マッドは忍び足で扉に近付く。自分の真新しいブーツが、甲高い音を立てやすい事を、これほど
 までに呪った事はない。だが、今更それを悔やんだところでどうしようもなく、マッドは出来る限
 り音を立てないようにと、扉までの床の上を歩いていた。
  そしてなんとか扉の前に辿り着いて、飛び付くように扉のノブを握り締めた。そして、

 「何処に行く?」

  低い声が、物音一つ立てずに背中を打った。
  途端に、マッドの背中はびくぅっと跳ね上がる。その背中を伝うのは、恐ろしいほど冷たい汗だ。
 だらだらと嫌な汗をかきながら、マッドはしかし背後を振り返る事が出来ない。そんなマッドに、
 再び低い声が投げかけられる。

 「何処に、行く?」
 「さ、散歩に。」

  咄嗟に口を突いて出たのは、言い訳にもならない言い訳だった。自分でも頭を抱えたくなるよう
 な台詞に、背後に立つ男は、ふむ、と頷いた。

 「ならば、一緒に行こう。」

  そうして、ぺったりと背中に貼り付き、マッドの腹の上で腕を組んで、マッドの身体を拘束した。




  
  サンダウンが、離れてくれない。
  マッドが、サンダウンを涙混じりに詰ったあの日から、サンダウンは片時もマッドから離れよう
 としない。
  マッドが思いもよらぬ形で告白をしてしまった時も、サンダウンはマッドに付き従うようになっ
 た。マッドが馬に乗っていればその斜め後ろから追い、眠る時はマッドの隣に潜り込む。それだけ
 でもマッドを赤面させ、胸を高鳴らせるには十分だったのに、今はそれに輪を掛けている。
  以前は町に入れば人目を気にして、離れたところからマッドの様子を窺っていたのに、今ではマ
 ッドの隣にいる。人ごみの中などでは手を繋いでマッドが離れないようにする。何か欲しい物はな
 いかと囁き、マッドが何かに視線を奪われていればそちらに同じように眼をやり、それが物ならば
 買ってやろうと呟き、それが人間ならば不愉快そうにする。夜になれば同じ部屋に押し入って来て、
 マッドを抱き枕にして眠る。
  閉口したと言うよりも、ただえさえサンダウンへの想いで潰れそうだったマッドが耐えかねて、
 『なんでそんな事するんだよ』と抗議すれば、真剣な表情で口付けしてきて『お前が欲しい』とい
 つもの台詞を吐く。そしてまた、べったりとマッドに貼り付くのだ。
  ここで、マッドが『俺の事なんか嫌いな癖に』とか『信じねぇぞ』とか言わなくなったのは、サ
 ンダウンの行為がマッドに通じたからではなく、そんな事を言ったらまたサンダウンが怒り出すと
 いう、マッドの学習能力によるものだった。内心では、マッドはまだサンダウンの言葉を信じてい
 ない。
     すると、マッドの心を読んだのか、サンダウンが顔を顰めた。なんて勘の鋭い男だ。

 「何を、考えている?」

  マッドが散歩に行くと嘘を吐いて、ならば一緒に行くと言って離れない男は、サンダウンを引き
 剥がそうと試みているマッドをずるずると引き摺って、部屋の真ん中に連れ戻すと、そのままソフ
 ァに押し倒した。
  押し倒されて、ふきゃっとマッドが情けない声を上げている間に、サンダウンはマッドの身体の
 上に乗り上げる。その様子に、マッドはきゃっと叫んだ。
  サンダウンがこうしてマッドの身体の上に圧し掛かってくるのは、珍しい事ではなくなった。マ
 ッドがサンダウンを詰って以降、サンダウンはマッドを押し倒す事が多くなった。お前が欲しいと
 囁きながらそんな事をしてくる男が、その先に何を求めているのかなど、普通に考えれば想像する
 事は容易い。おまけにサンダウンは何度もマッドを抱く事を公言している。
  が、生憎とマッドは男だ。
  相手が焦がれたサンダウンだから、『抱く』という言葉に頬を染めて、食べられてしまう事も考
 えるわけだが、しかしこれまた普通に考えれば、男が男に抱くと告げる事は非常に滑稽な話で、お
 まけにマッドはサンダウンを信じ切れていないわけだから、サンダウンの言葉と行動に頬を染める
 事はあっても、本気でそれが訪れるとは信じていなかった。
  しかし、それと、サンダウンが強く抱き締めてくる事とは、また話は別だ。

 「やっ……、放せよ!」
 「………駄目だ。」

  ぎゅっと抱きしめられると、やはりまだ鼓動が速くなる。それと同時に、その腕の中に身を委ね
 たい気分になってしまう。その想像に、駄目だ駄目だと首を振っていると、サンダウンが頬を包み
 込んできて顔を固定されてしまう。そして振ってくる口付け。

 「あ………。」

  唇を食まれて、思わず声が零れてしまった。しかもその声は思った以上に甘ったるい。それに気
 分を良くしたのか、サンダウンは口付けを深めてくる。

 「や、やだ……っ!」

  深まる口付けから逃れようと、サンダウンを突き飛ばすように身を捩ると、その拍子にソファか
 ら落ちそうになった。それは、サンダウンの腕によって寸でのところで支えられたが。支えられ、
 再び引き寄せられて、マッドはいやいやと首を振る。

 「……安心しろ、何もしない。」
 「し、してるじゃねぇか!」

    欲に濡れた行為はしないと告げるサンダウンに、マッドは顔を赤くして怒鳴る。確かにサンダウ
 ンは抱き締めたり口付けたりする事はあっても、それ以上先の行為については『無理強いはしない』
 と言って手を出してはこない。
  だが、だからと言って、強引な口付けや抱擁がマッドの中で些細な事になるはずがない。どれだ
 けサンダウンが口付けと抱擁を繰り返しても、マッドは初々しい反応を返してしまう。それは、紛
 れもなく相手がサンダウンだからなのだが。

    でも、口付けから先に進まないなんて、それって単においしそうじゃないからじゃあ?
  或いは、やはりマッドの反応をからかっているだけか。

    何度も繰り返してきた思考に、再び陥るマッドに、サンダウンは敏感に反応した。つまり、むっ
 つりとして、マッドに貼り付いたのだ。

 「マッド、お前は、黙って、私のものになれば、良い。」
 「んな!何言ってんだよ!」
 「また、お前が埒のない事を考えるからだ。」

  悲しい事は考えなくて良い。
  そう言って、優しく触れるだけの口付けをしてくる。そうしてから、それとも、とマッドを見下
 ろす。

 「それとも、抱いてしまえば本気だと分かるか?」
 「は?!」

  零された言葉に、マッドは眼を見開いた。そして赤い頬が、更に赤くなる。

 「む、無理強いはしねぇんじゃねぇのかよ!」
 「ああ………そのつもりだ。そのつもりだが、お前がそうせねば信じないと言うのなら、そうする。」

  酔狂で男を抱く男はいまい。
  真剣な眼差しでマッドを見つめる男に、マッドは思わず身震いしそうになって、同時に身の危険
 を感じて、自分の身体を抱き締める。まるで怯えているかのようなその様子に、サンダウンは溜め
 息を零した。

 「………お前が嫌ならば、しない。」
 「い、嫌だ!」
 「分かった………。」

  必死になって拒絶すれば、サンダウンは溜め息まじりではあったが、あっさりと引き下がった。
 代わりに口付けを顔中に落とされたが。 

 「お前が嫌なら、しない………。」

  眦に口付けを落しながら、サンダウンが囁く。お前には優しくしてやりたいから、と。
  その言葉通り、サンダウンの口付けは酷く優しい。

 「マッド、お前に優しくしてもいいだろう……?」