「よお、言い御身分だな]

  青年は、自分が経営するサルーンで、娼婦や賞金稼ぎ仲間達と一緒に酒を飲んでいる老人の前に
 姿を現し、いつもの皮肉めいた笑みを口元に湛えて、うっとりとした口調で囁いた。
  ウエスタン・ドアを何の躊躇いもなく押し開き、何も気負う気配もないままに現れた青年の黒い
 影を、しかし老人は皺だらけの指で摘まんだ葉巻を落とす事もなく、平然と迎え入れた。混乱の様
 子のない雰囲気に、青年はますます笑みを深くする。

 「流石だな。あれくらいの襲撃じゃあ、俺を殺せない事が分かってたってか?」
 「その様子だと、あのガキを殺して、他の奴らも殺したってとこか。」

  静まり返ったサルーンの中で、葉巻から漂う白い煙だけが、何も知らないかのように変わらずに
 辺りを漂っている。

 「だが、お前は目の前で娼婦を殺された。でなきゃ、あのガキを殺す口実がねぇからな。お前の所
  為で、娼婦は死ななきゃならなかったんだ。」

  はっと勝ち誇ったかのように嘲る老人に、青年はそれを上回る嘲りの声を上げて嗤った。
  かかと嗤い、青年はゆったりと懐から葉巻を取り出すと、老人と同じようにそれを口に咥える。

 「悪いが、娼婦は死んでなんかいやしねぇよ。流石に怯えて逃げ出したけどな。」

    その瞬間、今度こそ老人は大笑した。葉巻を指から弾き飛ばし、腹を抱えて笑い出す。これほど
 までに愉快な事があろうかと言わんばかりに。それ以上に、全てが自分の予想を超えて上手く行っ
 ているという事が分かったからか。

 「こりゃあ良い!つまりお前は、何の罪もないガキを一人殺したって事だ!お前は、晴れて犯罪者
  だ!」

  途端に周りにいた賞金稼ぎ達も大笑いを始め、皆が其々に腰に帯びていたホルスターに手を伸ば
 した。鈍く光る銃を一斉に取り出し、彼らはたった今自分の獲物と成り下がった青年を、自分達の
 銃の顎に捕える。

 「撃て!」

  老人のしわがれた声を待たずして、賞金稼ぎ達の銃は一様に轟いた。何度も何度も、青年を甚振
 ろうとするかのように。
  が、勿論青年とて、そんな簡単に命をくれてやるつもりはなかった。すばやく身を翻した細身の
 身体は、ひらりと丸いテーブルをひっくり返すと、その背後にするりと飛び込んだ。
  喚きたてる銃声は、木でできたテーブルに容赦なく牙を立てるが、それでもこういった乱闘を見
 越して作られた所為か、テーブルが砕け散って青年が蜂の巣になる事はなかった。
  それに、どれだけ多くとも銃というのは六発程度しか連続で撃つ事は出来ないのだ。それに一発
 撃つたびに撃鉄を上げる必要がある。だから、そんなに長時間に渡って銃声が続く事はない。あの
 男のように、信じられない神業で連射しない限りは。
  現に、しばらくすれば銃声は止まった。
  一瞬の音の空隙の間に、青年は普段通りの軽やかな声を吐いた。銃撃など、馬車が通り過ぎ去る
 音でしかないと言わんばかりに。

 「言っとくけど、あのガキを殺したのは俺じゃねぇぜ。あのガキが殺そうとしてた娼婦の客さ。」

  低いが良く通る声は、素晴らしい音楽的な響きを湛えていた。オペラの歌のように響き渡った声
 に、微かに男達の顔が顰められる。

 「砂色の髪と髭のおっさんでなあ。てめぇらの仲間も一瞬だった。」

  ぎょっとしたような気配が、賞金稼ぎ達それぞれから漏れてきた。どうやら、青年が口にした男
 に心当たりがあるらしい。もしかしたら、青年がまだ知らないだけで、有名なのかもしれない。ま
 あ、あの銃の腕を見れば当然か。
  まだ、青年には手が出せない、大型の賞金首なのだろう。
  だが、そんな事は今はどうでも良い。
  狼狽える男達の前で、青年はゆっくりと立ち上がって、倒れた丸テーブルの向こう側から姿を表
 す。再び銃を向けようとする男達に、けれども青年は再び隠れる気配はない。

 「そんな事よりもさ、てめぇら。」

  ゆったりとした動きで、青年はジャケットの前を寛げ、細い腰回りを見せる。絡むように幾重に
 も折り重なった革のベルトは銀の鋲が煌めいており、同時に黒い革の厳めしいホルスターが両脇に
 取り付けられている。
  そして、そのホルスターの中身は、空だった。

 「俺は今、銃を持ってねぇんだがな。」

  氷が割れるかのような音が、確かに響いたような気がした。全員の顔が引きつり、それは老人も
 例外ではない。 
  むしろ、彼らのほうこそ、青年の言っている意味が良く分かっているはずだ。
  此処西部の荒野において、銃を持たない人間に向かって銃を放つ事は、何よりも大罪であった。
 縛り首になってもおかしくないほど。相手がよほどの極悪人でもない限り、銃を持たぬ者には銃を
 向けてはならないのだ。
  それは、西部の王者と雖も例外ではない。
  眼を剥いた老人の前で、青年の身体がバネのように爆ぜ飛んだ。転がった丸いテーブルを足蹴に
 し、その一蹴りで老人のすぐ横にいた賞金稼ぎとの距離を一気に詰める。かと思えば賞金稼ぎの顔
 に鋭い手刀を入れ様に、よろめいたその手から銃を奪い取っている。
  奪い取った銃は空だ。けれども手刀を加えた手の指には、4つ銃弾が挟まれており、それは魔法
 のようにリボルバーの中に納まった。
  転瞬、その銃の持ち主は額に一つの穴を浮かべて斃れた。銃声が轟いたのは、その後のような気
 がするほど静かな一時だった。
      男が頭から血を棚引かせて斃れた音が響いた瞬間、ようやく辺りは騒然となった。けれどもその
 時には既に残りの銃弾で三人が斃れている。斃れた三人の銃を青年は蹴り上げて、宙で受け止める
 と素早くそれを両手で握り締めて横に流す。その度に壁や床に赤い花が咲く。
  男達の身体を蹴り上げて、銃を繊細な手で包み込んで。
  そしてそして。
  青年は、老人に、いっそ口付けできるほどにまで詰め寄った。口元に笑みをゆらりと浮かべて。

 「さて、と。これであんたも終わりだな。」
 「ま、待て!」 

  青年の端正な顔を間近で見た老人は、今にも息絶えるような声を上げた。けれども青年の耳には
 入らない。

 「ほんと、てめぇはなんでこんな事したんだろうね。俺は別にあんたの事嫌いじゃなかったのに。
  あんたに尻尾も振ってやっても良かったのに。」

  今の地位に固執するあまり、尻尾を振ればむしろ怯えるようになった。
  憐れだ、と青年は囁く。

 「犬が尻尾ふってりゃ、それの裏を読むなんて馬鹿げてるぜ。喜んでりゃ良かったのさ。自分に懐
  いたって。そしたら、知らない内に、勝手に立場なんて変わってただろうに。」
 「ふざけるな!お前みたいなガキに!」
 「そう、あんたは今から、俺みたいなガキに殺されるのさ。もしかして、別の誰かに殺されたかっ
  たとか?でも、残念ながら、それは叶えられねえなぁ。」

  せいぜい、と青年は銃口を老人の額に押し付ける。自分の唇の代わりに。

 「命乞いでもしてろよ。あんたが見殺しにした娼婦みてぇにさ。」
 「だからか!それが、お前の琴線か!そうやって正義を振り翳すのか!」

  喚く老人は、正義などで荒野が平定できるわけがない、と言う。力で封じ込め、冷酷に見捨てな
 ければ、時には自分の命さえ危険だ。そんな土地では正義など意味を為さない。むしろ、振り翳さ
 れる正義は時として悪だ。

 「俺は正義の御旗なんか降り翳さねぇよ。」

  しかし、青年は笑みを湛えたままだった。

 「俺は単純に、てめぇらのやらかしてる事が気に入らなかっただけ。てめぇらが俺にとって都合が
  良いんなら放っといても良かったけど、そうじゃねぇしな。あと、あんたに尻尾振っても、あん
  たの足元になんか跪きたくねぇよ。」

  要するに。

 「俺は俺のやりたいように、やってるだけさ。」

  都合の良い時は尻尾を振って、気に入らなければ噛み砕く。血反吐が口に入っても、気にしたり
 はしない。その味を忘れる事はないだろうけれども。

 「じゃあな。あんたじゃ、俺を孕んだ荒野を、御せなかったって事さ。」

  宣告通り、銃声に躊躇いはなかった。




  老人が脳漿を飛び散らせた後、青年はあちこちで呻き声が聞こえる事を思い出した。全員が全員、
 殺されたわけではない。証人が必要だったからだ。
  青年はゆったりとした足取りで、呻く男達の元によると、足先でその身体をひっくり返す。

 「おい、良かったじゃねぇか、死んでなくて。」

  笑う青年は、同時に酷くくだらなさそうだった。

 「お前らってすぐに動揺するんだな。あのじいさんもだけどさ。そんなに、砂色のおっさんが怖い
  わけ?」

  そう。
  青年が此処まで形勢を有利に保てたのは、その一瞬、確かにその場にいた全員が狼狽えたからだ。
 青年が銃を持っていないという事実を告げた時と同じくらい、いや、それ以上に、彼らは一様に戸
 惑った。
  賞金首。
  それも、まだ写真も出回っていない、けれども知っている人間が恐れるほどの。そしてそんな人
 間に、紛れもなく救われたという事実。

 「……借りはみっちりと返してやらねぇとなあ。」

    借りっぱなしは主義ではない。
  それに、と舌なめずりする。
  まだまだ、この荒野では暴れたりない。