マッドは、ほっと溜め息を吐く。
  たった今、久しぶりに獲物を狩ったところだった。

  ずっとサンダウンに、賞金首を狩る事を止められていた。今のお前では危ない、と言われて――
 マッドにも少なからずとも自覚はあった――手配書をまるまる何処かに隠されていた。
  だが、流石にこのままではまずいと思い、サンダウンに訴えたのだ。これ以上は駄目だ、と。こ
 のままずっと働かねば、いつかは資金も底をつくだろうし、マッドの銃の腕だって鈍ってしまう。
 後半部分については口にしなかったが――口にしたら、サンダウンの事だから私がお前を守るから
 問題ないとか言いかねない。
  とにかく資金について延々と並べ立てて、ようやくサンダウンは渋々ながら頷いた。物凄い、仏
 頂面で。そして、その仏頂面のまま、その時は『絶対に』自分も一緒に連れていく事を、マッドに
 約束させたのだ。
  そんな事、今更約束させる事もないだろう。どうせ今もべったりと張り付いている癖に。マッド
 は自分の頬を両手で優しく包み込んで視線を合わせてくる男にそう思ったが、その視線は恐ろしい
 ほど真剣で、マッドが頷かなければ許してくれそうにない雰囲気が漂っていた。その雰囲気に呑ま
 れて、結局マッドは何も言えないまま頷いてしまったのだが。
  それでも何とか仕事が再開するところにまで漕ぎつけて、マッドはほっとする。例え、少し離れ
 たところでサンダウンがマッドの仕事ぶりを逐一見逃さずに観察しているとしても、サンダウン以
 外の事で神経を使う事は、マッドにとっては有り難い。
  何せ、ここしばらくの間、マッドはサンダウン以外の人間と接する機会が極端に減っていた。
  べったりと張り付く男は、五千ドルの賞金首という事もあって、そうやすやすと一緒にいるとこ
 ろを見られて良いわけでもないし、何せマッドが誰かと話しているのを見ればサンダウンは非常に
 不機嫌になる。それで、酷い眼に合わされるわけではないのだが、けれどサンダウンの怒ったよう
 な眼は、マッドにとっては非常に毒だ。サンダウンが自分の所為で不愉快な思いをしていると思え
 ば、それだけで心臓を鷲掴みにされたような気になる。
  それほど、マッドはサンダウンの事が好きだった。
  ただし、それを心の中で呟けば、未だにわたわたとしてしまうし、サンダウンがマッドに紡ぐ睦
 言を信じられないような状態なのだが。
  そんな、サンダウンの傍にいられるのは嬉しいけれどもサンダウンの事は信じられない、という
 非常に難解な状態にあるマッドにとって、四六時中サンダウンの腕の中にいるのは、そのまま心臓
 が破裂して死んでしまうんじゃないかというような苦行でもあった。だから、せめて自分だけの時
 間として、賞金稼ぎとして働く時間を返して欲しいと思って、サンダウンに交渉したのだ。以前、
 手配書を捲っている時は、一蹴されてしまった事もあり、ほとんど駄目元だったのだが、しかし結
 果としてサンダウンは許してくれた。仏頂面であったけれど。
  どうやら、サンダウンにも、マッドに貼り付き過ぎているという自覚はあったようだ。
  マッドに『優しくしたい』と告げた男は、マッドが本気で嫌がれば手を出さない。マッドを強い
 力で抑え込んでベッドに貼りつける事も、マッドが震えていればすぐに身を退く。強引な口付けも
 抱擁も、マッドが本心から嫌だと言えば止めるだろう――ただし、マッドが既にサンダウンに告白
 している以上、それは有り得ないのだが。とにかく、サンダウンは出来る限りマッドを束縛したい
 としながらも、その腕を少しずつ緩めてくれているようだった。
  しかし、完全に解けているわけではない。
  現に、

 「…………マッド。」

  賞金を受け取って保安官事務所から出てきたばかりのマッドの腕は、そのまま酒場に行くだけの
 暇も与えられず、掴まれて路地裏に引きずり込まれる。抵抗できない強い力に引き寄せられ、その
 まま抱き締められた。人気のない路地裏に引きずり込んだあたり、サンダウンは確信犯だ。
  とは言っても、いつ誰が来るとも分からない場所で抱擁をかましてくる男は、やはり自分の立場
 というものを分かってない。

 「止めろよ………。」

  マッドが少し硬い声を出せば、抱擁はすぐに外れた。ただし、代わりに頬に手が添えられる。か
 さついたそれを振り解く勇気は、マッドにはない。

 「…………怪我はないな。」
 「ずっと見てたんだから、分かるだろ。」

  撃ち取るその一瞬まで、この男の視線が自分を追いかけている事に気付いていた。銃を扱うとこ
 ろは今までも何度も見られている。けれど、誰かを撃つところを、ここまでじっくりと見られたの
 は初めてだ。それについて、気恥ずかしさを覚えるような事はないけれど。

 「…………終わったのなら、帰るぞ。」
 「え……?ちょっと待てよ。」
 「…………なんだ。」

  マッドの肩を抱いて、そのまま街を出ようとするサンダウンに、マッドは一瞬抗いを見せた。途
 端にサンダウンの声に、微かに訝しむような――同時に酷く不機嫌そうな――色が混ざる。だが、
 それでも問答無用で引き摺っていくのではなく、一応問い掛けがあった。 

 「まだ、何か、あるのか?」
 「え……と……その……酒場に………。」
 「駄目だ。」

  一語で否定された。
  しかしそれでは流石に狭量だとサンダウンも気付いたのか、マッドの肩を引き寄せて囁く。

 「この街では、駄目だ。」

  この街の酒場は大きい。大きい分、賞金稼ぎも雪崩れ込み、ならず者達は廃される。そこにマッ
 ドが入る事は出来ても、サンダウンが入る事は出来ない。しかし、マッドとしてはそのほうが好都
 合なのだが。久しぶりに、賞金稼ぎ仲間達とゆっくり、出来る事なら今現在の自分の窮地について
 サンダウンの名は伏せて、相談とか色々したかったのだが。
  だが、サンダウンは自分の眼の届かない所でマッドが誰かと飲むのは嫌だと言う。

 「酔ったお前を、誰かに寝取られる事だけは、勘弁したい。」
 「なっ………そんな事あるかよ!」
 「分からんだろう……いくらお前でも、酔ったところを大勢に襲われたら、太刀打ちできないだろ
  う?」

  そう言うと、サンダウンはマッドの額に口付け、囁く。

 「お前に何かあった時、守れないのは、辛い………。」
 「な………っ!」

  ぞくりとするほど熱っぽいテノールが耳朶を噛むようにして囁かれ、マッドの顔は見る間に赤く
 なった。思わず頭から湯気が出そうになったが、それを耐えて、マッドはサンダウンを睨み上げる
 ――それは、上目遣いとも言う。

 「べ、別に飲みに行くくらい、良いだろ。大体あんたは俺に優しくしたいんじゃないのかよ!」
 「確かに、お前に優しくしてやりたいが………。」

  サンダウンはマッドの赤い顔を見下ろして、苦笑する。

 「だが、それ以上に、お前を危険な眼に合わせたくない。」

  マッドは勿論、そんなに簡単に誰かにやられてしまうような男ではない。賞金稼ぎとしての腕も
 一流で、身に掛かる火の粉は自分で払いのけるだろう。けれども同時に、その端正な身体故に欲望
 の対象として見られる事が多いのも事実。
  まして、サンダウンはマッドが襲われる現場を、一度見てしまっている。その時のマッドは完全
 に意識が別の方向を剥いていた所為で――サンダウンの事を考え過ぎていた所為で――男達の気配
 を読み取れず、結果、非常に危険な状態まで追いこまれてしまっていた。
  今は、そこまで切羽詰まって、迫りくる気配に気づかない、なんて事はないだろうけれど、しか
 しサンダウンとしては非常に心配なわけだ。
  サンダウンとて、マッドが酒場に行って仲間達と飲みたいのであろう事は――自分よりもそちら
 の方が良いというのは少しばかり寂しい気もするが――分かっている。だが、マッドが本調子では
 ない状態で、サンダウンの眼の届かないところで酔っ払って何かあってからでは遅いのだ。もしも
 マッドの身に何かあったなら、サンダウンは怒りのあまり、恐らく街一つくらいは消炭に出来る。
 だから、サンダウンは心を鬼にしてマッドの拘束を強くする。
  顔を赤くして、でも、と呟いているマッドの額に口付ける。途端に、マッドの顔は更に温度を上
 昇させる。ちらりと耳を見れば、そこまで赤くなっている。その光景に、マッドに気付かれないよ
 うに微笑みながら、サンダウンはその耳をなぞりながら囁く。

 「別の、酒場で、な………?」

  サンダウンの顔も知らないような、或いはサンダウンが入っても何も言わないような酒場でなら、
 マッドが酒を飲みに行っても構わない。そこでならばサンダウンはマッドの近くにいる事ができ、
 マッドに何かあればすぐに手を差し伸べてやれる。マッドが誰かに襲われるという事実を、後から
 聞かされて歯噛みするという事は、起こらない。

  しかしまだマッドは納得できないのか、往生際悪くぶつぶつと何か言っている。聞いてみれば、
 付き合いというのは大事でとかなんとか言っている。それを聞きながら、マッドがサンダウンのも
 のになるまでの数カ月の間に消えてしまう関係など、溝に捨ててしまえ、と思う。
  そんな事を口にしたら、マッドの頬が見る間に膨れて言葉も膨れ上がるのが眼に見えているので、
 言わないが。主に、マッドがサンダウンのものになるまでの数カ月というあたりについて、特に。
 それについて口にしない代わりに、サンダウンはマッドを抱き締める。

 「………代わりに、酒を買って帰ろう。」
 「………あんたの金でか?」
 「ああ………。」

  悔しそうに、それでも返ってきた声に、サンダウンは苦笑しながら、頷いた。マッドを腕の中に
 閉じ込めておく時間が増えるのなら、酒の一本や二本、安いものだった。