サンダウンが思っていたよりも早く、事態は動いた。
  サンダウンが止まる安宿に、思いもかけない訪問者が現れたのは、日も暮れて、娼婦達が客引きの
 為に夜の街を彩る時刻になってからの事だった。
  遠慮がちなノックの音と共に現れた小太りな男に、サンダウンは一瞬誰だったっけ、と思った。何
 せ人の眼を避て生きるようになって久しい。サンダウンが見る者と言えば、眩しいくらいに熱を放つ
 賞金稼ぎの王くらいだ。それと対極に位置するような、風采の上がらない男を見てもぴんとこなかっ
 たのは、サンダウンの所為だけではない。
  おどおどとした男は、それでも名乗った。

 「ジョセフ?」

  ありふれた名前に、サンダウンが首を傾げていると、男は気の弱そうな声で呟く。

 「あの、同じ時期に保安官の助手になったんだが……覚えてないだろうか……?」
 「ああ、あの………。」

  そう言われて、やっと思い出した。あの頃から、精彩に欠け小太りだった男だ。

 「その、この町にいるって聞いたものだから、懐かしくなって………。」
 「そうか………。」

  それだけではないだろう。
  サンダウンは溜め息を吐きそうになって堪える。ようやく思い出したジョセフは、今と同じで、
 何か都合の悪い事、隠し事がある時は、こうしてそわそわと落ち着きをなくす。それを隠す術を身
 につけねば保安官として務める事は出来ないだろう、と周囲から言われていた。そして、それは今
 でも変わらない。
  酒瓶を持って、きょろきょろと忙しなく視線を動かすジョセフに、何かあるな、とサンダウンは
 思う。

 「今、俺は賞金稼ぎをやっている。」
 「そうなのか?」

  賞金稼ぎとしてやっていけるようには思えないのだが。一番良く知った賞金稼ぎと比べて、慌て
 て、あれは別格だったと思いなおす。しかし、それと比べなくても、やはり賞金稼ぎに向いている
 ようには見えない。

 「それで、これを」

  ジョセフは震えながら、酒瓶をサンダウンに差し出す。ジョセフの身体の震えか伝わって、中の
 液体も震えている。
  それを見下ろし、サンダウンはかつての仲間に何を言うべきか悩んだ。
  きっと、この中には毒が入っている。入っていなかったとしても、サンダウンはこれを飲まない
 だろう。ジョセフが先に、飲まない限り。
  だが、それを口にしたところで、どうにもならないだろう。だから、直接的な言葉を掛ける事に
 した。

 「………誰に、頼まれた?」

  途端に、眼に見えてジョセフの肩が跳ねた。ひくひくと震える喉元は、サンダウンの言葉が真実
 である事を告げている。ジョセフにこんな事を考えるのは、無理だろう。誰か、彼に命令した者が
 いるはずだ。
  しかし、それを問い詰める前に、辺りが騒がしくなった。あちこちから飛んでくる殺気に、サン
 ダウンはその狙いが自分であると気付く。咄嗟に銃を引き抜き、身構えると、ジョセフが怯えて、
 ひぃ、と声を上げた。別に、ジョセフを撃つつもりはなかったのだが。

 「あ、アンジェイだ!」
 「アンジェイ?」

  意図するまでもなく告白したジョセフに、サンダウンは眉根を寄せる。

 「そう、俺達と同じ、保安官だった。あいつは、今、町の有力者と癒着して連邦保安官に任命され
  ようと画策してる。それで、それで、昔の自分を知るお前を、殺そうとしているんだ!」
 「………昔の、あいつを?」

  意味が良く分からなかった。昔のアンジェイを知る人間など、ごまんといるだろうに、それを一
 人一人消していくつもりなのだろうか。

 「あいつは、昔、人を殺してる。それをお前に見られたと、思いこんでるんだ!」
 「私には覚えがないが。」
 「あいつは、そう、思い込んでる!」

  ジョセフにはそれを以てアンジェイを脅す事は出来なかった。ジョセフの言う事など誰も信じな
 い。アンジェイは鼻先でそう嗤った。だが、サンダウンならばどうか。5000ドルの賞金首であって
 も、かつては名保安官と謳われた男なら。それに5000ドルの賞金も、サンダウンが自分自身で懸け
 たもので、いつでも解く事が出来る。

 「お前の町に、ならず者達をけしかけたのも、あいつだ!」

  箍が外れたように叫ぶジョセフの言葉に、サンダウンは微かに瞠目した。

 「お前は、ならず者達がお前の銃の腕目当てでお前の町に流れ込んできたと思ってるだろう?でも
  そうじゃない。お前の出世を妬んだアンジェイが、ならず者達をけしかけたんだ。」

  サンダウンが自ら英雄の座を降りた、その背景の更に奥深くを、ジョセフは口から泡を飛ばしな
 がら語る。

 「あいつはお前が連邦保安官になった事を妬んでた。あいつはずっと、今でも連邦保安官になりた
  がっていたからな。俺達の中で、一足先に上に上り詰めたお前を、憎んでたんだ。だから、あい
  つはならず者達と接触して、お前の町にならず者を仕向けた。お前目当てで町を訪れたならず者
  が、町を荒らすという状態を作り上げる為に。」

  そしてその結果が、今だ。
  アンジェイの思惑通り、いやそれ以上の結果として、サンダウンは自らの首に賞金を懸け、荒野
 を放浪する事となった。だか、アンジェイはそれだけでは満足しない。むしろ、不安のほうが大き
 い。サンダウンは確かに英雄の座から堕ちたけれど、しかしまだ生きている。

 「あいつは、お前に人を殺したところを見られたと思い込んでいる。肉屋のハンスを殺したところ
  を見られたと。」
 「そんな人間は知らん……。」

  誰だ、肉屋のハンスって。

  記憶の彼方にもない名前が出てきて、サンダウンは眉を顰めた。もしかしたら、アンジェイは己
 の地位に固執するあまり、ありもしない事を妄想しているのではないだろうか。地位にしがみつく
 者ほど、失う事への恐れは大きい。それが、嵌め落としたサンダウンへの――もしかしたら罪悪感
 と一致し、有りもしない妄想を膨らませてしまったのかもしれない。
  だが、むろん、だからといってサンダウンがアンジェイに同情する理由にはならない。そして、
 眼の前にいるジョセフにも。――ジョセフには憐れみを覚えなくもないが。

 「………それで、お前を使って毒殺をしようとした、か。」
 「そうだ……俺はあいつに弱みを握られている。あいつが一言何か言えば、俺はもう、終わりだ。
  俺の言葉は誰も聞かないけれど、あいつの言葉は皆に届く。」
 「しかし、お前はあまり信用されていないようだな。」

  周囲に蔓延る殺気。それは明らかにサンダウンを狙っている。おそらく、アンジェイが保険とし
 て、もしくはジョセフも一緒に亡き者にしようとする為か、放った刺客だろう。こんな、銃を持た
 ぬ一般市民がいるかもしれない宿の中にまで襲いかかろうとする連中とつるんでいる以上、アンジ
 ェイの生き様は知れているというものだ。
  部屋の周りをならず者達に囲まれている事にようやく気付いたジョセフは、顔を真っ青にした。
 どうやら、ここまで思い切りよく自分が捨て駒にされるとは思わなかったらしい。

 「そ、そんな………あんなにもあいつの為に手を汚してきたのに……。」

  呟く声に、それこそ間違いだとサンダウンは腹の中だけで思う。どう考えてもいつかは捨て駒に
 される事は分かっていただろうに。それとも、サンダウンを嵌めた男が、自分だけは捨てずに置い
 ていてくれるとでも思ったのだろうか。
  打ちのめされた表情のジョセフに、何か言葉を掛ける気にもならず――ましてそんな暇もない―
 ―サンダウンは押し寄せるならず者共を迎え撃とうと銃を構える。

  そして――

 「うがっ!」

  部屋の向こうから悲鳴が上がった。
  サンダウンは何もしていない。けれども確かにならず者達の中から、悲鳴が上がった。なんで。

 「てめぇ!」

  一気に殺気立つならず者共は、しかし完全に意識をサンダウンから逸らしている。それに対応す
 るのは笑い含みの男の声だ。

 「おいおい、先に俺達にぶつかってきたのはてめぇだろ?」

  ならず者達と同じくらい、いや、もっと数の多い気配を引き連れた男の声は、聞き間違えようも
 ない。きっと優雅な仕草で葉巻でも咥え、屯しているならず者達に喧嘩を売り付けたのだろう。

 「大体、こんな狭っ苦しいところで屯してるてめぇらが悪いんじゃねぇのか?それで人にぶつかっ
  て謝りもしねぇなんて、殴られてもしかたねぇな。」
 「てめぇ!」

  完全に馬鹿にしきったような声に、一瞬にして怒声が膨れ上がり、わっと押し寄せる。

 「構う事はねぇ!やっちまえ!」
 「根性だけは買ってやるぜ。だが、てめぇらじゃ俺の相手にはならねぇよ。」

  怒声に対して、やはり悪戯めいた声が響く。次いで、何かがすっ飛んで壁に激突する音が。おそ
 らく、飛び膝蹴りでも喰らわせたのだろう。それを合図に、両陣営が一気にぶつかり合う。 
  乱闘である。そしてその中で、人一倍嬉々としてならず者を血祭りに上げているのは、賞金稼ぎ
 マッド・ドッグだろう。長い脚で蹴り飛ばされたならず者達は、いっそ恍惚さえ覚えているかもし
 れない。

 「分かってんのか!俺達は保安官殿の任命を受けてんだぞ!」

  ならず者の、虎の威を狩る狐じみた台詞。しかしそれは黒い犬には全くの効果がなかった。黒い
 犬は狐に対して、にこにこと楽しそうな声で返答する。

 「ああ、アンジェイとかいうおっさんか。あいつなら、今朝方逮捕されたぜ。」

  ならず者どころか、部屋から出るに出られず乱闘の行方を音だけで聞いていたサンダウンもジョ
 セフも、これにはぽかんと口を開く。

 「なんか、税金を着服してるのがばれたんだってよ。それを手伝ってた、保安官の助手達が良心の
  呵責に耐えかねて、アンジェイ以外の、連邦保安官候補って言われてる保安官に相談しに行った
  んだと。それからは、どうなるか分かるよな?」

  連邦保安官候補の男は、一人でもライバルを消す為に迅速に動いたに違いない。保安官助手達に
 税の着服の証拠を提出させ、そしてそれを町の有力者に、ひいては知事にまで話をつけたのかもし
 れない。
  ただ、何故、今になって保安官助手達が重い口を開いたのかは、分からないが――いや、にっこ
 りと微笑むマッドを想像し、サンダウンは何となく、分かった。

 「さあ、てめぇらを保護してくれる人間は、何処にもいねぇぜ。」

  安宿の廊下で、温情が欲しくないのかと賞金稼ぎの王は、王の意志に反した者達に迫る。如何に
 彼らがマッドとは遠い立場にいたとしても、この荒野においてマッドの力は大きい。マッドの不興
 を買ってただで済んだ者と言えば、サンダウンくらいしかいない。
  ならず者達の間に、躊躇が走った。彼らも愚かではない。自分達に金を払う人間がいない以上、
 マッドと敵対してまで、このまま此処で屯し続ける意味もない。互いに顔を合わせ、ある者は忌々
 しげに舌打ちし、ある者は愛想笑いを浮かべて、ぞろぞろと安宿を出ていく。
  安宿の狭い廊下から、ならず者達の気配が消え去った後、マッドが率いる賞金稼ぎ達も軽口を叩
 き合いながら、宿から出ていく。

 「でもよ、マッド、税の着服の調査なんか賞金稼ぎの仕事じゃねぇよ。」
 「そうそう、依頼人もいねぇし。」
 「何言ってやがるんだ、これであの保安官に恩が売れたんだ。あいつがこのまま連邦保安官になれ
  ば、俺達の仕事はやりやすくなるぜ。そう思えば安いだろ。」

  仲間の声に、軽やかに答えるマッドの声は、いつものように澱みがない。まるで、ここにサンダ
 ウン・キッドがいる事など知らないかのようだ。

 「ま、アンジェイを逮捕した後の後始末――あのならず者連中を追い払う事については、一応金は
  貰ってる。それで、酒でも飲みに行こうぜ。」

    あくまでもサンダウンの事とは関係ないというマッドの台詞に、賞金稼ぎ達の間から歓声が上が
 った。その歓声を引き連れて、王者が立ち去っていく。
  この世を謳歌する彼らが立ち去った後、残されたのは、抜け殻のような賞金稼ぎと、何も持たな
 い賞金首だけだった。呆然としたままのジョセフを見下ろし、サンダウンをゆっくりと銃をホルス
 ターに戻す。

 「お、俺は、これからどうしたら良いんだ………。」

  ようやくジョセフから零れた言葉は、それだった。アンジェイという暴君を失い、ジョセフは完
 全に標も寄る辺も失ったのだ。しかし、それをサンダウンに言われても困る。サンダウンはアンジ
 ェイの代わりになるつもりも、なりたくもない。
  だから、代わりに、暗にお前は従う相手を間違えたのだ、と告げてやる。

 「………お前は、アンジェイの言葉は皆に届く、と言ったようだが、それを聞き分ける人間も、こ
  の世にはいるだろう。」

  例えば、マッドのように。
  賞金稼ぎになったのならば、保安官であるアンジェイではなく、正しく賞金稼ぎの王であるマッ
 ドについていけば良かったのだ。そうすれば、何らかの道には辿りつけただろうに。
  だが、ジョセフの耳にはそれは届かなかったらしい。のろのろと立ち上がって、ふらふらと出て
 いく、かつての保安官仲間の背に、サンダウンはそれ以上声は掛けなかった。これ以上の口出しは
 無意味な事に思えたのだ。
  扉が閉じる音は、とても小さく聞こえた。

 





 「よお。」

  荒野のど真ん中で出会った賞金稼ぎは、満面の笑みを湛えていた。先日の乱闘の事など微塵も感
 じさせず、マッドはサンダウンの荷物を漁ろうとする。いきなり何をするのだ。

 「あんた、俺の渡した酒を勝手に飲んだんじゃねぇだろうな。」

  荷物を漁ろうとする手を阻むと、マッドはそのサンダウンの行為に口を尖らせ、あらぬ疑いを掛
 ける。しかも、あんた結構意地汚いから、と余計な一言まで添えて。その一言はとりあえず聞かな
 かった事にして、サンダウンは改めて問う。

 「あれは、お前が送ったのか?」
 「ああ、そうだぜ?使いのガキはそう言わなかったか?」
 「言ったが………。」

  確定はできなかった。

 「で、何処にあるんだよ。俺の酒。」
 「…………。」

  俺の酒という言葉に、あれは自分に送ったのではないのかと思いつつも、サンダウンは荷物の中
 から件の酒瓶を取り出す。途端にマッドの手が伸びてきて、サンダウンの手の中からそれを掻っ攫
 う。そしてぎゅっと抱きしめる。

 「あった、俺の酒!俺のバーボン!」
 「…………!」

  酒瓶に口付けまでしそうな勢いのマッドに、サンダウンは非常に複雑だ。喉元まで、それは私の
 物になるんじゃないのか、という言葉が出かかっている。じぃっと、酒瓶を抱き締めているマッド
 を眺めていると、ようやくその意地汚い眼に気付いたのか、マッドがサンダウンを見た。

 「………なんだよ、その眼は。」
 「…………。」
 「欲しいのかよ。」
 「…………。」
 「…………。」

  しばらく、無言の睨み合い。
  それに耐えかねたのは、マッドだった。

 「仕方ねぇな。酒しか楽しみのないしけたおっさんに、この俺が酒を奢ってやろう。」

  けど、最初の一杯は俺のもんだからな。

  そう言って、マッドは自分の杯に、琥珀色の酒をなみなみと注いだ。