6000ドルの賞金をちらつかせて、男はマッドに迫った。

 「これで、サンダウン・キッドを捕えて欲しい。むろん、生死は問わない。」

  テーブルの上に山積みにされた札束を一瞥し、マッドは腰かけたソファの肘掛けに凭れる。肘を
 ついた手には、上品な甘みのある匂いが漂う葉巻が指の間に挟まれていた。
  腰かけたソファは柔らかく、田舎者ならばきっと尻の座りが悪いだろう。部屋を彩る調度品も、
 わざわざイギリスやフランス、イタリアあたりから取り寄せたのだろう、アメリカ西部では滅多に
 見かけない物だった。
  それらで華美に装飾された部屋は、何を隠そう保安官事務所だった。保安官事務所といえばなら
 ず者達を収監する牢屋に始まり、無法者達の罵声に曝されるような荒くれた場所を想像するものだ
 が、それは貧しかったり、或いはならず者と警備部隊の対立の激しい町だけだ。基本的には無法者
 達も保安官事務所の前では愛想笑いを浮かべるし、保安官の中には無法者達と癒着している者もい
 る。或いは、町の有力者とも手を組んで、暴力と金で町を牛耳る事も多い。
  この保安官も、どうやらその手の類だろう。
  札束を見下ろし、マッドはそう思った。
  マッドは、マッドの好みではない部屋の装飾から眼を逸らし、自分で用意した葉巻に口を付ける。

 「………分からねぇな。サンダウン・キッドには既に5000ドルの賞金が懸けられてる。それなのに、
  わざわざ6000ドル――公的な賞金よりも更に1000ドルも上乗せしてまで、捕まえようってのは、
  どういう理由からだ?」
 「それは君に話す必要はないと思うが。」

  眼の前にいる保安官の顔が、微かに不快そうな表情を浮かべた。きっと、マッドのような賞金稼
 ぎと話したくはないのだろう。裏では無法者達とつるんでいるのに、おかしなものだ。尤も、マッ
 ドはそれをわざわざ口にするほど愚かではない。

 「確かにあんたの言う通り、話す必要はねぇさ。けど、こっちにしてみりゃ命が掛かってる。いき
  なり5000ドルに1000ドル上乗せして、殺してくれと言われた日には、何か裏があるんじゃないか
  と勘ぐるさ。或いは、サンダウン・キッドの奴が色々とやばい事に手を出したのか。」

  まあ、それは一番有り得ない事だと思うが、とマッドは喉の奥だけで呟く。サンダウンと最後に
 会った日も、サンダウンは相変わらずサンダウンのままだった。古びたポンチョに身を包む男は、
 いつもと同じく乾いた風を纏って、とてもではないが何か危険な事――麻薬であったり密売であっ
 たり――には手を出していそうになかった。
  だから、眼の前にいる男の依頼は、明らかに私怨か何かだろう。すると、保安官は苦み走った顔
 をして吐き捨てた。

 「別に、サンダウン・キッドの動向がいきなり変わったとか、警戒する必要があるとか、そういう
  事じゃない。これは、私の個人的な頼み事だ。」

  つまり、私怨か。マッドの想像を裏付ける言葉を吐いて、保安官は苛立たしげにマッドを見る。

 「そして、私の個人的な感情を君に言うつもりはない。君がするべき事は、この依頼を受けるか、
  受けないかの二択だけだ。」
 「どうして俺に頼むんだ?」

  保安官の言葉など聞いていないように、マッドは問い掛けを続行する。清々しいほどの強引さは、
 しかし巧みに保安官から言葉を引き出そうとする意図が見えている。

 「君がサンダウン・キッドに一番近しいからだよ。知らないとでも思っているのか?君が偶に、サ
  ンダウンと杯を交わしている事を。」
 「それが、依頼と何の関係があるんだ?」
 「君なら、杯を交わすその隙に、サンダウンを撃ち殺せるだろう。」

    保安官にしてみれば、それは褒め言葉のつもりだったのかもしれない。この荒野では銃の腕にお
 いてサンダウンの右に出る者はいない。如何なる隙を突いても、ほとんどの者は返り討ちに合うだ
 ろう。しかし、賞金稼ぎマッド・ドッグならば、柔らかく杯を交わしている時に、その隙を突いて
 サンダウンを撃ち殺せるかもしれない。賞金稼ぎの王として、君臨するマッドならば。

    だが、それを聞いてマッドは内心で盛大に顔を顰めた。
  荒野に生きる男にとって、敵意のない者を撃つ事は一番の不名誉だ。銃を持たぬ相手を殺す事に
 次いで不名誉とされる事を推奨する男に、マッドがほんの一瞬絶句したのは無理もない。
  そしてようやく合点がいった。1000ドルの上乗せは、不名誉を被る分だけの、増額だ。1000ドル
 で名誉を売り払えと言っている事に気付いて、マッドは心底呆れる。

 「君は今までずっとサンダウン・キッドを追いかけてきた。5000ドルの賞金だ。手にすれば遊んで
  暮らせるだろうから、無理もない。そこに更に1000ドル上乗せしようというんだ。悪い話ではな
  いだろう。」
 「逆に言えば、普通にあのおっさんを捕まえりゃ5000ドルは入ってくるんだ。だから、わざわざ依
  頼を受ける必要性はねぇ気もするな。」

  まして、名誉を売り払ってまで。
  マッドの言葉に、流石に保安官もそれが依頼の拒否である事に気付いたのだろう。開いた口から
 言葉を消す。
  口を半開きにしている保安官に薄い笑みを浮かべ、マッドは立ち上がって帽子を被る。

 「悪ぃが、そんなに魅力のある話じゃねぇな、あんたの話は。ハイリスク・ローリターンにも程が
  あるぜ。」

     私怨の理由も分からない。その上不名誉を被れ、では、あくどい賞金稼ぎでもなければ引き受け
 ないだろう。マッドは、理由も分からぬ私怨に従って見当違いの復讐の手伝いをするつもりも、ま
 して酒を飲んでいる場で相手を撃ち殺すなんて事をするつもりもなかった。
  そして、思って、やはり内心で顔を顰めた。あくどい連中ならば引き受けるかもしれないという
 事は、眼の前にいる男がそういった連中に依頼を出す事も有り得るという事だ。大概の賞金稼ぎは
 マッドが蹴った話に――その胡散臭さ故に――食いつきはしないだろうが、マッドの手の届かない
 所にいる連中ならば。
  そう思えば、何か手を打つべきだ、と思う。それは依頼人が保安官――しかも有力者や無法者達
 と癒着しているような――という職種である事、そして私怨であるという事から、きな臭い、もし
 かしたら政治絡みの事かもしれないからだ。
  マッドは、そんなものの所為でサンダウンとの決闘の邪魔をされたくない。

  そんな一連の思考をおくびにも出さず、渋い顔をした保安官に首を竦めてみせ、マッドは殊更穏
 やかな声で言う。

 「ま、縁がなかったって事で、俺を雇おうとするのは諦めてくれ。」
 「……ふむ、残念だよ。」

  穏やかなマッドの声に対して、向こうも努めて穏やかに話そうとしているのだろう。しかし言葉
 の節々が震えている。どうやら、6000ドルの賞金が断られるとは思っていなかったらしい。それに
 苦笑いを浮かべ、マッドはひらりと丁寧なお辞儀をする。

 「では、失礼。」

  ジャケットの裾を蝶のように閃かせ、マッドは趣味の悪い部屋から抜け出した。







     マッドが出ていった扉の向こうを睨みつけ、保安官アンジェイ・クリストフは隣の部屋に待機し
 ていた昔の保安官仲間を呼び付ける。

 「ジョセフ!」

  怒鳴るように呼ばれて、少し小太りの中年の男が隣の部屋から転がり出てくる。見れば見るほど
 愚鈍そうな男を一瞥し、アンジェイは叩きつけるように言った。

 「ジョセフ、お前が、サンダウンの所に行ってこい。」
 「え?」

  唐突なその台詞に、ジョセフは眼を落ち着きなく動かす。
  
 「安心しろ、あんな賞金稼ぎの注いだ酒を飲むんだ。昔の保安官仲間だったお前の杯は、必ず受け
  取る。」
 「だ、だが、俺はもう保安官じゃないし、それにもう何年もあいつとは会ってない。」

  ジョセフが最後にサンダウンに逢ったのは、サンダウンがまだ保安官だった頃だ。サンダウンが
 保安官を止める少し前にはジョセフも保安官を止めて賞金稼ぎとなり、サンダウンも賞金首になっ
 て結局、今の今まで会う事はなかった。
  それ故、ジョセフの懸念は尤もなのだが。

 「ふん、あいつなんか賞金稼ぎどころか賞金首だ。お前がおどおどする必要はない。それに、何年
  も会ってないからこそ、咲く花もあるだろう。」
 「しかし、サンダウンはマッドの獲物だ。お前は知らないかもしれないが、マッドは獲物を横取り
  されて黙っているような男じゃないぞ。」
 「たかが賞金稼ぎが保安官に手を出せるとでも言うのか?馬鹿馬鹿しい。」

  ジョセフの言葉を一蹴し、アンジェイは鍵のかかっている戸棚に向かう。マッドが趣味が悪いと
 酷評したその調度品の中からは、琥珀色の液体が並々と入った瓶が一本取り出される。

 「これを手土産にすると良い。きっと、良い夢が見れるだろうな。」
 「アンジェイ………。」
 「なんだ?私に逆らうつもりか?ならば、お前が保安官時代に税を着服した事を話してやろうか。
  それこそ、あの、マッド・ドッグとかいう男に話せばどうなるかな。1000ドルよりも名誉を取る
  男だ。賞金稼ぎの王は、果たしてお前のした事を許すだろうか。」
 「ま、待ってくれ!」

  明らかに賞金稼ぎとしての居場所までもを奪うといった脅しを孕んだアンジェイの言葉に、ジョ
 セフは悲鳴のような声を上げた。

 「分かった、あいつの所に、その酒を持っていく。」
 「ああ、そうしてくれ。ちゃんと、奴がそれを呑むところを見届けるんだ。そして、くれぐれも、
  私の名前をだすんじゃないぞ。」

  引き攣れたような笑みを浮かべたアンジェイに、ジョセフは身を震わせ、しかし何かを言う事は
 なかった。ただ、琥珀色の液体の詰まった瓶を抱えて、転がるように部屋を出ていく。ジョセフが
 何処かに逃げるという心配はアンジェイにはなかった。何せ、保安官としても芽が出ず、賞金稼ぎ
 としても落ちぶれているジョセフを拾ったのはアンジェイなのだ。ジョセフはアンジェイに恩を感
 じている。
  だが、それでも失敗しない、という恐れがないわけではない。むしろ、裏切りよりもそちらのほ
 うが可能性としては大きい。
  むろん、それを見越して、別の賞金稼ぎ達――マッド・ドッグの息のかかっていない連中は、既
 に雇ってある。

 「これで、なんとかなりそうだ。」

  もうすぐ、連邦保安官の任命の時期がやってくる。連邦保安官に任命されるには、州を跨いで轟
 く名声が必要だ。かつて、サンダウンが無血逮捕を貫いたような、名声が。その名声の影となるも
 のは一つでも多く潰しておかねばならない。
  それは、アンジェイの昔を知るサンダウンも、例外ではないのだ。







  浅い眠りは夢を見せる。それは遠い日の栄光であったり、血濡れの道程であったりするのだが、
 今日のそれはどちらとも違い、限りなく現実に近い夢だった。

  目の前で、賞金稼ぎマッド・ドッグが微笑んでいる。少し悪戯めいた光を眼に灯し、手の中に緑
 色の硝子瓶を持っている。瓶の中でゆらゆらと液面が動いているのを見るに、どうやら酒瓶のよう
 だった。
  それをじっと見ていると、マッドが口を尖らせる。子供っぽい表情に、お前はそれで良いのかと
 お節介にも心配してしまう。

  ――お前には、やらねぇよ。

  いつもは笑みと共に差し出されるそれを、今日に限って、サンダウンにはやらない、と言う。

  ――俺だって、飲まねぇんだから。あんたにだって飲ませてやれねぇな。

  その言葉遊びのような台詞に、サンダウンは眉根を寄せる。こういった言葉のやりとりは苦手だ。
 特に、マッドの使うそれは直情的に見えて、実は難解である事が多い。まるで、マッドの眼が表情
 豊かである癖に、本心が読み取れないのと同じようで。
  笑ってばかりのマッドに、サンダウンは少しだけ不機嫌になる。

  ならば、お前が飲んだら私も飲めるのか。

  そう告げると、マッドは頷いた。   

  ――そうさ。俺が飲んだ酒じゃないと、あんたは飲めねぇんだよ。
  何故?
  ――なんでも。ってか、考えりゃ、分かるだろ?
  分からない。
  ――分かるさ。分からねぇのは、あんたが考えるのを放棄してるからさ。

  詰るように言われて、言葉に詰まる。それには少し、自覚があったからだ。マッドがいる時は、
 サンダウンは小難しい事を考えずに済んだ。マッドがサンダウンの代わりに感情を剥き出しにし、
 様々な事にあれこれと思考を巡らせてくれるからだ。
  けれど、今、此処にはマッドはいない。これは夢だ。

  考えろ。

  短くそう告げて、マッドはボトルグリーンの揺らめきと共に消えた。







    なんとなく中途半端な気分で眼が覚めたのは、夢の中の不可思議なマッドの台詞だけではなかっ
 た。安宿の薄っぺらい扉を、何度も激しく叩く音で現実に引き戻された所為だった。その音の中、
 夢の中のマッドの『考えろ』という言葉だけが頭の裏側にこびりついている。
  何かの暗示だろうか、と、神の啓示など別に信じもしていないが、そんな事を思いつつ、銃に手
 を伸ばしながら扉の向こうを窺う。
  警戒しつつ薄く扉を開くと、三人の少年と言っても過言ではない賞金稼ぎが、そこに立っていた。
 夢の中でマッドが持っていたものとそっくりの、緑の酒瓶を持って。

 「あ、あの!ままままマッド・ドッグに言われてこれを持ってきてやったんだぜ!」
 「そ、そう。マッドが持っていってくれって言ったから!」
 「俺達は嫌だったけど、マッドが持っていけって!」
 「別に、あんたが、こ、怖いわけじゃないんだからな!」

  明らかに緊張のしすぎでどもりがちな少年賞金稼ぎは、それでも王から下された任務を完遂しよ
 うと、サンダウンに酒瓶をぐいぐいと押し付ける。

 「マッドが?」

  マッドがこんなふうに人を使ってサンダウンに物を渡すなんて、今までなかった。その所為か、
 疑っているような声が出てしまった。それを見て取った少年達は、5000ドルの賞金首に怯えながら
 も憤慨する。

 「マッドって言ったらマッドなんだよ!」
 「そうだ!マッドが俺達にそう言ったんだ!」
 「疑うんなら、マッドに訊け!」

  雛鳥のように叫ぶ少年達に、分かった分かったと呟いて、差し出された酒瓶を受け取る。それは
 たぷたぷと液体が中で波打った。
  サンダウンが酒瓶を受け取ったのを見るや、少年達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。安宿の
 汚れた廊下を声高く響かせて、走り去っていく。それを呆気に取られて見送りながら、これも夢の
 続きだろうか、と思う。
  だが、手の中にある酒瓶は、はっきりと重量を示して存在感も露わだ。瓶に記された銘柄はサン
 ダウンには良く分からないが、きっとマッドの事だがら、趣味の良い物を選んだに違いない。

  もしも、これが、本当にマッドから送られてきたものならば。

  酒瓶を見下ろし、サンダウンはそこにマッドの残滓がないかを確認する。だが、それがマッドか
 ら送られてきたという証拠は、何処にもなかった。少年達はマッドの名をしつこいくらいに連呼し
 ていたが、それを馬鹿正直に信じるほど、サンダウンはお人好しではない。
  いや、仮に本当にマッドから送られてきた物であっても、何の警戒もなく飲む事など、出来ない。
 まして、今日のこれは他人の手を経ている。何処で何を入れられているか、分かった物ではないの
 だ。
  だが、もしもマッドがこれを送ってきたというのなら、サンダウンがそう考える事など分かって
 いるだろうに。なのに、わざわざこれを送ってきたというのは、どういう意味があっての事なのか。
 サンダウンが飲まずに放置しているのを見て、鼻先で笑い飛ばすつもりか。

  いつも、自分で酒を用意した時は、その酒を自分が先に呑む癖に。
  まるで、毒など入っていないという事を、見せつけるように。

  ぶつぶつと此処にいないマッドへの文句を腹の中で呟いて、サンダウンは遠ざかり掛けていた先
 程の夢に引き戻された。そして、はっとする。

  ――俺が飲んだ酒じゃないと、あんたは飲めねぇんだよ。

  そういう事か。
  マッドは、サンダウンが警戒している事に気付いている。その警戒を解く為に、いつも先にグラ
 スを傾ける。そして、その警戒が薄れないように、絶対にサンダウンに先にグラスを傾けさせない。
 ずっと、そうだった。
  それを踏み躙ってまで、マッドがこれを送ってきたのだとしたら。
  これは、警告だ。
  もしもマッドがこれを送ってきたのなら、これは異常事態が起こっているという警告。
  マッド以外の誰かならば、やはり此処に込められているのは悪意だ。
  もしも本当にマッドが送ってきたものならば、マッドはサンダウンよりも、異常発生に気付くの
 に近い位置にいる。そしてそれをこんな迂遠な方法で告げてきたという事は、マッド自身も眼を付
 けられているのか。

  そこまで考えて、呆れた。
  まだ、これがマッドからのものと確定したわけではないが、マッドからのものだとすれば、あの
 男は一体何を考えているのか。賞金稼ぎが賞金首に危険を知らせるなど、本当にそれで良いのか。
 夢の中でも薄っすらと同じような事を思ったが、本当にあの男はあれで良いのだろうか。
  しかし、同時に、それに賞金稼ぎ達が従っているのなら、それで良いんだろうとも思う。ただし、
 その場合は賞金稼ぎ達もそれで良いのか、という問題になってくるが。

  いずれにせよ、サンダウンは警戒する以外にする事はない。マッドが警告をしたという事は、マ
 ッドが何かをする、という事でもある。ならば、特にサンダウンが動く事はない。
  仮に何かあっても、この荒野でサンダウンに牙を立てる事が出来る者はいないのだから。

     サンダウンは、ゆっくりとベットに腰掛け、時が動くのを待った。