眼が覚めた。
  隣にサンダウンがいた。
  それを見て安堵した。
  そんな自分に気付いて、マッドは激しく自己嫌悪した。

  違う、こんなのは駄目だ、とマッドは頬を赤らめながら、自分に必死になって言い聞かせた。
  確かにマッドはサンダウンの事が好きだ。その姿を想像しただけで、もう気が狂ってしまうんじ
 ゃないかと思うくらい、声を聞いただけで痛いくらいに心臓が跳ね上がって早鐘を打つくらい、サ
 ンダウンの事が好きだ。
  けれども、それは絶対に成就させてはいけない思いだ。
  だって、マッドも男だし、サンダウンも男だ。一緒に歩んだとしてもそれは荒野以上に不毛で、
 そこには何の実りもなければ希望もない。それに何よりマッドは賞金稼ぎで、サンダウンは賞金首
 という、対極に位置している。奪い合い、殺し合う事が当然の関係が、それとは真逆の関係になる
 なんて、そんな蜜よりも甘い夢はマッドは信じないし見ない。
  そんな憎たらしい甘ったるいだけの夢を見るくらいなら、荒れ果てた現実を受け入れて、何もか
 もを押し殺して、ただいつものようにサンダウンを追いかけて、その姿を眼に留めるだけで十分だ。

  なのに。
  なのに、サンダウンはそんなマッドの葛藤などあっさりと飛び越えて、マッドの事が欲しいと言
 う。マッドには何の断りもなく、マッドの身体を抱き締めて、夜になると腕の中にマッドを囲った
 まま横たわり、そして口付けを施していく。
  そして、マッドに口付けたその口で、マッドが嫌ならば、無理強いはしない、と言う。マッドの
 事が大切だから、無理やり身体を奪う事はしない、と。
  けれども同時に、マッドを掻き抱く事は止めず、それどころかマッドが一人で誰かと逢う事も許
 してくれない。その拘束は、少しずつ緩んできてはいるものの、未だに強固だ。

  マッドにしてみれば、少しサンダウンと距離を持ちたいと思う。
  マッドを欲しいと言うサンダウンが信じられないマッドにしてみれば、少し一人で考える時間が
 欲しい。しかしサンダウンはそれを許してくれない。これまで離れていた時間を埋めるかのように、
 マッドから片時も離れてくれない。
  マッド一人だと危険だ、というサンダウンの言い分が、確かに一理あるのも、マッドには頭の痛
 いところだ。
  サンダウンの事で頭が一杯の最近のマッドは、非常に無防備だ。既に2回ほど男達に襲われかけ、
 その度にサンダウンに助けられている。周囲に群がる気配に気づかない事など、既に数える気も失
 せるほどだ。――しかもそんなマッドの状態は広く世間に知れ渡り、それは恋煩いの所為であると
 いう非常に精度の高い憶測まで飛び交っている。

  けれども、サンダウンを惹き離せない一番の問題は、紛れもなくマッド自身にある事を、マッド
 は否応なしに理解していた。

  男同士だ、賞金首と賞金稼ぎだ、なんだかんだと理由を付けて、なんとかサンダウンから離れよ
 うとしても、結局のところマッドがサンダウンの事を好きである以上、しかもサンダウンに求めら
 れてしまえば、本気で逃れられるはずがないのだ。いや、本気で逃れようとする気もないのかもし
 れない。
  サンダウンに抱き締められただけで炎を飲んだかのように身体の奥から熱くなって、口付けられ
 れば全身が真っ赤に染まる。そんな身体ではサンダウンを押しのける事は不可能で、結果、深くな
 る口付けを受け入れて、そして更に身体を弛緩させる。
  抱き締められる事は炎に焼かれるようで、口付けは背徳の味はするのに、けれどもそれらはマッ
 ドの身体の奥に染みついて、一度遠くに離れてしまえば、その距離が激しく恋しくなってしまう。
 まるで、中毒性の深い薬物のように。





  昨夜、サンダウンが傍にいない事に、寂しさを覚えてしまったのも、中毒の一種だ。
  けれども薬物中毒者が往々にして、手を出して後悔し、二度と手を出さないと決心するように、
 目覚めたマッドは、隣にいるサンダウンを見て激しく後悔した。
  しかし、薬物中毒者が往々にして、後悔しても結局また薬物に手を出すように、マッドもまた、
 隣にサンダウンがいる事に安堵を覚えていたのだから、救いようがない。

  だが、これにはサンダウンにも責任の一端はあるのだ。
  マッドは、隣にいるサンダウンに毛布の隙間から視線を向けながら――その厳めしい皺の刻まれ
 た顔に見惚れながら――責任転嫁するように思う。

  マッドは、少なからずとも、十分ではないにしても抱き締めてくるサンダウンに抵抗をした。嫌
 だ、と呟いて、口付けから顔を背けた。けれどもサンダウンはそんな抵抗はないものと見なし、マ
 ッドを奪っていく。きつく抱擁し口内を荒らすような口付けをしてマッドの力を奪った後は、ただ
 真昼の凪のような穏やかな抱擁と口付けを与えていく。そうやって翻弄して、マッドにその存在を
 擦り込んでいったのはサンダウンだ。
  そうやって日頃から激しく穏やかに奪われ続けたマッドは、サンダウンの体温が皮膚に染みつい
 て、サンダウンの体温が傍にいないと落ち着かない。

  もしも、サンダウンが実はマッドなどいらないと言って、マッドを突き離してしまえば、マッド
 はどうすれば良いのか。サンダウンの感触だけが身体に残ったままで、どうやって生きていけと。
 マッドは既にサンダウンの傍に、居心地の良さを見つけてしまっているというのに。
  無責任だ、とマッドは自分を欲しいと囁き続ける男を恨めしく思う。
  信じて欲しいと呟かれても、どうしても頷けないのは、信じた後に訪れる恐怖の所為だ。
  何度も繰り返した、サンダウンが実はマッドの事などいらないと思っていたら、とう考えは、一
 朝一夕で覆されるものではない。

 「マッド。」

  眼を閉じていた男が、突然口を利いた。
  おそらく、最初から眠ってなどいなかったのだろう。それはマッドも予想していた事だ。けれど、
 先程まで考えていた事も相まって、びくりと身体を震わせてしまった。そんなマッドをサンダウン
 は当然のように抱き締め、自分のもとへと引き寄せる。

 「そんな眼で、見るな………。」

  昨夜と同じ言葉を囁かれ、マッドは視線を泳がせる。そこに青い双眸が開かれ、マッドを見つめ
 る。

 「また……何か、考えていたな………。」

  そういう眼をしている。
  そう呟いて、サンダウンはマッドの唇に柔らかく口付けた。触れる程度の口付けに、マッドはそ
 れだけでも身体を震わせる。

 「……そんな眼をするくせに、逃げるのか。」
 「ち、違う……!これは……!」
 「昨日は抱き締めたら、すぐに眠ったのに。」

  事実を指摘され、マッドはかっと頬を赤らめる。それは羞恥と悔しさからだった。赤い顔でサン
 ダウンを睨んでも効果はない事は分かっていた。けれどもマッドは睨まずにはいられない。自分を
 こんなにした男の事を。
  すると、サンダウンは静かに溜め息を吐いて、睨むマッドの眼元に口付けた。

 「マッド……昨日、私はお前から距離を取った。だが、お前は恋しそうに私を見ただろう。」
 「こ、恋しそうって……!」
 「そうだ。お前は物欲しげに私を見た。愛しい相手にそんな眼で見られて耐えられるほど、私は出
  来た人間ではない。まして、お前は私の事が好きだというのだから、尚更。」

  そう、サンダウンにしては長い台詞を一息に喋ると、再び深く長い溜め息を吐いた。そして、サ
 ンダウンはベッドに身を起こすと、まだ寝そべったままのマッドを見下ろし、マッドの手をそっと
 掴む。

 「……お前が傍にいて欲しいと言うのなら、いくらでも傍にいてやろう。だから、そうやって眼で
  訴えるのは止せ。お前の眼は、毒だ。」

  理性を捨てて、襲い掛かりたくなる。

  昨夜と同じ事を、昨夜よりも硬い表情と硬い口調で呟かれ、マッドは息を飲む。その拍子に、サ
 ンダウンの硬い口調を呑み込んでしまったかのように、喉の奥が詰まったような気分になった。何
 か酷く息苦しい気分になったマッドに、サンダウンはその様子にすぐに気が付いたようだった。
  すぐさま身を屈めると口付けて、表情を和らげる。

 「………マッド、お前は素直に思った事を口にすれば良い。何も、考える必要はない。前から、そ
  う言っているだろう?」

  どうやらサンダウンは、マッドの表情を見て、またマッドが埒も明かない事――サンダウンに嫌
 われただとか、サンダウンを信じられないだとか――を考え始めたと思ったようだった。
  けれども、実際は違った。
  確かに、サンダウンの硬い表情と口調に、喉に何かが詰まったような気分になったけれども、そ
 れは氷砂糖のように、甘い陶酔を伴っていた。サンダウンが傍にいる安堵を一晩中感じ過ぎていた
 所為で、本来感じる痛みが甘さに変換されてしまっていたのかもしれない。
  ただ、苦痛にも近い表情で、マッドに襲い掛かりたいと呟きながらそれでも手を出さないサンダ
 ウンは、空腹であるにも拘わらず少女を食い殺さない獅子のようにも見えた。
  むろん、それらを丸ごと信じてしまうには、至らない。けれども、ごつごつと硬く喉の詰まるだ
 だったそれは、初めて微かな甘さを伴った。

  勿論、それはただの錯覚なのだろうけれど。

  マッドは自分にそう言い聞かせて、サンダウンからそっと眼を逸らす。その視界の端で、サンダ
 ウンが苦い笑みを微かに浮かべた事は、見逃さなかった。そして、その瞬間に、苦味と甘味が自分
 の中に渦巻いた事にも。

 「食事にするか………。」

    ベッドの上でそっぽを向いたマッドにそう告げて、サンダウンはベッドから降りる。そしてマッ
 ドの頭を軽く撫でてから、食事の支度をしようとマッドがら離れていく。
  離れていく足音を耳にしながら、マッドはしばらくベッドに顔を埋めていた。
  先程感じた微かな甘さは、きっとただの錯覚だ。何かを期待する自分の弱さが見せた、空虚な錯
 覚だろう。そもそも、自分達の間に、賞金首と賞金稼ぎである以上の関係を求める事自体が、既に
 間違っているというのに。

  けれど。

  マッドは、サンダウンの姿の見えなくなった扉を見つめて、のろのろと身を起こす。
  ほんの僅かな距離で単に姿が見えないというだけで、その距離が遠くて恋しさを感じている事は、
 もはや疑いようがなかった。
  少し前までは、サンダウンに何も告げずサンダウンからも何も聞かなかった時は耐えられた距離
 が、今では耐えられなくなっている。そして、羞恥と胸の痛みだけだった抱擁に、甘さが灯り始め
 ている事も。
  だが、マッドにはそれについて頷く事は出来なかった。

  代わりに、ベッドから降りて、サンダウンの後を追いかけた。