マッドは街に来ていた。
  さっき賞金首を一人撃ち倒して、その賞金を保安官から貰い受けているのだ。
  その傍には、当然の如くサンダウンはいない。5000ドルという高額な賞金首であるサンダウンは
 保安官事務所になど入れないし、人目の付く場所にいる事すら憚られるのだ。
  サンダウンが傍にいない事で、マッドは少しだけほっと安堵の息を吐く。もしかしたらこのまま
 サンダウンから逃げられるんじゃないだろうかとも思ったが、ちらりと背後を見えれば事務所の扉
 の前に、うっそりと背の高い影が差していたので、それは無理だと思い直す。

  というか、あいつ、あんなとこにいて目立つんじゃねぇのか……?

  保安官事務所に入って来ないものの、人通りの多い通りに面した入口の前で突っ立っているのは、
 賞金首として大丈夫なのだろうか。
  そう不安に思いつつも、同時に安堵している自分がいる事に気付いて、マッドはぶんぶんと首を
 振った。

  あのおっさんと離れている事にほっとしていたんじゃねぇのか、俺は!

  四六時中べったりと張り付いて、隙を見ては口付けを仕掛けてくるサンダウンに、マッドの心臓
 は破裂寸前だ。抱き締められる事に震えなくなったからといって、恥ずかしさが消えるわけでもな
 い。だから、サンダウンが入ってこない賞金稼ぎとしての仕事をしている間だけが、マッドにとっ
 ては気の休まる時なのだが。
  しかし、サンダウンの姿が見えないと、どうにも落ち着かないのも事実だ。いや、いなくなって
 も別に構わない。というかそれが普通だ。サンダウンはマッドの事を欲しいと言うけれど、それだ
 って本当の事か――例え本当の事だとしてもいつまで続くか、分からない。マッドよりも、柔らか
 い身体をした女のほうが良いと思う時が、きっと来る。
  振り返った時にサンダウンがいない事は、これから起こり得る。

  だから、振り返った時に、サンダウンがちゃんとそこにいる事に、安堵する。

  ……って違う!

  マッドは慌てて、結局そこに落ちつこうとする自分の意志を叱咤する。この先、サンダウンがい
 る事に慣れてしまったら、困るのはマッドだ。サンダウンは平気で他の誰かに向かう事が出来るか
 もしれないが、マッドには無理だ。慣らされて牙を抜かれた後、普通に決闘をするなんて、出来る
 はずがない。そしてその時、マッドの賞金稼ぎとしての存在意義は消えてしまう。
  そうならない為にも、サンダウンとの距離を図る事は、とても大切な事なのに。
  なのに、振り向いた時にその姿があると、酷く安堵してしまう。こんな事は、駄目だと分かって
 いるのに。サンダウンの事は好きだけれど、それが成就してしまう事は絶対にあってはならない事
 だというのに。例え、サンダウンもマッドを欲しがっていたとしても。
  なのに、なのに。

  支払われた賞金を手にして立ち尽くす賞金稼ぎを、保安官が怪訝そうに眺める。その視線にマッ
 ドは、はっとした。此処は、どう考えてもサンダウンの事を考えるに向いている場所ではない――
 もっとも此処以外の場所ではサンダウンが張り付くので、やっぱりサンダウンの事を考えるには向
 かない。
  そんな事を考えるマッドに、何をしているのかと思ったのだろうか、サンダウンまでもが扉の向
 こう側から顔を覗かせて、こちらの様子を窺い始めている。
  保安官事務所の中を覗こうとしている賞金首に、マッドは慌てて身を翻し、扉へと向かう。賞金
 首の癖に、無防備に保安官事務所の中を覗くとは何事か。
  もしかして自分が賞金首だという事を忘れているんじゃないだろうな、と思いながら、マッドは
 賞金を片手に、いそいそと保安官事務所から出ていく。
  すると、待ちかねたようにサンダウンが眼の前に立ち塞がった。覆い被さるように、マッドの身
 体に影を落とすサンダウンに、マッドはまさかこんな場所で抱き締めるつもりじゃないだろうな、
 と身を強張らせた。いくらなんでも、こんな、人通りの多い場所で男同士が抱き合っていたら、目
 立つ。

  しかし、マッドの杞憂に反して、サンダウンはその腕を持ち上げようとはしなかった。代わりに、
 マッドの身体を上から下まで隅々と眺めやる。じろじろと眺める不躾な眼線に、マッドはどきりと
 しながらも、何だよ、と口を尖らせた。そうやったのは、サンダウンに抱き締められるんじゃない
 かという事を、例え杞憂であったとしても思った自分を誤魔化す為でもあった。

 「………何か、問題があったわけではないんだな?」
 「何もねぇよ。この俺が、賞金首についての手続きに関して間違えるわけがねぇだろ。」

  間違えたとしたら、それはサンダウンに対して変な感情を持ってしまった事くらいだ。

  喉の奥で呟いて、マッドはサンダウンを睨むと、サンダウンはその視線を受け流して、帰るぞと
 背を向ける。しっかりと、マッドの手を掴んで。掴まれている手から繋がるサンダウンの熱に、マ
 ッドは、一瞬ひくりと震えそうになった。それを辛うじて堪え、頬が赤くなるのも堪えて、さりげ
 なく振り解こうとした。
  が、それはあっさりと阻まれた。
  それどころか、振り解こうとした事がばれて、サンダウンがマッドを睨みつけてきた。青い眼に
 睨まれて、マッドは今度こそ震えた。

 「マッド……。」

  マッドの震えを感じたサンダウンは、すぐに眼を和らげた。だからといって、マッドの手を離し
 てくれないが。

 「……何か、まだ、やる事でもあるのか?」

  優しく問うてくるが、それはサンダウンもついていける事が前提だ。マッドが酒場に行って賞金
 稼ぎ仲間と逢いたいと言っても、それは一蹴されるのは眼に見えている。

 「何か、欲しい物でもあるのか?」
 「ねぇよ……。」
 「言っておくが、酒場には連れて行ってやらんぞ。」
 「分かってるよ。」

  そんな事は分かっている。それでも、ただ、少し離れて欲しい。何も欲しくはないから、少しだ
 けマッドから離れて、マッドに考える場所を与えて欲しい。今だって、マッドの事など保安官事務
 所に置き去りにして、先に帰れば良かったのに。

  そうしたら、きっと、マッドはサンダウンがそこにいるか不安になるだろう。先に行って、待っ
 ているか、不安になるだろう。
  その時、マッドは急いで追いかけるだろうか。
  或いは、不安が本物になる瞬間を避けて、別方向に歩くだろうか。
  いずれにせよ、マッドがサンダウンがいない事を想像して、不安を抱える事だけは真実だ。

 「マッド。」

  サンダウンの声が、微かに焦れたような響きを湛えた。それに伴って、マッドの手を掴んでいる
 サンダウンの手が、ゆっくりと宥めるようにマッドの手の線をなぞる。

 「………本当に?何も、ないのか?」
 「ない。」
 「問題も、欲しい物も?」
 「ない。しつけぇぞ、てめぇ。」

  本当に欲しいものは眼の前にある。けれども、それは手に入れてはいけないものだ。なのに、手
 に入れても構わないと囁いてくる。それが苦痛で、けれども甘さを伴っていて。きっと、本当にい
 なくなったら、マッドは元には戻れない。
  腕の中が心地良い事だとか、かさついた大きな手が好きな事だとか。
 手を出して手に入れてはいけないのに、すぐに手の届くところにあって、しかもマッドを掴んで、
 全部染みついて、離れない。

 「マッド?」

  しかも、こうしてマッドの変調に敏感に気付いて、気遣うような声を出す。きっと、此処で人眼
 がなかったら、マッドを引き寄せて、優しく宥めるようにマッドの背中を撫でるだろう。そんな事
 が分かるほどに、マッドはサンダウンの事を知っている。そしてそれが恥ずかしく、けれども心地
 良い。
  この、酷い混乱と矛盾を、どうにかしたいのに。考えて頭の中を整理したいのに。サンダウンは
 マッドにべったりと張り付いて、離れていたとして匂いと熱が染みついて張り付いて、マッドは何
 も考える事が出来ない。

 「何もない、なら、帰るぞ……。」

  マッドの声と表情に、納得したわけではないだろう。しかし、これ以上無駄だと判断したのか、
 サンダウンはマッドの手を引いて、街の外へと連れ去っていく。
  これまでのように、子供のように手を引かれて連れて行かれる。マッドはそれに一度として抵抗
 らしい抵抗をした事がない。口では罵っても、その手を振り払えた事など一度もない。
  もしも、サンダウンがマッドの手を離してしまったら。マッドが手を振り払った時に、あっさり
 と手を離してしまったら。

  そんな事、考えたくもない。