところだ。今現在、抱き締めたり口付けたりするのは、サンダウンからだ。もしかしたら、
 マッドが誰かに奪われてしまうのではないかという嫉妬と危機感に怯えているのも、サンダウンだ
 けなのかもしれない。
  そう思えば、果たしてマッドは嫉妬などするだろうか、と考える。
  サンダウンが知るマッドは、他の誰かに襲われて怯えていたり、或いはサンダウンがマッドを諦
 めるようにと泣きそうな顔で何かを言い募っていたり、けれどもサンダウンに抱き締められると全
 身を茹でダコのように真っ赤にしていたりする。
  良く良く考えてみれば、サンダウンがマッドに対して嫉妬を浮かべる事はあっても、マッドがサ
 ンダウンに対して嫉妬を覚えているところは見た事がない。
  それは、サンダウンがマッドを想っている事がまだ信じられないマッドにとっては、嫉妬よりも
 諦観が勝る所為なのだろうが。
  サンダウンには、おもしろい事実ではない。
  サンダウンは、マッドが想う男に――自分であるなどとは欠片も思わずに――恐ろしいほど嫉妬
 した。マッドが誰かの為に買った服、誰かを想いながら買った石ころ一つにさえ、嫉妬した。
  が、マッドはサンダウンを諦める事ばかり考えて、嫉妬に狂う事などない。
  非常に、非常におもしろくない。
  マッドも、みっともないほどに、嫉妬すれば良いのに。
  顔を蒼褪めさせて、身を震わせて、その形の良い唇も震わせて、途絶えるような言葉を吐きなが
 ら、銃を手にしてしまうほど、サンダウンに対して嫉妬すれば良い。
  髪を振り乱して、喉が焼け切るぐらいに慟哭すれば良い。そうさせるには、どうすれば良いのか。
 
 「………キッド?」

  不意に、マッドが何処か怯えを孕んだ声でサンダウンを呼んだ。
  腹の底で嫉妬に狂った獣を鎖に繋いでいるサンダウンの気配の変調に、どうやら気付いたらしい。
 サンダウンの行動一つ一つに心を震わせるマッドは、サンダウンの微かな気配にさえ敏感に気付く。
 なにか、自分がサンダウンの気に障る事をしたのだろうか、と怯えている。
  それによってサンダウンがマッドに酷い事をする、とは思っていないのだろう。ただ、サンダウ
 ンに嫌われたのではないか――それ以上に軽蔑されたのではないかと、怯えている。
  愛らしく赤らんでいた頬も白く戻り、マッドの怯えが深い事を示している。
  それは、逆に言えばそれだけマッドの心根がサンダウンに対して深く根を張っているという事な
 のだろうが。

  サンダウンは、マッドを安心させるように包み込み、優しく額に口付ける。
  途端に、思い出したように再び真っ赤になるマッド。
  なんて、わかりやすい。
  サンダウンの口付け一つに悦んで、怯えて。
  あまりにも深いマッドの情に、サンダウンは不機嫌そうな顔をしていた嫉妬の獣を抑えつける。
 マッドを、嫉妬の牙で引き裂くわけにはいかない。マッドに嫉妬をして貰いたいからと言って、マ
 ッドを傷つける事だけはあってはならない。マッドの心は、今でも十分に乱れに乱れている。今こ
 こで、サンダウンが何か一言でも不機嫌な声を出せば、マッドは忽ちのうちに目を潤ませるだろう。
  それに、嫉妬の話を聞かせて、それでもしもマッドがサンダウンを諦めるような事があったら、
 その時こそサンダウンも途方に暮れてしまうだろう。
  だから、自分の我儘でこれ以上マッドをかき乱すわけにはいかなかった。
  口付け一つで頬を赤らめるマッドを可愛いと思うし、無意識なのか、時折首からぶら下げた指輪
 を手で弄んでいるマッドを見れば、いずれ遠くない日に自分の手の中に落ちてくるだろうとは思う。
 その日を早めたいという気持ちはあるが、急いては事を仕損じる可能性もある。
  腕の中でふるふると震える獣は、まだまだ柔らかく、嫉妬の牙を受ければ斃れてしまう。
  そんな事をして、永久にマッドを失う事だけは、避けたい。

 「や、やめろよ……。」

  何度も何度も顔中に口付けを振らせていると、マッドが抵抗をし始めた。恥ずかしさが頂点に達
 したらしく、もぞもぞと身じろぎして逃げようとしている。そんな事をしたって無駄なのに。そも
 そも、マッドだって本気で抵抗していない。それに、本気でマッドが嫌がれば、サンダウンだって
 身を引く。
  マッドが本気にならない以上は、そんな抵抗は可愛い焦らしにしかならない。

 「キッド………やめろって言ってんだろ……!」
 「何故……?」

  声を強くするマッドに、そう問い返せば、言葉に詰まる気配があった。まさか、マッドも自分が
 恥ずかしいから、なんて言葉を口に出す事はできないらしい。もごもごと口の中で何事かを呟き、
 そして、ちらりと上目遣いでサンダウンを見る。

   「こんな事、する必要、ねぇだろう?」

  その言葉に、少しだけむっとした。腹の底でぐるぐると唸っていた獣が、がぱっと牙を見せる。

    「……する必要がない?何故、お前にそんな事が分かる……?」

  低く唸れば、マッドがはっとするのが見えた。そこに覆い被されば、その黒い眼に怯えた色が浮
 かんだ。それを見て、サンダウンは少し身を離す。代わりに、その頬に手を添えた。

 「マッド……私は、お前に触れたい。」

  そう囁いて、もう一度口付けた。