サンダウンが、マッドの後ろを歩くようになったのは、マッドが望まない告白をしてしまって
  からすぐの事だった。
   本来ならばマッドがサンダウンを追いかけているはずの光景は逆転し、サンダウンがマッドを
  追いかけるような形となった。それは賞金稼ぎが賞金首を追いかけるといった一種の比喩表現で
  はなく、サンダウンはマッドが何処に行くにしても、ずっと背後に付き従っている。
   それは追いかけるというよりも、正しく付き従っていると言った方が正しい。そしてサンダウ
  ンがマッドを追いかけるようになってから、二人が傍にいる時間は、マッドがサンダウンを追い
  かけていた時よりも、一段と長くなった――というよりも、離れている事のほうが少なくなった。
   流石に高額の賞金首である以上、町中ではサンダウンが賞金稼ぎであるマッドのすぐ傍にいる
  事は出来ないが――それでも、数メートル離れた場所でマッドの様子を窺っている――一度荒野
  に出てしまえば、もはや夾雑物はないと言わんばかりに、馬を駆けさせるマッドのすぐ後ろで、
  同じ速度で馬を駆けさせる。
   それはストーカーを越えて、いっそ影のようだ。

   だが、追いかけられているマッドとしては、たまったものではない。
   如何にサンダウンの『お前が欲しい』という言葉を信じられないと言っても、そもそもマッド
  だってサンダウンに焦がれている。だから、サンダウンが零す口説き文句に、くらくらと揺れて、
  そのままサンダウンの腕の中に転がり落ちてしまいそうになる。けれども、それが実は酷い裏切
  りだったなら、きっと再起不能になるであろうという事も――それくらい焦がれている事も、マ
  ッドは重々承知していた。
   そんな、それほどまでに心を占めている相手が、四六時中ぴったりと張り付いているのだ。マ
  ッドにしてみれば、拷問にも等しい。

   そして、今もサンダウンはマッドの背後から腕を伸ばしていた。

  「何を、しているんだ?」

   日も暮れて、荒野のど真ん中で野営をしているマッドは、焚き火の灯りを頼りに、熱心に手配
  書を見ていた。ここ最近、ちゃんと賞金首を追いかけていなかった――むしろ賞金首に追いかけ
  られている――から、そろそろ仕事をしようかと思い、賞金首の手配書を眺めていたのだ。
   ただ、その間も、背後にいるサンダウンの気配を感じなかったわけではない。それどころか、
  背中が眼になったかのように、サンダウンの起こす衣擦れ一つにさえ反応し、その挙動を窺って
  いる。
   完全にサンダウンに意識を持っていかれているのを、なんとか別の部分に集中しようと仕事を
  持ち出していたつもりだったのだが、全く効果はなかった。手配書を捲っていても、賞金首の顔
  写真も賞金額も頭に入ってこない。紙を捲る音だけが、虚しく何の実りもないままに荒野の夜の
  風の中に混じっている。

   そんなマッドの状況に気付いていないわけではないだろうに、サンダウンはマッドの背後に忍
  び寄ると、笑み孕んだ穏やかな声で耳元で囁いた。

  「何を、しているんだ?」

   にゅっと腕が伸びてきて、左手はマッドの腰を捉え、右手は手配書を捲っているマッドの右手
  に添えられる。
   悪びれも、恥じらいも見せずに背後からマッドを抱き締める男こそ、『何をしているんだ』で
  ある。
   何度もマッドに対して行われてきた抱擁に、けれどもマッドは慣れる事はなく、一瞬のうちに
  顔はおろか首まで真っ赤にする。脈打つ心臓は触れられる前よりも一気に早くなった――サンダ
  ウンが後ろにいる時から忙しなかったが、触れられた今は痛みすら感じる。 

  「なんでずっと俺にくっ付いてんだよ!」
  「お前が欲しいからだ。」

   サンダウンがマッドに張り付くようになってから、マッドは幾度となく繰り返してきた問いを
  もう一度声を張り上げて叫ぶ。
   すると、サンダウンは何一つ変わらぬ口調で、これまた何度も繰り返してきた答えを返した。
  そしてその答えは、赤くなったマッドの身体の体温を更に上げるには十分だ。
   ぱくぱくと口を開閉させて声を失うマッドに、サンダウンは額に軽く口付けて――その瞬間、
  マッドは口からひゅっと空気の抜けるような音を出して完全に固まる――マッドの右手に添えて
  いた己の右手を動かして、手配書を奪い取る。そして、マッドが見ていた物が手配書である事を
  認めると、表情を硬くした。

   先程までの穏やかな気配から顔を顰めたサンダウンの転調に、マッドは知らず知らずのうちに
  身を竦ませる。そんなマッドの様子は何故かサンダウンが厭うもので、何度も止めろと言われた
  のだが、サンダウンからの侮蔑や嫌悪が最も恐ろしいマッドにはどれだけ言われてもその反応を
  抑える事は出来ない。サンダウンの険しい気配を自分に由来するものだと思えば、嫌でもそれは
  男を想う自分へと嫌悪だと考えてしまう。
   そんなマッドの様子に気付いたサンダウンは、宥めるようにマッドの額にもう一度口付ける。
  ただし、奪った手配書はマッドに返す気はないらしく、長い腕を活かしてマッドの手が届かない
  ように高く掲げてしまう。

  「か、返せよ!」
  「……手配書なんかを見て、どうするつもりだ。」
  「どうって、普通に仕事をするだけに決まってるだろ!」

   賞金稼ぎとして当然の事を口にすれば、賞金首はあからさまに顔を顰めた。

  「……止めておけ。」
  「ああ?!」
  「そんな状態で、お前は賞金首の前に出ていくつもりか。」

   自分が賞金首である事を棚に上げ、サンダウンはマッドの真っ赤な顔について指摘する。

  「こ、こんな顔のまま、賞金首を追いかけに行くわけねぇだろ!」

   サンダウンが離れてくれたなら、顔の赤味などすぐに引く。……多分。
   しかし、サンダウンは首を横に振る。

  「………止めておけ。大体、自分の身に危険が迫っても、気付くのが遅れているだろう。」

   以前、男に襲われた時の事を口にされて、マッドはぎゅっと唇を噛み締める。赤味よりも、白
  味が増すほどに硬く歯を突き立てられたそこを、サンダウンは優しく指でなぞる。しかし、言葉
  は決して緩くない。

  「反応が遅れてしまう状態で、賞金首を捕えに行ってみろ………また、襲われるぞ。それにお前
   は気付いていなかったようだったが、さっきまでおかしな気配を持った連中がうろついていた
   な………。」
  「………!き、気付いてたに決まってんだろ!」
  「嘘を吐くな。」

   まさか、周囲に漂う殺気に気付かなかったとは。それほどまで、サンダウンに意識を持ってい
  かれていただなんて。
   その事実を思い知らされてうろたえ、それでも体面を保とうと叫ぶマッドを一語で否定し、サ
  ンダウンはマッドを強く拘束する。

  「………だから、離れられないんだ。」

   あまりにも危なっかしすぎて。

  「私は、自分が抱きたい相手が他の誰かに抱かれるなど、まして襲われるなど、ごめんだ。」
  「抱き……っ!」

   これで、直接的な言葉を聞くのは2回目だ。
   今までもこれ以上ないくらいに真っ赤だったマッドの顔は、あっさりとそれを更新し、更に赤
  くなる。そこに幾つも口付けを落としながら、サンダウンは安心しろと呟く。

  「無理強いはしない。」

   だが、と見下ろすサンダウンの瞳は、いっそう深い青に染まっている。それが、欲を湛えてい
  るのだという事を判じる事が出来るほど、マッドはサンダウンを信じているわけではない。だが、
  それでも本能的に何かを感じ取り、ふるりと怯え以外の意味で震えた。

  「諦めるつもりも、誰かにくれてやるつもりもない。だから、こんな無防備な状態のお前を、な
   らず者どもがいる荒野に置いていけるわけがない。」

   離れて欲しければ、今の自分の状態をどうにかするんだな。
   そう言われて、マッドは俯く。それができたらどんなに楽か。ずっとそう思って、けれども結
  局、思考が行きつく先はこの男の事ばかりだった。遠く離れていてもそうだったのに、傍にいる
  今なら、それは尚更の事。サンダウンの言うように、どうにか、など、出来そうにない。
   途方に暮れるマッドを見下ろし、サンダウンは溜め息交じりの苦笑を零す。そんなに考える必
  要はないだろう、と呟いて。

  「………素直になったら良いだけの話だ。」