「マッド。」

  名前を呼んだ瞬間に、マッドの肩がびくぅっと跳ね上がった。サンダウンに背を向けたまま凍り
 ついたように固まっている賞金稼ぎは、項から耳まで、何から何まで真っ赤に染まっている。
  その様子を見て、存外に可愛らしいと思いつつも、しかし未だに自分に懐こうとしないマッドに、
 サンダウンはどうしたものかと思考を彷徨わせた。
  自分の事を好きだと思いもよらぬかたちで告白してきた賞金稼ぎに、天国の彼方まで意識が吹っ
 飛びそうに――挙句の果てにはこれは都合の良い夢だとまで思った――なったのも束の間、サンダ
 ウンが触れれば触れるほどマッドは萎縮してふるふると震え、まるで今にも死んでしまいそうなく
 らい怯え始めた。

  確かに、男を想う事にあれほど悩んでいたのだから、サンダウンに望まぬ形で告白してしまった
 事に苦しむのは当然だろう。
  だが、サンダウンもマッドを想っていると告げて、それで戸惑って『嘘だ』と言うのはまだしも、
 『あんたが俺の事を嫌っているのは知ってるんだ』と言うのは一体何事か。というか、誰にそんな
 事を吹き込まれた。そいつを引き摺り出してこい、撃ち殺してやるから。
  物騒な事を考えつつも、サンダウンに想われている事を信じようとしないマッドに、何度も口付
 けたが、状況は一向に改善しなかった。マッドが誰かを想っていると知って、その想われた相手に
 嫉妬した――よもや自分がその想われている相手だとは思いもしなかった――と告げても、ふるふ
 ると震えるだけで、最初の告白以降、一言もサンダウンの望む言葉を吐こうとしない。
  それどころか、『信じられないのか』というサンダウンの問い掛けに、はっきりと頷いた。
  そんな頑なな賞金稼ぎにむっとしたが、サンダウンの眼に似ているから買ったのだという青い石
 をきゅっと握り締めている姿は、それ以上に抱き締めたくなるほどいじらしかった。

  とは言っても、サンダウン本人がいるのに、石ころにばかり縋りついているマッドの姿は、おも
 しろくない。
  だから、以前よりも出来る限りマッドの傍にいて、マッドの頑なな姿を溶かそうとしているのだ
 が。

 「なんで俺の後をついてくるんだよ!」

  名前を呼んだだけで真っ赤になる賞金稼ぎは、ぺったりと張り付いてくる賞金首に、そんな言葉
 ばかり投げつけてくる。
  確かに賞金稼ぎが賞金首を追いかけるのならまだしも、その逆は普通に考えれば有り得ない為、
 マッドの台詞は尤もなのだが、しかしマッドはサンダウンがマッドに張り付く理由を知っているは
 ずだ。サンダウンは既にマッドに口付けて、お前が欲しいのだと言ってしまっているのだから。
  が、それを打ち払うかのように、マッドは分かり切った事を聞いてくる。その度に、サンダウン
 は同じ事を繰り返す。

 「お前が欲しいからだ。」
 「んなっ…………。」

  途端に、マッドの肌が更に赤味を増す。もはや服で隠れていない部分で、もとの肌の白さが分か
 る箇所はない。
  茹でダコ状態のマッドは、口をぱくぱくさせてしばらく言葉を探していたが、やがてようやく適
 当な言葉を見つけ出したのか、怒鳴る。

 「そ、そんな事、信じねぇぞ!」

  尤も、サンダウンにしてみれば、その言葉は適当でも適切でもないのだが。しかしそれを詰った
 ところで、何が変わるわけでもない。むしろ、マッドの眼に傷ついたような色が浮かぶだけだ。だ
 から、マッドの言葉を一つずつ拾い上げていく。

 「何故?」
 「な、ぜ、って……、だって、あんた、美人が好きじゃねぇか!」

  その台詞に、サンダウンは思わず溜め息を零した。
  マッドの言葉に間違いはないのだが、自覚がないとはこの事か。それとも極度に混乱していて失
 念しているのか。
  サンダウンは眼の前の端正で大理石のような顔――今は真っ赤に染まっているが――を見つめる。
 茹でダコのような顔色だが、しかし秀麗さが損なわれていないのは流石だ。   

 「………お前も十分すぎるほどに美人だ。」
 「お、おおおお俺は、男だぞ!ふざけてんじゃねぇ!」
 「私は事実を言っただけだ。」

  中性的でも、まして女性的でもないが、しかし唇の形や睫毛の縁取りは、女も裸足で逃げたくな
 るような繊細さを帯びている。

 「マッド。」

  名前を呼ぶと、びくっと過剰なまでに肩が震えた。それに構わずに手を伸ばすと、慌てたように
 身を捩って逃げ出そうとする。その様子に舌打ちしたいのを堪え、腰と腕を掴んで引き摺り寄せる
 と、ひぎゃっというあまり可愛くない声が聞こえた。
  真っ赤な顔は可愛いが、しかしこうして逃げ出そうとする様は、いくら恥ずかしがっている、戸
 惑っているとはいえ、流石にあの告白を疑いたくなる。

 「マッド、やはり、お前こそ、嘘を吐いているんじゃないのか。」

  今にも泣き出しそうな声で、好きだと告げたそれを嘘だとは思いたくはないが。
  すると、サンダウンの腕の中でじたばたと身を捩っていたマッドが、はっとしたように顔を上げ
 た。その顔はまだ赤いが、しかし先程と違って黒い眼が潤んでいる。綺麗な形の喉仏が、何かが詰
 まったのだと言うように震えて、唇もまるで別の生き物のように戦慄いている。
  泣きだしそうだ、と思った瞬間、マッドの上擦った声が響いた。

 「う、嘘なわけあるか!俺がどんな想いでっ………!」

  ひく、と喉が大きく蠢いて、しゃくり上げるような音が出る。同時に、マッドも自分の状態が今
 にも泣きそうである事に気付いたのか、逃げようとしてかそれとも顔を隠そうとしてか、身体を捻
 った。
  だが、それよりも早く、サンダウンの動体視力に優れた眼は、マッドの目から転げ落ちそうな一
 滴を捉えており、それを見たからにはマッドをそのまま放す事はできない。
  サンダウンから逸らされた顔を顎を捉えて引き寄せ、滴の盛り上がった眼元に軽く口付ける。そ
 してそのまま肩口に導いて、耳元で囁く。

 「………分かっている。」

  しかし、それならば、サンダウンの言葉を少しでも信じても良いはず。
  だが、そう言えばマッドは再び頑なに首を横に振る。サンダウンの腕の中で、怯えたように萎縮
 する身体を撫でれば、そこから伝わるのは戸惑って揺らめく感情の波ばかりだ。
  何事にも大胆で、窮地であっても笑って気取った台詞を吐き捨てる男が、こんなにも弱々しい。
 マッドを蝕むほどに深い怯えは、マッドの想いの深さを物語る。信じられないと疑うのは、裏切ら
 れた時の傷がどれほど深くなるのか、マッド本人も分からないからだ。それほど、マッドの想いは
 深い。
  それらは全て、紛れもなくサンダウンに与えられるはずのもので、全てサンダウンのものなわけ
 だが。

  サンダウンの腕の中で震えるマッドは、未だ、サンダウンに転げ落ちてくる気配はない。