肩が痺れた。

 いや、痺れなんて甘いものではない。

 焼き鏝を押し当てられたかのような痛みの後に感じるのは、吐きそうなくらいの激痛だ。

 胸を押し上げて、昼に食べ漁った物が喉元までせり上がる。
 
 思わず仰け反って、膝から力が抜けてそのまま地面に膝を落して、這いつくばって、でも取り落と
 
 した銃を掴む余裕などない。

 辛うじて追っていた気配が、大股で近付いてきた。

 それに反応して顔を上げようとする前に、武骨でかさついた手が髪を引っ掴んだ。

 無理やり見上げる体勢を取らされた視線の先には、異様に光った青い双眸があった。 

 
  


 seven deadly sins










 それは、初めての事だった。
 
 銃弾に身体の一部を噛みつかれる事も、その銃弾がサンダウンのものだった事も、サンダウンが本
 
 気で人を殺せそうな殺気をマッドにぶつけてきた事も。

 賞金稼ぎとして生きている以上、そんな危険にはいつだって曝されている。

 むしろ、今までなかった事が不思議なくらいだ。

 一度として流れ弾一つ掠った事のないマッドは、それだけで伝説になれる。



 だが、それも今日で終わりだ。

 マッドの肩には火傷の跡と一緒に、鉛の塊が叩きこまれている。

 叩きこんだのは、マッドが延々と追い続けている賞金首サンダウン・キッドだ。



 もしもマッドに致命傷を与える事が出来る人間がいるとすれば、それはサンダウンだろう。
 
 名実共に西部一の賞金稼ぎであるマッドに、手が出せる人間はまずいない。

 銃の腕にしても乗馬にしても、マッドに敵うものはいないのだ。

 唯一、マッドが歯噛みしてその後を追う賞金首が、サンダウンだった。

 何度も何度も追いかけて決闘を挑んで、その度に軽くあしらわれて、その態度に腹を立てて、また
 
 追いかけて。

 その所為か、誰よりもサンダウンの銃の腕は知っている。

 だから、もしも自分を殺す人間がいるとしたらそれはサンダウンだろうと思っているし、マッドも
 
 それを望んでいる節がある。

 自分を殺すのがサンダウンであれ、と。



 そんなとち狂った事を考えていたからだろうか。

 その心を読まれたのか、もはや数える事も出来ないくらいのある日の対峙、マッドはサンダウンに
 
 肩を撃ち抜かれた。

 いつもは銃を弾き飛ばして終わるところを、肩を撃ち抜かれ、蹲ったところを髪を掴まれて無理や
 
 り顔を上げさせられている。

 現状を理解した瞬間に思ったのは、どうして心臓を撃ち抜かないんだという、もはやどうしようも
 
 ない事だった。

 けれどそれをマッドが口にする暇は与えられない。
 
 未だ銃を持ったままのサンダウンは、その銃口を撃ち抜いたばかりのマッドの肩口に押し付けた。



「が、あっ!」



 ぐりぐりと捻じ込むように押し付けられた銃口が生み出す痛みに、マッドは思わず悲鳴を上げた。

 その反応が気に入ったのか、サンダウンは銃口を何度も血を溢れさせている肩に押し当てる。

 撃ち取った獲物を嬲って楽しむ趣味がある人間がいる事は知っているが、まさかこの男もそうだっ
 
 たのか。

 それとも、延々と執拗に追いかけてきたマッドへの腹いせか。

 いずれにしても、肩を撃ち抜いて痛みでマッドを喘がせている以上、そんな簡単には死なせてはく
 
 れないようだ。

 ひとしきりマッドの傷口を弄ってマッドの悲鳴を聞いた賞金首は、引っ掴んでいたマッドの髪を離
 
 した。

 ぐらりと地面に倒れ伏すと、今更ながら身体を伝う血の感触に身震いする。

 放っておいても、きっと出血多量で死ぬだろう。

 そんな事を考えていると、マッドを解放したばかりの武骨な手が、今度はジャケットにかかってい
 
 る。

 何事かと思ってみていると、サンダウンは痛みに喘ぐマッドの腕からあっさりとジャケットを引き
 
 抜いた。

 

「う……ちょ、何………あぐっ!」



 もどかしげに問うと、答えはシャツを引き裂かれるという行為で返された。

 嘘。

 痛みさえ忘れそうなくらい呆気にとられた。

 肩口から溢れ出た血を何本も身体に這わせたマッドの身体を見下ろし、サンダウンは眼を細める。

 次の瞬間、肩の付け根を抑えられ、引き裂かれたシャツの残骸で縛られた。

 どう考えても止血の様子を伴っているシャツの残骸に、マッドが呆然としていると、サンダウンは
 
 事もあろうことかマッドの身体に走る血の筋に舌を這わせた。



「ひぃっ!」



 極度の混乱に陥ったマッドが身を捩ると、サンダウンの手が今度は首筋に掛かり、恐ろしいくらい
 
 力を込められた。

 マッドの首など、このまま握りつぶしそうなくらいの激しい力に、マッドは口を開閉させる。

 魚が水を求めるようなその口からは、とてもではないが一言も声が出せない。

 呻き声一つ上げられず意識が朦朧とする中、マッドは霞む思考で思う。

 何にも興味がないような顔をしておいて何の欲望もなさそうな男が、まさかこんなふうに自分を甚
 
 振るとは。

 こういう趣味があったのか。

 人生の最期でそんな情報知りたくもなかったが。
 
 しかも自分の身体でなら、尚更。



「く、は………!」



 意識が途絶えそうになったぎりぎりの瞬間、突然、首を締めていた手が緩んだ。

 一気に空気が肺に押し寄せてきて、思わず噎せる。

 眼に涙を浮かべながら咳き込んでいると、今度は露わになった乳首を思い切り捻られた。

 悲鳴を上げて仰け反る身体に、地の底から這い出てきたような暗い声が絡んできた。



「どうやら、お前達は私の事を勘違いしているようだな………。」



 脇腹をなぞりながら言う男の眼には、黄昏時に見えるような薄暗い掴みどころのない光が浮かんで
 
 いる。

 ねっとりとしたその視線は、締めつけた指の跡がくっきりと残る首筋に落ちてきて、マッドは再び
 
 首を絞められたような感覚になった。



「何をしても、許すとでも思っているのか。何を言っても、お前達の味方だと……?」

「何言って………。」

「いつも都合の良い事を言って物事を押し付けて、私が倒れたら失望したような顔をして………。」

「おい…………?」

「誰かの責任にするのは、大層、楽だっただろうな………。」



 それは、マッドが知らない過去の話だ。

 サンダウンの腹の底でしくしくと痛んでいる、深く突き刺さった断片。

 それがマッドに映り込み、サンダウンはそれを飼い慣らそうとしているのだ。

 つまり、サンダウンにとっては此処にいるのはマッドではなく、過去の残像だ。



 ―――冗談じゃねぇ!



 せっかく、やっとやっと、その照準をマッドに合わせたと思ったのに。

 だから喜んで甚振られていたのに。

 サンダウンが甚振っているのは、実はマッドではなくて、黴臭い過去の残像だったとは。

 滑稽すぎて腸が煮えくりかえってそれで湯が沸かせそうだ。

 けれどマッドの沸騰した怒りよりも、サンダウンの手のほうが早かった。



「言っておくが、私は心が広いわけでも、優しいわけでもない。」 

「あ……っ!」

「こうして人並みに欲望もある。」



 マッドの男として一番敏感な所を揉み扱きながら、サンダウンは酷薄な笑みを浮かべた。



「仕事をしているのは金が欲しいからで、守られてばかりのお前達を見下しもする。こうやって誰か

 を蹂躙したいとも思っている。」

「あうっ………やめ………!」



 凄惨なまでに欲望に満ちた目で自分を見る男に、マッドは無駄だと知りつつ身を捩る。

 これまで冷静だった男が、箍を外して、狂気寸前の眼差しで自分を見る。

 その青い双眸が、目眩がしそうなくらい色っぽい。

 ああ、これでちゃんとマッドが此処にいる事を認識してくれていたのなら。

 けれど、それに、



「どんな気分だ………?英雄と崇め立て、果ては疫病神と蔑んだ男に蹂躙される気分は………?」

「誰が一緒にアニーのシミーズを盗んだおっさんを英雄だなんて思うかーーーーっ!」


 
 とりあえず色々と突っ込みたい事はあったが、それだけを叫んで、マッドはその手を閃かせた。

 パチーンという小気味良い音が荒野に響いた。









 荒野で座り込む賞金首と賞金稼ぎ。
 
 一人は頬に平手の跡をばっちりとつけ、もう一人は襤褸雑巾のようになったシャツを見に纏ってい
 
 る。

 

「あんたを味方だなんて思ってねぇよ。手を組んだ事はあっても、あんたは賞金首で俺は賞金稼ぎだ

 ろうが。味方だなんて思えるような間柄かよ。」

「……………すまなかった。」

「俺がいつあんたに何を押し付けたよ。手を組んだ時だって一緒に罠探したよな。火炎瓶作ったよな。

 ディオと戦ったよな。」

「……………悪かった。」

「失望もした事ねぇよ。失望したらもう追いかける事なんかしねぇよ。」

「……………そうだな。」

「大体、あんたがムッツリスケベだって事も知ってるしな。一緒にアニーのシミーズ盗んだしな。」

「……………。」

「俺の身体弄ってた時も、かなり慣れてたよな。」

「……………すまない。」

「あんたさ。」


 
 ぐちぐちと文句を言い続けていたマッドが、まだ色々言い足りないと言うように、形の良い眉を顰
 
 めてぎりりと睨んでくる。



「一体、何に対して謝ってんだよ。」



 銃で肩を撃ち抜いた事か、首を締め上げた事か、それともその他諸々の色事紛いの事か。

 そう問うてくるマッドに、サンダウンは溜め息を吐いた。

 そしてもう一度低く、すまない、と告げる。



 まさか、こんな時にマッドに逢うとは思っていなかったのだ。

 時折、身の内から湧き上がる絶望に思考が支配されて、自暴自棄になる時がある。

 気が狂いそうに何もかもに当たり散らして、全世界を呪ってやりたい、そんな時が。

 それでも、これまで誰にもこの狂気の刃を振り上げて来なかったのは、単に誰もいない荒野を彷徨
 
 っていた事と、渦巻く狂気に覆いこまれたサンダウンが、

 狂気の壁を飛び越えてまで感じ取る気配がなかっただけの話。



 けれど、その壁が、いとも容易く打ち砕かれた。

 何よりも熱っぽいマッドの気配は、何事もないように、狂気の中に割り入ってくる。

 サンダウンにも、マッドの気配なら狂気に支配されていても分かるだろうとは思っていた。

 だが、そのマッドの気配は、むしろ狂気に拍車を掛けた。

 しなやかで美しい愛おしいものを連想させる気配は、狂気の中で歪んで、かつて愛おしいと思って
 
 いたものにすり替わる。

 守っていた者達が口汚く自分を罵る様に、抑え込んできた絶望は牙を剥く。

 しかし、実際にその牙が突き立てられていたのは、今、サンダウンの手元にある唯一の温もりと言
 
 っても過言ではない存在で。



 肩から滲み出る血が、首に巻き付けられた指の跡が、サンダウンを責め苛む。

 ああ、それだけでなく、犯そうとまでした。

 もし、マッドが平手で正気に戻さなければ、きっとあのまま貪っていた。

 そう考えて、自分の中に巣食う絶望の深さに肩を落とし、今回の行為の所為でマッドがサンダウン
 
 から眼を背けて何処かに行けば、と想像して更に後悔する。



「おい、てめぇ何一人で落ち込んでやがるんだ。」



 加害者が被害者面するんじゃねぇよ、と銃で撃たれた所為で、やや蒼褪めた顔でマッドが言う。

 痛みで汗を浮かべるマッドの様子に、サンダウンはまだろくに治療もしていないと気付き、慌てて
 
 側に寄った。

 すまないと年若い男に繰り返し、傷つけた肩に触れようとすると、マッドは顔を顰めた。



「てめぇは俺の話を聞いてねぇのか。てめぇは一体何に謝ってやがるんだ、さっきから。」

「……………。」



 正直、一連の全てに土下座して謝りたいのだが。

 だが、マッドはそんなサンダウンの謝罪を受け入れる気はないようだ。

 苛々と、怪我人の癖に懐にある葉巻を取り出して火をつけようとするマッドの様子に、途方に暮れ
 
 ていると、マッドのほうが痺れを切らした。



「あんた、俺が何を怒ってんのか、分かってんのか?!」

「………………………乳首を捻った事か?」

「てめぇの中では股間揉んだ事より、そっちのほうが重いのかよ!ってそうじゃねぇ!」 



 マッドの白い手が、ぴしゃりと砂を打つ。

 勢い良く跳ねる砂が地面に落ちるよりも先に、マッドが蒼褪めた顔で、それでも白い牙を剥く。 

 

「俺は、あんたが、俺に気付かなかった事に対して、怒ってんだ!」



 マッドの血の気の失せた指が、サンダウンの胸倉を掴んだ。

 そこにあるのは、夜を丸ごと引き摺り降ろしたような黒い瞳だ。

 それが今、自分を呑み込もうと怒りに噴き上げている。

 

「この俺が眼の前にいるのに、てめぇは一体何処の誰と遊んでやがるつもりだったんだ!それとも何

 か、俺じゃ満足できねぇから妄想に頼って別の誰かだと思い込みやがったのか!てめぇ、人を何だ
 
 と思ってやがる!俺はそいつらの代わりだってか?!俺は誰かの代わりでも良いから抱いてなんて
 
 言う、しおらしい女じゃねぇぞ!」



 ふざけんな、と吠える狂犬の細い爪が、絶望に視界を曇らせたサンダウンを張り飛ばす。

 そのまま、暗い地平さえも引き裂いてしまいそうだ。

 それほどに、噴き上がった怒りは鮮烈だ。



「あんたが誰に何を言われて期待されて失望されたのか知らねぇが、そんな奴と俺を間違えてんじゃ

 ねぇよ!ああ確かにあんたはやたら淡白で、欲望何かなさそうな顔してやがるよ。けど、あんたを
 
 聖人だと思った事はねぇ!普通に見りゃ、分かんだろ、あんたがただの人間のおっさんだって事く
 
 らい!」



 はっとして、思わずマッドを見た。

 サンダウンの姿形を、嘘偽りなく捕えたマッドの顔は、いよいよ白い。

 その身体を抱き止めようとして、次の瞬間、その思いは粉々に砕け散った。



「俺が追いかけても、馬鹿にしたように軽くあしらうだけだしな!それだけでもあんた十分に性格悪

 ぃぜ。それとも面倒臭いだけか、俺の相手をするのが。それはそれで腹の立つおっさんだな。その
 
 癖、人が別の賞金稼ぎを追ってたら、のこのこ眼の前に現れやがって。嫌がらせかよ!挙句、人が
 
 気分が良いから飯を奢るって言ったら、ほいほいついてきて、しかも宿まで押しかけやがって!現
 
 金にもほどがあるだろ!そういや逃亡生活してほとんど姿を見せねぇから、他の奴らはあんたが飯
 
 を食わないんじゃないかとかアホな事ほざいているけど、あんた酒も葉巻も好きだよな。ってか酒
 
 を手放さない時点で、どう考えてもストイックって言葉からはかけ離れてるよな。寧ろ中毒じゃね
 
 ぇのか、それは。ストイックと言えば、性欲もなさそうだけど、どう考えてもあんたムッツリだも
 
 んな。覗きも下着泥もするし、挙句は男の身体を弄繰り回したもんな。大体俺だって気付かなくて
 
 も、触わりゃ男の身体だって事には気付くだろ。ご丁寧に股間まで触ったじゃねぇか!それであん
 
 た止めなかっただろ。どう考えても変態じゃねぇか。変態ムッツリおっさん!」



 普段以上の勢いで――それこそガトリング砲のようにぽんぽんと、マッドはサンダウンの色んな事
 
 を好きなように述べていく。

 白かった顔色も、なんだか紅潮している。

 むしろ元気なくらいだ。

 というかマッドの言葉は全て事実である為、サンダウンには否定が出来ない。 

 言うだけ言って、マッドは気が済んだのか、半ば中腰になりかけていた尻をぺたんと地面に落とす。

 

「あんたの正体も見抜けなかった連中と、俺を一緒になんかすんじゃねぇよ。」

 

 せっかくせっかく、あんたが、俺を見たと思ったのに。

 ありとあらゆる欲望を、ぶつけてきたと思ったのに。



 宙に舞った言葉に、サンダウンは眼を見開いた。

 それは、サンダウンの欲を煽る言葉。

 深すぎる欲望の切っ先が、実は己の心臓の真上にある事に気付いていないのか。

 

「あんたが欲望塗れな人間だって事くらい、知ってるよ。」



 その欲望の中に、俺を入れてくれたって、良いだろう。

 渦巻く、その、坩堝の中に。  
 
 そうしたら。



 にぃ、と吊り上がる口角。

 首に残る自分の指の跡にさえ嫉妬してしまいそうなくらい、艶っぽい男の身体。

 もう一度、髪を引き摺って、首を絞めて、舐めて。

 その瞬間に悟った。

 眼の前にいるのが、マッドだと気付かなかったわけではない事に。

 気付きながら、その身体を蹂躙出来る理由として、狂気で忘れているような振りをしただけだ。

 そして、今、マッドは自らのその身を差し出している。

 思う存分、甚振っても良い、と。 

 黒々とした眼が、底なしの穴のように、誘っている。

 狂気も、欲望も。

 

「全部、飲み干してやるよ。」


 
 

 
 
 


 

  

 

 

 


Titleは稲葉浩志『Touch』より引用