マッドは薄暗い小屋の中で眼を覚ました。周囲の空気はひんやりと湿っぽく、身体に巻きつけて
 いる毛布は反して温かい。夜明け間際の薄暗さを伴って、辺りは独特の静けさに満ちていた。聞こ
 える音は遠くの風の音と近くの自分の吐息だけ。
  そして。
  もぞり、と背後で蠢いた気配に、マッドはびくりと身体を震わせた。項の後ろから、もう一つ、
 自分以外の吐息が零れている。マッドの腰をしっかりと抱きしめ、項に顔を埋めて眠る男が、マッ
 ドの目覚めに敏感に反応して、浅い眠りから浮上してきたのだ。
  項に顔を埋めたまま、そこに何度も啄ばむような口付けを落とす。その感触にマッドは身を固く
 した。そんなマッドに苦笑した気配があって、宥めるようにマッドの臍の上で組んでいた腕を解き、
 ゆっくりと身体を撫で上げていく。一方の手は腰から外腿へ伝い内腿へ。もう片方は腰から脇腹、
 そして胸元へ。そしてマッドが首から下げている指輪を見つけると、それを慈しむように指先で弄
 ぶ。
  やがて、マッドの項から顔をずらし、マッドの耳元を甘噛みしながら囁く。

 「……おはよう、マッド。」

  囁かれた声は、その台詞を吐くには些か熱っぽ過ぎた。マッドは、きゅうと喉元を締められたよ
 うな声をあげて、毛布に顔を潜り込ませる。すると、背後にいる男――サンダウンも一緒になって
 毛布に潜り込んでくる。きっと、サンダウンはマッドの顔が耳まで赤くなっている事に気付いてい
 る。気付いていて、離れる事を止めてくれないのだ。サンダウンの所為で顔を赤くするマッドを楽
 しんでいる。
  まるで、初めて夜を明かした恋人同士のようだ。
  しかし、念のために言っておくならば、確かにマッドはサンダウンと一緒に眠りについたが、身
 体を繋げたりはしていない。それどころか、肌だって見せていない。要するに、性的な行動は一切
 していない。今だって、サンダウンの手はマッドの服の上からマッドの身体の線をなぞっているだ
 けだ。
  むろん、その気になればサンダウンはマッドの身体を覆う薄っぺらい布きれなど、あっさりと剥
 ぎ取る事が出来るだろう。マッドが抵抗したところで、サンダウンに敵いはしない。
  だが、サンダウンはそれをしない。サンダウンは以前から口にしていた通り、無理やりにでもマ
 ッドの身体を奪う事はしないつもりのようだ。そしてそれは、僅かなりともマッドがサンダウンを
 受け入れた今でも変わらない。
  ただ、マッドへの触れ方が、少しずつだが変わっている。
  何が、と言うわけではない。サンダウンがマッドに口付ける事は以前からあった事だし、抱き締
 める事もずっと以前からあった事だ。
  だが、無意識なのか、或いは意図的なのかは分からないが、触れ方が以前よりも何かを探るよう
 に、求めるように変化している。マッドの身体の線から何かを捜し出そうと指が彷徨い、その指先
 には以前には見られなかった熱っぽさがある。
  それが意味するところが分からぬほど、マッドは鈍感ではない。大体、口付けも抱擁も済ませた
 男が次に何を求めるかなど、一つしかないではないか。それは間違いなく、サンダウンが無理強い
 はしないと何度も口にしている物事だ。

 「……今日は、どうするんだ?」

  毛布の中でマッドを抱き締めて問い掛ける男は、しかしその先を口にしようとはしない。マッド
 から了承の言葉を貰うまで、待つつもりだろうか。

 「賞金首は昨日狩りに行ったし、食料もある……今日は、どうするつもりだ?」

  暗に、今日は何処にも行かないだろう、と言っている。
  サンダウンは、マッドが離れる事を未だに良しとしない。自分の眼から離れたところに行って、
 その間に何かあったらどうするつもりだ、と言う。今のお前は注意力が散漫になっているのだから、
 と、マッドの注意力をかき乱している当の本人が言う。
  だが、マッドの注意力が元に戻るのは、一体いつなのか、マッドにも分からない。サンダウンを
 受け入れた今でも、以前ほどの注意力には至らない。基本的に、思考回路の半分以上がサンダウン
 に持っていかれている上に、更にサンダウンが近くにいるのだから当然と言えば当然だ。
  だったらサンダウンが遠くに離れれば元に戻るのだろうかとも思うが、生憎とサンダウンが離れ
 てくれないので、それは実証できない。
  それとも、サンダウンと身体を繋げてしまえば、全てが治まって、元に戻るのだろうか。
  そこまで思って、うっかりと、行為そのものを想像してマッドはますます顔を赤らめた。あまり
 にもはしたない事を考えているような気がしたのだ。
  が、もしもサンダウンがこの先を求めているのなら、考えねばならない事でもある。
  抱く抱かれるの関係に陥った場合、紛れもなく抱かれる側になるのは、これまでの経緯からも―
 ―というか既に抱き竦められている時点で、マッドに違いない。サンダウンの前で押し倒されて、
 裸に剥かれて、露わになった身体を見てサンダウンはそれでどうするつもりだろうか。
  そもそもマッドは男である。残念ながら女のような柔らかく豊満な身体は、何処をどうひっくり
 返しても出てこない。サンダウンが何を思っているのかは分からないが、もしもマッドを抱くつも
 りなら、マッドの身体を見た時点で冷めないだろうか。或いは、サンダウンが最初からその手の趣
 向を持っていたか。
  男を抱いた事があるんだろうか、と真剣に考え始めたマッドの耳元で、賞金稼ぎの様子がおかし
 い事に気付いたサンダウンが、先程までの熱っぽい声音を隠して鋭く名を呼んだ。

 「マッド。」

    サンダウンは、マッドが自分以外の事を考えるのを好まない。いや、例えサンダウンの事を考え
 ていたとしても、それがサンダウンを信用していないような埒のないものであれば、やはり良い顔
 はしない。
  マッドから毛布を剥ぎ取って、くるりと身体を回転させてサンダウンと向かい合わされる。毛布
 がなくなった事で冷えた空気が身体に触れ、その冷気にふるりと身体を震わせれば、サンダウン自
 身が纏わりついて外気からの壁になった。

 「また、変な事を考えているだろう……。」

  察しの良い男は、今度こそマッドの顔を覗きこんだ。マッドの顔色は今や赤くはなく、それがサ
 ンダウンの声に鋭さを齎した。

   「お前が何かおかしな事を考え始める前に言っておくが、私はお前を手放すつもりはない。この先、
  何があっても、だ。」

     マッドが黙りこめば、サンダウンは普段よりも饒舌になる。
  それはそれだけサンダウンが必死なのであって、増量した言葉の分だけ、マッドに込める思いは
 強い。ただ、サンダウンがマッドを失わないようにと、マッドの沈黙を埋める為の言葉を、絞り出
 しているのだという事を、マッドが気付いているのかといえばそうではなかった。
  マッドには、そこまでサンダウンの事を見届ける余裕はない。サンダウンが何を考えているのか
 興味はあるが、それを完全に読み取れた試しは一度もない。寡黙なサンダウンが口を開いて言葉に
 してくれる事は有り難い事ではあるが、しかしそれを何処まで鵜呑みにすべきなのか、マッドは未
 だに図りかねていたし、未だに全てを鵜呑みに出来ずにいた。
  結局何も言えずに黙り込んでいると、サンダウンが宥めるように優しく口付けて、それで話は終
 わる。
  口付けられる事は嫌いではない。ただ、そうやって口付けられて話が終わってしまうと、何か、
 はぐらかされたような気分になるのだ。
  むろんそれはマッドの所為であってサンダウンの所為ではない。サンダウンは常よりもいくつも
 の言葉を並べ立て、マッドとの意志疎通を試みた。けれどもマッドは何も口にしなかった。疑問も
 不安も口にしないマッドは、意志疎通を放棄したと言っても過言ではない。
  だが、今持っているマッドの不安やら疑問やらは、あまりにもはしたないもので、口に出せるよ
 うなものではなかった。
  だから、結局マッドは口を閉ざしたまま、サンダウンの腕の中に抱き込まれた。