サンダウンは、ソファに腰掛けてマッドが戻ってくるのを待っていた。

  久しぶりに賞金稼ぎとしての仕事を終えたマッドは、そのまま酒場にでも行きたかったようだっ
 たが、それを押し留めてサンダウンは現在二人が塒にしている小屋にマッドを連れて帰ってきた。
 マッドは街をでる直前まで何かぶつぶつと言っていたが、酒を持ち帰る事でひとまず合意した。
  むろん、サンダウンもマッドが酒場に行って酒を飲みたかったわけではない事は知っている。お
 そらく、酒場でサンダウン以外の人間と接して気を紛らわせたかったのだろう。四六時中サンダウ
 ンと共にいる事が、マッドの神経にざわめきを与え続けている事に気付かぬほど、まして愛しい相
 手の心の揺らめきが分からぬほど、サンダウンは鈍い人間ではない。
  今回、マッドが賞金稼ぎとしての仕事をしたいと言ったのも、少しでもサンダウンから距離を保
 つ為だろう。
  サンダウンにも、マッドを拘束しているという自覚はある。しかし、未だにサンダウンを信じよ
 うとせずに震えるマッドに対して、サンダウンは出来る限り離れずに想いを囁く以外に術を知らな
 い。
  それに、未だサンダウンのものではないマッドは、いつ誰に奪われるとも知れないのだ。
  西部の荒野においては優男に分類されるマッドは、確かにその線の細さと秀麗さ故に欲を向けら
 れる事が多い。また面倒見も良いから、勘違いする輩も多い事だろう。
  もしかしたらマッドの眼にはサンダウンも同じようなものだと思われているのかもしれないが、
 そういった輩とサンダウンが決定的に違うのは、サンダウンがマッドに想われているという事だ。
 今はまだサンダウンを信じていないけれども、いつか必ずマッドはサンダウンの腕の中に落ちてく
 る。
  だが、それまでの間に他の誰かに奪われる事だけは、何としてでも避けねばならなかった。
  だから、サンダウンはマッドを拘束し続けた。本音を口にすれば、賞金稼ぎとしての仕事も、ま
 だして欲しくない。サンダウンのものである事が確定してから、他の誰かと――例えそれが銃声の
 一瞬の間の邂逅であっても――共にあっては欲しくなかった。それをどうにか譲歩して、仕事だけ
 はサンダウンの立ち会いのもとで行う事を許した。
  けれどもマッドにしてみればそれはまだ足りないのだろうと思う。
  マッドは、出来る事ならゆっくりと、自分の気持ちに整理を付けたいのだろう。周囲を探る事さ
 え散漫になるほどサンダウンを想いながらも、震えながらサンダウンの手を振り解こうとする自分
 を、どうにかして元の形に戻ろうと、理論と理性で乗り越えようとしている。いつもは直情的な癖
 に、おかしなところで理知的だ。

  そしてその理知的であるはずのマッドは、小屋に戻るなり風呂に入りたいと言って、風呂場に閉
 じ籠っている。どうやら、少しでもサンダウンから離れようという魂胆らしい。なかなか戻って来
 ないマッドに、サンダウンは溜め息を吐く。
  マッドが長風呂なのは、多分、サンダウンから距離を保つ為だけではないだろう。
  先程も言ったように、サンダウンはマッドに他の人間と付き合う事を止めさせている。何かを買
 ったりとかそういうのはまだ許しているが、売春宿にだけは行かせないようにしている。マッドが
 そういう意図を持って誰かに触れるのも、誰かに触れられるのも、サンダウンとしては勘弁願いた
 い。
  が、マッドがまだ若い事も事実だ。若い身体は欲に忠実で、少しすればその身体に欲を積もらせ
 ていく。特に男の身体は単純だから尚更。しかし今のマッドは欲望の捌け口もないわけで、そうな
 るとやはり自慰をするしかないだろう。
  マッドが肌を上気させて快感に喘ぐところを想像して、サンダウンは首を一つ振ってもう一度溜
 め息を吐いた。
  当然の事ながら、サンダウンにも欲はある。マッドを押し倒してその肌に顔を埋めたいという欲
 求は、どうしても付き纏う。マッドが甘く喘ぐところを想像すれば、身体の奥は否応なしに波打つ。
  だが、実際のマッドは、頬を赤く染める事はあっても、甘く喘ぐどころか、サンダウンを見れば
 震えるばかりで。それは欲望の対象よりも、まだ守ってやりたいという思いのほうをそそる。

    抱きしめてやりたい。何も心配する必要はないのだと、囁いて口付けて、その黒髪に指を差し込
 んで撫でてやりたい。そうする事でマッドがサンダウンの腕の中を安住としてくれるのならば、サ
 ンダウンは波打つ欲望を幾らでも抑え込む。
  サンダウンは、マッドが何らかの答えを持って腕の中に落ちてくるまで、ひたすら待つつもりだ
 った。マッドが悩みたいと言うのなら、いくらでも悩めばいい。
  風呂場の奥で悶々としているであろう青年を想像し、サンダウンはひっそりと笑った。
  が、すぐにその笑みを消す。

  マッドはまだ戻って来ない。いくらなんでも長風呂過ぎないだろうか。まさか、のぼせ上がって
 倒れているなんて事になっていないだろうな。
  風呂場に押し入る事は気が退けたが、一度不安に思ってしまえば、その不安を掻き消す事は困難
 だ。サンダウンはソファから重い腰を上げ、のそのそと風呂場へと向かった。






  マッドは湯船に口元まで浸かっていた。
  小屋に戻ってから、なんだかんだと理由を付けて、まるで逃げるように風呂場に籠ってしまって
 から随分と経つ。それでも出て行きたくないのは、風呂が好きだからではなくて、そこにサンダウ
 ンがいるからだ。
  サンダウンの事は嫌いではない。
  むしろ、考えるだけで胸が痛むくらいに好きだ。けれども、サンダウンもマッドが好きだという
 その言葉を信じる事が出来ない今現在の状況で、サンダウンと一緒にいる事は、マッドにとっては
 苦痛でもあった。
  マッドを見るサンダウンの眼差しは、まるで慈しむかのようだ。マッドを腕の中に抱き締めて、
 熱っぽく囁いて、まるで恋人のように。
  その、甘い響きを湛えた低音を思い出し、マッドは頬を赤らめた。
  ソファの上で、ベッドの中で、睦言のように囁くサンダウンは、しかし宣言したとおりマッドの
 肌に侵入してこない。ただ腕に抱き、時折押し倒すものの、それ以上は何もしない。ただし、口付
 けの回数は増えた。長らく傍にいる分、それは当然の事なのかもしれない。
  だが、その甘い感覚が身体に染み込んでいく様子が、マッドには怖い。
  サンダウンに触れられると、まだ頬は赤くなってしまうが、以前のように怯える事は少なくなっ
 た。抱き締められても身体は逃げようとはせず、その中で吐息を零してしまう。その馴れが、自分
 にとって何を示すのか、マッドは分からないわけではない。

  サンダウンが傍にいる事に慣れてしまって、けれども突然サンダウンがマッドを突き離したら。

  サンダウンの想いを聞く前ならば、まだ諦めもつく。胸は激しく痛んでも、それでも何とか堪え
 る事が出来ただろう。だが、一度抱き込まれて耳に声を吹き込まれた後では、どうすれば良いのか
 分からない。

  マッドは湯の中に漂う自分の白い手を見る。薄く静脈の透けるそれは、サンダウンに比べると余
 りにも頼りない。その手を包み込むサンダウンは、武骨でかさついていて大きい。マッドの手に自
 分の手を重ね、痺れの残るような声で囁く男は、マッドの手を見て何と思っていたのだろうか。
  組み敷きやすいと思ったのだろうか。それとも、折れそうだとでも思ったのだろうか。
  身体付きだけで、欲を傾けられる事は少なくなかった。女の代わりに見られる事も多く、そうで
 なくとも欲望の捌け口として見られる事は多かった。サンダウンは、マッドを抱きたいと言った。
 けれどもそれ以上にマッドに信じて欲しいと呟いた。
  マッドを腕に抱いて、欲しいと囁きながら、それでも決して最初に告げた言葉を引き裂く事なく
 マッドの肌に触れようとしない男は、一体何処まで本気なのだろうか。
  誰にも渡さないと言って、マッドを拘束し続けるサンダウンは、何処までマッドを待てるのだろ
 うか。
  もしもサンダウンが本気で、けれども一向に靡かないマッドに焦れて、諦めてしまったら。だが、
 だからといって、サンダウンを信じるのも、恐ろしい。

     男にしては、あまりにも繊細すぎる指。けれども女のようなたおやかさは何処にもない。それは
 身体についても同じ事だ。せいぜい、少ない女の代わりににしかならない。
  一体、サンダウンは、マッドの何をもって、欲しいと囁くのか。
  そしてそれは、一体いつまで保つのか。マッドの身体が目当てならば、マッドの身体に飽きたら、
 それで終わるのか。

     ――こんな埒もない事を、一体いつまで考えれば良いのか。

 「マッド。」

  唐突に、思考に割入る響きが木霊した。はっとして湯船から顔を上げると、風呂場の扉を挟んだ
 向こう側に、よく見知った――甘い痺れを齎す気配が立ち昇っている。

 「な、なんだよ!」

  一人で考え事をしていた時に入り込んできた気配に、まるで見透かされたような気分になって、
 マッドは思わず声を荒げてしまった。その声は、マッドが予想していた以上に大きく反響し、マッ
 ドは慌てて口を噤む。
  そんなマッドの様子に気付いているのかいないのか、聞こえてくるサンダウンの声は普段と変わ
 りない。
  ――いや、微かに戸惑うような躊躇うような色がある。

 「……お前が、なかなか戻って来ないから、のぼせているのかと思って様子を見に来た。」

  心配したのだ、と。微かな声の変調が告げる。それに、ぐっと息を詰めたのは、何故だったのか
 ――喜びだったのか羞恥だったのか――マッドには分からない。ただ、慌てて絶句を解き、怒鳴り
 返す。

 「大丈夫に決まってんだろうが!」
 「そうか………。」

  気配の中に微かに混ざる苦笑。きっと、今、サンダウンは僅かにその口元を緩めているのだろう。
 その表情は、最近になって見るようになったものだ。

 「では、早く上がってこい。でないと、酒は全部飲んでしまうぞ」
 「な……それはあんたが俺の為に買ったもんじゃねぇのかよ……!」

  サンダウンの言葉に咄嗟に言い返し、マッドは湯船から上がる。

 「飲まれたくなかったら、早く上がってこい。」
 「言われなくても、もう上がる!」

    サンダウンの気配が、笑みを湛えたまま再び去っていく。その中に何処か甘い気配がある事に気
 付いてマッドは風呂で上気した身体を、いっそう赤くさせた。