マッドはサンダウンを連れて、人通りの多い道を歩いていた。
  荒野の中ではどちらかといえば大規模な街だが、しかしゴールド・ラッシュの陰りが見えてきた
 街からは徐々に活気が消えつつある。それ故、基本的な施設は整っているが、金銀を夢見るならず
 者達の姿はなく、少しずつだが秩序ある風景となりつつあった。
  しかしそれでもまだ、街を立ち去る事のない――その元手となるものがないからかもしれないが
 ――娼婦達が集まる売春宿がサルーンの一画にあった。
  マッドは、普通の街――ならず者が大きな顔をしてのし歩いている街に比べれば、小ぢんまりと
 している、しかしそれでも売春宿と一目で分かる退廃の臭いと煌びやかさを湛えたそこに、幾許か
 の覚悟を呑みこんで脚を向けた。

  マッドは、サンダウンがこうして自分に付き纏っているのは、勘違いをしているからだという確
 信があった。
  サンダウンは独り者だ。
  いや、結婚しているのかどうなのか、そんな事ですらマッドは知らない。しかし、賞金首として
 人目を避けて生きる以上、近しい相手と共に暮らす事は出来ず、離れ離れのままだろう。それに、
 賞金首として追われる生活の中で、新しく相手を見つけたり、ともすれば一夜の相手を見つけるの
 も難しい。
  誰とも熱を分かち合う事もなく、同じ時間を過ごす事も出来ない人間が、手近にある存在に眼を
 向けるのは当り前の事だ。サンダウンにしてみれば、賞金稼ぎとはいえ――男とはいえ――定期的
 に現れるマッドに、情を感じても仕方のない事なのかもしれない。
  だが、仮に一度でもサンダウンの勘違いを受け入れてしまったマッドはどうなる。サンダウンと
 は違って社会性のあるマッドは、勘違いで男を想ったりはしない。本気で想っているマッドがサン
 ダウンを受け入れた後で、サンダウンが実は勘違いであると気が付いた時、マッドに齎される傷は
 想像がつかない。
  だから、そんな事が起こる前に、マッドはサンダウンに勘違いを気付かせてやるのだ。売春宿に
 行ってきらびやかな女を見れば、サンダウンもマッドに想いを寄せていた事など忘れてしまうだろ
 う。きっと、マッドがいる事も忘れて女を抱くに違いない。

  その瞬間を想像したマッドの胸に、鋭い痛みが走る。想像だけでそれほどに痛むのだから、サン
 ダウンが勘違いだったと告げる時の痛みは如何ほどか。けれど勘違いさせたまま受け入れた後で、
 やっぱち勘違いだったと言われるほうが、もっと辛い。
  涙が出そうなくらい痛い胸を押さえて、マッドは売春宿の扉に手を掛ける。

 「マッド。」

  背後から、地の底から湧き出てくるような低い声が名前を呼んだ。肩が跳ね上がるほどの不機嫌
 さを隠しもせずに、後ろに付き従っていたサンダウンが扉を開こうとしていたマッドの腕を掴む。

 「……お前は、何を考えている。」
 「別に、男として普通の事を考えてるだけだぜ。」

  掴まれていないほうの腕を伸ばして扉を開こうとしたら、今度は腰に手が回ってずりずりと引き
 摺って引き剥がされる。

 「何すんだよ!」
 「お前こそ、何の真似だ。」
 「だから……っ!」

  怒鳴ってサンダウンの腕を振り解こうと身を捩ると、その勢いを見切られてくるりと回転させら
 れ、サンダウンに向き直るように強要される。
  そして向き直って見上げたサンダウンの表情は、今まで見た事がないくらい、苦渋に歪んでいた。
 歪んだ青い瞳には、溢れかえるほどの怒りが迸っている。想像を絶する憤怒の色に、マッドは息を
 呑んだ。その隙に顎を取られ、視線を固定される。

 「マッド………一体、何を考えている。」

  いつもは感情を何処までも欠いているサンダウンの声は、今は苛立ちを隠しもしない。声音は抑
 えられているが、しかしそれ故に激怒している事が分かる。想像を絶するサンダウンの怒りに、マ
 ッドは一瞬身を竦ませた。そして再びその隙を突いて、サンダウンはマッドの身体を売春宿から引
 き剥がし、宿の裏手から入る事が出来る路地裏に引き摺り込んだ。
  マッドの身体を冷たい壁に押し付け、その顔の両隣りに両手を突いてマッドが逃げ出せないよう
 に囲いを作る。

 「……私の事を好きだと言った、あの言葉はやはり嘘か?」
 「なっ、嘘なわけねぇだろ!」

  突然の不信にマッドは弾かれたように言い返す。
  だが、サンダウンの表情はいよいよ苦渋を深めた。

 「ならば、何故、売春宿に行こうとする。しかも私がいる、眼の前で。」
 「あ、あれは、あんたの眼を覚まさせようと思って!」
 「…………どういう事だ。」

  サンダウンの大きな手がマッドの首を掴む。今にも捻り上げてしまえそうな気迫を伴ったまま、
 サンダウンの声が怒りを消さずにマッドに振り落ちる。

 「眼を覚ます……?私が何か勘違いしているとでも言うつもりか?」
 「っそうだよ!あんたが俺の事を欲しいとか言うから!だから!」
 「…………それが、勘違い、だと……?」
 「そうだよ、あんたが、男の事なんか好きになるわけがねぇだろ!それは、ずっと一人だったから、
  偶々近くにいた俺に勘違いしてるだけだ!」
 「…………ふざけるな!」

  地を這うようなサンダウンの声が、閃光のように激しさを増した。途端にマッドの首を掴んでい
 た指に力が籠る。息を止めるには至らないが、しかし苦しさを覚えるには十分だ。与えられる苦し
 さにマッドが悶えている間にも、翻ったサンダウンの怒りは止まらない。

 「今まで散々信じないと言った上に、勘違い、だと?誰が、勘違いで、抱きたいとなど思うか。」
 「だから……っ、それは、他に相手がいなかったから……っ!」
 「黙れ………!」

  ますます強く喉を締め上げられ、マッドは声を出す余裕さえない。喘ぐ口は、呼吸を求めるだけ
 で精一杯だ。
  そんなマッドに、サンダウンは更に怒りを突き立てる。炎のように青く輝く光は、それが熱を持
 っていないのが不思議なほどだ。

 「自分の想いを否定されれば怒る癖に、そうやって人の想いは否定するのか、お前は………!」

  言葉と共に、一段と深まる憤怒の牙。
  しかし、サンダウンの激昂は追撃の手を緩めない。苦しげに浅い呼吸を繰り返すマッドに、苦い
 口調で吐き捨てる。

 「お前は、何処まで卑怯に成り下がるつもりだ………!」

  卑怯者。
  投げつけられた言葉に、マッドは眼を見開く。そして、言葉の意味を理解する前に、その黒い眼
 から、ぼろりと涙を零した。息苦しさの所為もあったが、それ以上に。
  言葉が身体の隅々まで浸透してしまえば、もう涙は留まるところを知らなかった。あれほど嫌悪
 されないようにと願っていたけれど、怒りの挙句に吐き捨てられた言葉は、尤も嫌悪感を示す言葉
 だった。むしろ、マッドの根底から突き崩すような言葉。何があっても、サンダウンにだけは卑怯
 だとは思われたくなかったのに。
  細い息の下で、ぼろぼろとマッドは涙を零す。もうこれで、終わりだ、と思う。卑怯だと思われ
 た以上、きっとマッドが想っている事にだって嫌悪を感じるに違いない。いや、マッドの存在その
 ものがおぞましい物になる。
  そう考えた瞬間に、マッドの胸は激しい痛みに襲われた。先程、サンダウンが勘違いを認める時
 の事を想像した時よりも、ずっと鋭い痛み。臓腑に切り込んでくるような痛みに、マッドはしゃく
 り上げた。
  ひくひくと引き攣る喉を締め上げる力に、いっそこのまま絞め殺してくれたら良いのに、とさえ
 思う。そうすれば、こんなに苦しまなくて済むのだから。

 「っ……卑怯物め。」

  マッドの呼吸がいよいよ途切れがちになった時、サンダウンの手が解ける。同時に零された声は、
 気が遠くなりかけたマッドの耳にも届き、マッドは再び心臓を痛みで震わせる。
  その身体をサンダウンは引き寄せ、固く抱き締めて耳元で囁いた。

 「私の言葉一つで、そんなふうに泣く癖に、何故私のものにならない?」

  苛立ちの籠った声。しかし、次に唇に落とされた唇は、短い呼吸をするマッドを労わるように優
 しかった。

 「………お前が私を見なくても、私はお前から離れられないのに。」

  卑怯だ。
  サンダウンはもう一度、呟いた。