高い位置から空のように見下ろされた青年は、男から発せらせる物静かな、しかし圧倒的気配に
 思わず立ち竦んだ。背中が粟立ち、じっとりと汗が噴き出る。
  正直なところ、対峙しただけで此処まで飲み込まれそうになる相手は、初めてだった。思わず手
 摺に縋りつきたくなるのを堪えながら、口元に笑みを浮かべて男を見上げれば、男の砂色の眉が微
 かに動いた。

 「悪ぃな。お楽しみのところを邪魔しちまって。こいつは俺への当てつけで娼婦を殺してる奴で、
  俺が始末しなけりゃならなかったんだが。」

  青年は唇を湿らせてから、できるだけ軽薄な口調で揺れている砂色の髪に向かって言った。砂色
 の髪と髭の男は、微かに眉を顰めているようであったが、しかし特に青年に何かしらの糾弾をする  
 つもりはないのか、手にしていた銃を腰のホルスターに納めている。
  と、背の高い男の後ろから、まろぶように娼婦が駆け出してきた。化粧も口紅も崩れ、頬は紅潮
 して目元には涙が滲んでいる。それはそうだろう。何せ客を取ろうとした途端に、わけのわからな
 い子供に押しかけられて銃を向けられたのだから。もしも、目の前にいる男が少年を撃ち殺さなけ
 れば、どうなっていたか分からない。
  ただ、娼婦としての矜持も何もかもを忘れて、客を放り出してそのまま逃げ出したのは責められ
 ないが、しかしどうかとも思う。
  足音高く階段を下りていく娼婦の姿を眺めやって、青年は男を見上げた。

 「ああ、悪い事しちまったな。折角買った女が逃がしちまった。」
 「…………。」

  けれども、男はもう表情を動かそうとはしなかった。女が逃げようと特に感慨を覚えたふうもな
 い。ただ、淡々と青年がいて、女が逃げて行った階段を見下ろしているだけだ。足元に転がってい
 る少年の死体にも興味はないようだった。
  やがて、男はふらりと動き出して、女と共に過ごすつもりだった部屋を放置して階段を下りてい
 く。青年とすれ違う時も、何も感じていないようだった。 

 「おい。」

  青年のほうが、咄嗟に動いて男を呼び止めた。
  ようやく反応を見せて立ち止まった男に、青年は流し目を送る。

 「あんた、どうするつもりだ?部屋もいらねぇってか?」
 「………………。」

  男の青い眼が、再び青年を見上げた。
  何かを言葉を選ぼうと逡巡していたようだが、ひどく素っ気なく呟かれた。

 「………巻き込まれるのは、ごめんだ。」

  無機質に吐き捨てた男は、青年を振り払うように階段を下って行く。 

 「………賞金稼ぎなら、猶更。」

  階段を最後まで下り切った男が呟いた声が、少し遅れて青年に届いた。その台詞の意味を問おう
 として、問う必要もない事に気づく。  
  賞金稼ぎに関わり合いたくない人間は多いが、殊更にそれを強調するように告げるという事は。

 「あんた、賞金首か。」

  今にも廊下の角に消え去りそうな茶色い服の裾に向けて問う。だが、返事はなく、男の背の高い
 影はするりと消え去った。本当に関わり合いになりたくないようだ。
  しかし。

 「待てよ!今、外に出ると……。」

  きっと、青年が少年を殺しに行く事を見越して、青年を待ち伏せしている賞金稼ぎ共が宿の外で
 待ち構えている。何せ、これは罠だったのだから。
  事実、宿の外から信じられないほどの、爆音化と思うほどの銃声が一斉に瞬いた。
  ぎょっとして階段を駆け下り、宿の入り口へと向かうが、妙な事に気が付く。先程の銃声は、ほ
 ぼ、一発に聞こえた。そして何より、駆け付けた入り口では未だに、にゅっと背の高い男の影が立
 ち昇っている。
  宿の外からは、くぐもった呻き声のような音が。
  先程少年を撃ち落した直後のように、銀色の銃を掲げた男は、もはや何処にも危険など存在しな
 いのだと言わんばかりの、ゆっくりとした仕草で銃をホルスターに戻している。そして、何事もな
 かったかのようにゆっくりと、宿から出ていく。
  既に青年も、怯える宿の主人も眼に入っていないような素振りだった。
  青年も同じように、怯える宿の主人を放置して宿の外に走り出て、瞬間、その場で蹈鞴を踏んだ。
  宿の外の地面、或いは宿のすぐ傍にある家からは、血を流した男達の身体が無造作に転がり出し
 ていたからだ。男達のすぐ傍には、銃が落ちてる。
  別に、男達が銃をほっぽりだして倒れている事自体は、青年にとっては大した問題ではない。そ
 んな人間はこれまでも見てきたし、青年が賞金稼ぎである以上、誰かを撃ち落す事もあるからだ。
  問題はそこではなくて。
  銃声は、ほとんど一発にしか聞こえなかった。男達が同時に一斉に銃を撃ったわけではない事は
 明白だ。
  つまり、今地面に転がって呻いている賞金稼ぎ達は、あの男の銃によって撃ち落されたわけだ。
 一瞬のうちに。
  その事実に愕然としている青年の横を、くだらない、と言わんばかりに一陣の風が通り過ぎ去っ
 ていく。少しばかり痩せた茶色い馬が、前だけを見て通り過ぎて行ったのだ。その背には、あの男
 が跨っている。
  咄嗟に、追いかけようかとも思ったが、それよりも転がっている男共から話を聞く方が先だった。
  馬が去った方を一瞥してから、呻いている男の一人を足先で蹴る。

 「随分とあっさりやられたもんだな。」

  微かに笑みを孕んだ声で言ってやると、苦痛に呻いているだけだった男が、薄らと眼を開いて青
 年を見た。

 「で、これは誰の差し金だ?まさかお前らが自発的にやったわけじゃねぇだろう?」

  男の眼を覗き込みながら問うと、男は苦痛に顔を歪めながらも眼を背けた。言うつもりはないと
 言う事だろうか。
  だが、そんな簡単に解放してやるつもりはない。

 「あのなあ。今のてめぇに黙秘なんていう権利があると思うのか?言わねぇと、もっと酷い眼に合
  うだけだぜ?」
 「……拷問でもするつもりか?それとも俺を殺すか?そんな事をしたら、お前も罪人だな。」

  戦う気力のない人間に、銃を突きつけるだけでも十分に罪になる。
  だが、青年はうっとりとするような笑みを浮かべただけだった。

 「別に俺がいちいち手を出すまでもねぇだろ?なあ、お前、失敗した自分が諸手を挙げて歓迎され
  ると思ってんのか?俺が此処で放置してたら、どうせ後で命令した奴に殺されるだけだろ?」

  だが、と男を見下ろして青年は囁いた。

 「正直に吐いたら、俺はてめぇを許してやるぜ。ああ、てめぇに普段通りの生活を約束してやる。
  何にも怯える必要はねぇし、もしかしたら今よりも良い生活が待ってるかもな。少なくとも、殺
  される事はねぇ。」

  くすり、と笑い、続ける。

 「俺が嘘はつかねぇ事は、知ってるだろ?さあ、どうする?」

    逃げ帰ってから始末されるか、それとも大人しく投降して先の栄華を取るか。
  選べ、と男の耳元で囁いた。