昔、まだ本当に幼かった頃、北の森の小さな町にある教会で、牧師が天使について語っていた。天
使というのは一人一人に付いていて、人の心から悪を遠ざけ、善に導くのだと。
 子供の頃は、それについて何の疑問も思わなかったが、長じるにつれて人の心には否応なしに悪意
の中に踏み込まねばならぬ時があり、天使の見守り程度では結局のところ人が道を踏み外す様など到
底止められはしないのだ。
 そうでなければ自分が悪人を捕らえる事も、撃ち殺す事もなかっただろうし、そもそもこの世に悪
が蔓延る事もないのだ。
 そして、自分が渇き切った砂ばかりの荒野を彷徨うことだって、なかったはずだ。
 イエス・キリストも、かつては荒野を彷徨い歩いた、と言うかもしれない。そこで悪魔という名の
己の障害と出会い、そしてそれを乗り越えた。
 では、自分の行く先々に現れるならず者達もまた、障害であるというのだろうか。それを撃ち殺す
事が、正しく認められた行為であると。
 流される血は聖餐であって、それによって罪は贖われるのだ、と。
 だから、あの日、サンダウンは最も美しい黒い獣を撃ち落とし、その心臓から流れる血で大地を清
めた。




Clavicula



 自らの首に賞金を懸けたあの日から、サンダウンは黒い獣に追いかけられるようになった。
 人を護る側から道を踏み外した自分からは、黒い獣を追い払う守護天使とやらは立ち去ってしまっ
たのだろう。だから、黒い獣が目の前に、背後に、現れるようになったのだ。
 銃声に怯むわけもなく、サンダウンが撃ち落としたならず者の死体を嘲笑いながら、冗談とも本気
ともつかない口調と仕草で、サンダウンに死をちらつかせる。

「そろそろ死んだって良いんだぜ?」

 それは、当ても果てもなく荒野を彷徨うサンダウンには、あまりにも甘美な提案だった。安寧をく
れてやるから、その命を寄越せと嘯く黒い獣は、目を背けたくなるほどに端正だった。こちらの醜さ
を見せつけるほどに美しかった。
 古来より、天使は美しいものだという。
 しかしそれ以上に、人を惑わせる悪魔のほうが、美しいのだ。
 見た目も仕草も声音も、悉くが明瞭で美しい黒い獣は、サンダウンを更に死の淵に追い落とそうと、
囁いてくる。
 それを何度振り払ったか、もう覚えていない。振り払っても振り払っても追いかける獣は、それほ
どまでにサンダウンの障害が大きいのだと知らしめる。イエス・キリストの前に現れた悪魔は、こん
なに強大であっただろうか。
 それとも、振り払い切れていないから、こうして何度も現れるのか。
 そうかもしれない。
 サンダウンは、今までずっと、黒い獣に銃を向けて威嚇して、それで払い落としてきた。獣そのも
のを倒そうとはしてこなかった。その獣は、殺すには忍びないほど、美しかった。それが、獣の策略
であったとしても。孤独な荒野で、滑らかに現れる美しい獣に、情が移った。殺す事が、できない。
 だからこそ、サンダウンは障害を排しきれていないのか。
 美しい獣が、うっそりと嗤う。お前の弱さが、お前の罪だと。あれほどまでに人を殺しておきなが
ら、情に左右されて獣を殺せない。銀の星の下に、あれほど人の罪を贖っていたくせに。結局のとこ
ろ、銀の星という寄る辺に何もかもの責任を被せて、ただただ惰性で人を撃って来ただけではないの
か、と。
 撒き散らされた血の罪を、いい加減、自分の命を以て贖ってはどうだろうか。
 サンダウンの中で、無責任な自分が囁く。
 けれども生き汚いもう一人の自分が、ならず者連中のように死んでいくのは嫌だ、と叫ぶ。
 殺してきたのはならず者連中だ。罪を犯した連中だ。一度は、それ故に感謝されもした。けれども、
それが災いして、サンダウンは殺し過ぎた。それでも、殺した連中と自分は違うと、どこかで叫んで
いる。
 でも、そんな事、誰も知らない。
 黒い獣には、サンダウンの事情は分からない。黒い獣は、血濡れのサンダウンの匂いを嗅いで、こ
れは罪人だと判じたのだ。人を殺しておきながら、それは正しいのだと言い聞かせている惰弱なサン
ダウンからは、守護天使は立ち去った。代わりに、サンダウンに楽になる方法を嘯く獣だけが、傍に
いる。だが、サンダウンは、ならず者連中とは違うのだという傲慢ゆえに、その誘いにも乗り切れな
い。
 そうだ。
 気が付いてしまった。
 黒い獣の誘いを払いのけていると言ってはいるが、そうではない。単純に、サンダウンが黒い獣の
提示する死を恐れているだけだ。己はならず者とは違うのだという傲慢が、死を遠ざけているだけで
あって、高邁に追い払っているわけではない。寂しさ故に、獣を殺せないのが、良い証拠だ。
 崇高に獣を追い払うのならば、冷然と獣を撃ち落とせば良いだけの話。獣が失せた後の孤独も、無
心に飲み下さなくてはいけない。
 だから、何かを打破するために、サンダウンは黒い獣の心臓を撃ち抜いた。
 流れた赤い血が大地を清めたにもかかわらず、圧倒的な後悔だけがサンダウンに残った。そして、
去り際の、何もかもを了承していたかのような笑みが、恐ろしい勢いで胸を突き抜けて行った。




 しゃり、とマッドは林檎を齧る。
 人間はこれを飲み込んで、それが喉仏になったというが、天使であれ悪魔であれ喉仏はあるのだか
ら、別に人間だけが神の意向に背いて知恵の実を食べたわけではないのだろう。
 では何故、人間だけが神の御許を立ち去らねばならなかったのか。おそらく、単純に、人間のほう
から神を見限ったのだ。
 罪だの罰だの楽園だので己を正当化する神に、嫌気が差した。それだけの話。
 兄である天使と悪魔は神を見捨てる事が出来ず、そして立ち去った弟である人間に神の手が伸びぬ
ように気にかけながら、伸ばされようとする神の腕を断つ作業を進めている。
 それでも断ち切れぬ腕が宗教となり、人の心を縛るのだけれども。そこから人間を逃がすのも、ま
た、兄たる者の務めだ。

「天使、悪魔、どちらでも好きなほうで呼べばいいさ。」

 守護天使、敵対者。どちらであってもするべきことは同じだ。
 マッドは黒い獣となって、ゆらりと立ち上がる。翼の色も、人間が好きに選べば良い。
 自分達は、神とやらが未だ植え付けようとする原罪の芽を摘み取り、代わりに贖うだけだ。どうせ、
死後の世界とやらはなく、最後の審判もないのだ。人間は、せいぜい現世で現世の罪と向き合うだけ
で良い。
 生きたがりも死にたがりも罪ではない。他人とは違うと驕り昂ることに罰は必要ない。サンダウン
は、殺した数に応じて罪悪感を覚えていれば良いだけだ。それを罪だという輩がいれば、それは人間
の法の内で裁けばいい。

「じゃあな、兄弟。どうせまた、すぐに会えるさ。」

 謂れのない罪で、どうせまたぐちぐちと考え込むのだろうから。