少年が、娼婦を殺しているという。
  青年はその事実に眉を顰めた。
  青年との決闘で尻尾を巻いて逃げ出した少年が、未だに西部にいる事はまあ良いとして、何故娼
 婦を殺しているのか。
  西部において娼婦の立場は決して悪いものではない。むしろ女の数の少ない荒野ではある一定の
 地位を確立していると言っても良い。それを殺すという事は、ある意味何よりも罪深い事なのだが。
 まさか、それをいくら子供だからと言って、知らないはずもない。
  いや、それ以前に銃を持たない相手を撃ち殺す事がどれだけ罪深い事なのか、縛り首にされても
 文句は言えないほど罪深いという事を、賞金稼ぎになっておいて知らないとは言えまい。
  では、何故。
  少年の事をわざわざ考えてやる時間など、青年にはないのだが、脳裏の片隅に引っ掛かっている
 不愉快な想像がどうしても掻き消えない。そしてそれは事実に近い気がしてならないのだ。
  青年の不愉快な想像を裏付けたのは、西部一の賞金稼ぎである老人の一言だった。

 「お前が取り逃がしたあのガキ。」

  皺の刻まれた顔に、微かに嘲るような笑みが刻まれていたのは、陰影の悪戯だろう。だが、同時
 に老人の内面を色濃く映し出しているような気もした。
  久々に逢った老人は、青年に対して特に警戒も見せず、しかし両脇を屈強な賞金稼ぎ仲間で固め、
 酒を煽っていた青年を見下ろした。

 「何を考えてるのかは知らねぇが、娼婦を殺しまくってるそうだ。」

  頬杖を突いて考え事をしていた青年は、億劫そうに老人を見上げ、口元に本当に小さな笑みを浮
 かべた。

 「あんたが知らねぇんなら、俺にだってあんなガキの考えてる事は知らねぇよ。」

  娼婦を殺しているという胸糞の悪い事実以外は、青年には分からない。尤も、それにこの老人が
 噛んでいないという証拠もないので、擦れるような台詞を吐いたのだが。
  それに、老人が少年の裏側にいないと言うのなら、老人が少年を殺しに行けば良いのだ。娼婦殺
 しという大罪を仕出かしている少年を、西部一の賞金稼ぎが放っておくなどおかしいではないか。
  それとも、青年の責任であるという事実を周知させるまで、凶行を放っておくとでも言うのだろ
 うか。
  結果、流れるのは何の罪もない女の地だというのに。
  それでも良いのだと言い放つのならば、この老人も、その取り巻きの賞金稼ぎも、大概腐ってい
 る。

 「まあ、多分お前への当てつけだろうな。お前は娼婦とも親しいしなあ。最近じゃ、娼婦のところ
  に寝泊りしてるって噂になってる。」
 「なんだ、羨ましいのか?」

  青年の事をヒモ呼ばわりしたいのかもしれないが、生憎とその手に乗るつもりはない。大体、既
 に女に養ってもらうほど金欠にもなっていない。むしろ青年が賞金稼ぎとして名を売り出している
 からこそ、それほどまでに警戒しているのだろうに。

 「まあ、てめぇが言いたいのはこうだろうよ。俺が女の所に寝泊りしてるから、あのガキは俺を捜
  してそれらしい女を片っ端から殺してる、と。」

  実にしょうもない話だが、多分言いたい事は間違いないだろう。
  しかし、そこまで分かっているのなら。

 「で、てめぇはなんであのガキを捕まえに行かねぇんだ?」

  西部一の賞金稼ぎとあろうものが。
  だが、その台詞に老人は鼻先で嗤っただけだった。

 「俺がなんで、てめぇの尻拭いをしてやらなきゃならねぇんだ。」

  しわがれた老人の声に、周りの賞金稼ぎ達の卑下た笑い声が重なる。げらげらと笑いながら、賞
 金稼ぎ達は、青年を追い落とすという一つの目的の為に、娼婦が殺される事を良しとするようだ。
 それとも、もしかしたらこれも彼らの罠であり、少年は彼らに言われた通りに動いているだけなの
 かもしれない。
  いずれにせよ、青年にとってはくだらない話でしかなく、そして目の前で耳障りな笑い声を醸し
 出している男達は、腐ったジャガイモよりも性質の悪い輩に違いがなかった。
  青年は微かに苦笑いを零し、ひらりと男達に繊細な手を振る。
  何処かに行け、というふうに。

 「お前ら、俺が何してんのか見えてねぇのか?それともてめぇらの趣味は人様の飯の邪魔をする事
  か?」

  例えばまるでハルピュイアイのように。
  そう続けると、男達の大半はキョトンとした顔をした。どうやらギリシャ神話の怪鳥の名を知ら
 なかったらしい。
  男達の表情にもう一度笑みを零し、青年は食事をそこで中断すると、緩やかな動作で立ち上がっ
 た。





  間違いなく罠だった。
  そんな事はどんな愚かな犬でも分かる事だろう。それでも愚かな犬よりも愚かに、娼婦殺しの犯
 人である少年を止めに向かったのは、ただただ、賞金稼ぎのしょうもない矜持に付き合わされて命
 を奪われなくてはならない娼婦が憐れだったのだ。
  青年は自分を聖人だとは思わない。賞金稼ぎならば法のギリギリを掠め去るのも当然の事である
 と思っている。人を殺す事も、相手が丸腰でなければ問題ない。
  ただ、それでも賞金稼ぎには賞金稼ぎとしての本分があるはずだった。
  正義の御旗ではない。
  他人の血の中に咲いた雑草として、それでも法の隙間を掻い潜る存在としての本分があるはずだ
 った。
    だから、少年の後を付けた。
  見つけた直後に撃ち落せば良かったのかもしれないが、しかしそれでは少年が実は犯人ではなか
 ったという言い逃れの余地を与えてしまう可能性もある。だから、少年が娼婦を撃ち殺そうとする
 その直前に、少年を撃ち落すつもりだった。
  それ以外に、少年を逃がさずに、そして青年も安全に終わる方法はなかった。
  少年は、客を取った一人の娼婦を標的にしたようだ。客である男の姿は青年からは良く見えなか
 ったが、しかし遠目に見ても青年と見間違えようのない姿形をしていたから、少年の銃の矛先は青
 年を撃ち殺す為ではなく、とにかく青年を追い詰める為に向けられているようであった。
  少年の落ちた果てを見てとった青年は、喉の奥で小さく笑う。
  そんなふうに堕ちるくらいなら、青年との決闘に逃げた後、そのまま西部から逃げ出してしまえ
 ば良かったのに。他の賞金稼ぎの手先として扱われるくらいなら。それとも、周りの人間に西部か
 ら逃げた思われるのか嫌だったのだろうか。
  それならば、もう後は、死ぬしかないだろうに。
  そして青年は、少年をこの場で撃ち落すつもりだった。罠である事は重々承知している。あの娼
 婦も、娼婦が取った客も、老人の息がかかっているかもしれない。だがそれでも、今殺さなくては
 きっと止められないだろう。
  いざとなれば、全員を撃ち殺すつもりだった。
  しかし青年の思惑は、全く別の銃声によって阻まれた。
  娼婦と男が消えた安宿に、少年がひそひそと入り込んだその直後に、銃声は響き渡った。銃声そ
 のものは珍しくもないが、しかし銃声は確かに彼らが入った部屋から響き渡った。 
  ぎょっとして青年が、問題となっている部屋との距離を詰めて惨状を確認すれば、扉から少年が
 倒れ出てくるところだった。
  額から惜しみなく血を綺麗な弧を描くように噴き上げて、その勢いで倒れたのではないかと思う
 ほど少年は、一直線に倒れた。見開かれた眼は既に何も見ておらず、息の根が断たれているのは当
 然だった。
  しどどに濡れた赤い床を見つめる青年の前に、赤を一気に掻き消すような黒い影が覆い被さる。
  ずるりと部屋から出てきたのは、たった今、娼婦と一緒であった男だった。砂色の髪を無情に
 あちこちに散らし、風紋のように緩やかな動きで、物言わぬ少年と、そして青年の黒い眼に、視線
 を合わせた。
  それは、強烈な、青であった。