べったりと服の裾についた血を見て、青年は形の良い眉を顰めた。
  初めて撃ち取った獲物は、一発の銃声では斃れず、見苦しく地面の上でもがき、何度も何度も、
 青年に銃口を向けては粗点に失敗し、その代わりに青年の服に取りすがるように手を伸ばしてきた。
  追い縋る手を振り払い、何度も銃弾を叩きこみ、ようやく賞金首の男が動かなくなった時は、辺
 りは血の海になっていて、青年の服にも返り血と言うよりも男が取り乱した所為で飛び散った血が、
 何滴も付着していた。
    あまりの手際の悪さに、青年は少しばかり自己嫌悪を覚えたが、すぐに初めての狩りなのだから、
 仕方がないか、と思う。
  銃を撃った事があるとはいえ、流石に殺すまで人を撃ち抜いた事はない。案外、人間はなかなか
 死なないものだ。
  そう思って肩を竦めた青年は、もしかして保安官に突きだしたほうが良かったのかな、と考える。
 生死問わずと書かれていたが、実際は生かしておいたほうが良かったのだろうか。生かして、絞首
 刑にしたほうが。
  地面に倒れ伏した、かつては男であった醜い肉塊を見下ろし、青年はますます絞首刑にすべきだ
 ったと思い始めた。
  男の経歴を考えれば、銃で撃ち殺すよりも、絞首刑であるほうがその首には相応しいような気が
 したのだ。
  小さな店に押し入っては金品を盗み、最後には店に火を点けて逃亡を繰り返していた男。
  既に、火事で三人が死んでいる。それを考慮すれば、やはり絞首刑が相応しかったと思うのだ。
  行き当った考えに、青年は顰めていた眉をますます歪めて、眉間の皺を深くする。今回は自分の
 腕が劣っていたが故に生け捕りに出来なかったのだ。そう思えば、腹の底に苦々しい思いが湧き上
 がってくるというものだ。
  軽く舌打ちして、それでも男を撃ち取ったという事実を示すものを、幾許か男の所有物から漁り
 取り、ぶちまけられた血の上に崩れた肉塊にはそれ以上見向きもせずに、青年は近くの町と、そこ
 にいる保安官について考え始めた。





  血に汚れた賞金首の所有物を見た保安官の顔が、見る間に引き攣った。
  青年は保安官の豹変ぶりに、少しばかり奇妙なものを感じた。
  別に、賞金稼ぎという仕事が栄誉あるものであるとは思っていない。賞金稼ぎになろうと思って
 いる輩など、ほとんどいないだろう。いるとすれば、賞金稼ぎを正義の味方と思っているか、或い
 は血に飢えているか、だ。保安官か無法者になれば済む事なのに、そのどちらにもならずに賞金稼
 ぎになっているという事は、結局どちらになるにも力が足りなかったのだろう。
  そんな中途半端者か、もしくは金が必要なのか、それとも他に何にもなれなかったのか。とにか
 く通常に生きられない人間に対して、保安官という正義の下にいる人間が、良い顔をするだろうと
 は、思っていない。
  けれども、青年の前にいる保安官は、確かに賞金首の所有物を見た瞬間に顔色を変えたのだ。
  それの意味するところは。
  何か、本能的に不吉なものを感じた。
  犯罪者が撃ち取られた事を示されて、顔が強張るなど、普通はあり得ない。驚愕なら分かる。安
 堵も普通だ。疑惑も当然だ。
  しかし、その強張りは。
  青年は、保安官の背後に後ろ黒いものを見たような気がした。
  昔、青年がまだ西部に来るよりもずっと前。子供の頃に、夜の大人の噂の影に垣間見えたものに、
 良く似ている。いや、強いて言うならば、黒い仮面が打ち崩されて、そこから噴き上がった本性と
 いうものに。
  保安官の指が奇妙な動物の鉤爪のように折れ曲がっているのが、青年に自分が保安官にとって何
 か危険な事を為したのだという事を理解した。
  もしかしなくても、あの、今や肉塊と化して荒野で動物達の腹を満たしているかもしれない男は、
 保安官の、この町の有力者達の飼い犬だったのかもしれない。
  思い至った瞬間、青年の胸に、さっと冷たいものが吹き込んだ。
  今は、まだ大丈夫だろう。昼間の、人通りの多いこの町では、銃声がすれば、悲鳴が上がればす
 ぐに一般市民が気が付く。けれども夜、もしくは誰もいない荒野。何が起きてもすぐに掻き消され
 てしまう時間、場所では。
  強張った笑みを浮かべて金貨の詰まった袋を渡す保安官を見て、青年は鋭い警鐘を聞いた。
  よりにもよって、一番最初の狩りで、厄介な賞金首を撃ち落すだなんて。保安官や有力者の飼い
 犬であった賞金首を撃ち殺して、ただで済むはずがない。
  しかし一方で、己の行動の一部分が間違いではなかった事に、少しばかりだが満足した。
  あの場所で、男を撃ち砕いた事は、正しかったのだ。一番正しかったのはあの男を生け捕りにし
 て、あの男の力が及ばぬ場所で縛り首にする事だっただろうが、何処の保安官ならば良かったのか
 分からぬあの状況で、その判断は出来なかった。
  もしも、この町の保安官や、それに類する者に引き渡していたなら、きっとあの賞金稼ぎはすぐ
 に大手を振って町を再び闊歩していただろう。あんな小さな店しか襲わない男にどんな利用価値が
 あったのか、それは青年には分からないが、けれどもそれはどうでも良い事だ。
  とにかく不幸中の幸いは、あの男を再び野放しにせず、最後の瞬間に苦痛を味あわせて撃ち落す
 事が出来たという事である。
  だが、それは今は自己満足に過ぎない。
  賞金首を悪徳保安官に引き渡さなかったという事実は、とにかく現状を打破してから喜ぶべき事
 だった。
  強張った保安官の手から金貨の詰まった袋を掴み取ると、青年は今や自分が命を狙われる立場に
 なったのだと腹の底に刻み込んで、皮膚に鋭い視線を感じながら保安官にそれでも背を向けた。





  とある夜、一人の老いた賞金稼ぎが鋭い悲鳴と銃声で眼を覚ました。ここ数日間、奇妙な追跡者
 に悩まされていた老人は、常よりも緊張を孕んでいたから、野宿していた耳に届いた銃声にも素早
 く反応した。
  普通ならば無視して然るべきところではあるが、己に追跡がかかっていた事もあって、放置して
 おくのは危険だと判断したのだ。
  銃を掴むや怒声と銃声と火花が飛び交う方向へと脚を向ける。
  恐ろしい事に、銃撃戦は老人の野営の、本当に眼と鼻の先で起こっていたのだ。
  月夜の下、人間の数は多かった。しかし誰が何を目掛けて銃を撃っているのかは分からない。た
 だ、狩りであるようにも見えなかったし、老人の耳にも狩りをするという噂は聞こえてこなかった。
 だから、これは私刑に近いものではないかと判断したのだ。
  そもそも老人の野営近くで銃を放つなど、危険極まりない。
  老人には、喚く男共を撃ち抜く事に、何ら戸惑いはなかった。
  まず、一発、何一つとして声を発せず、老人は声高に何かを叫んでいる男に、銀色の銃口を向け
 て銃声を轟かせた。
  老人と同じように、声一つ発せずに斃れた男と、唐突な横からの銃声に、男達の動きが一瞬止ま
 った。そこから漂ってきた困惑に、男達がどうやら何か後ろめたい事をしていたのだと判断する。
  続けざまに二人ほど撃ち落せば、困惑が怒りに変わるのが見えた。罵声を上げながら老人にも立
 ち向かってこようとする様は、老人も殺してしまえば良いのだと思っている節があり、やはり男達
 は賞金稼ぎではないのだと知れる。
  それらを次々と撃ち払いながら、やはり賞金稼ぎではないのだ、と思う。
  よほどの事でもない限り、賞金稼ぎが、自分の顔を知らないという事はない。賞金稼ぎの王であ
 る自分の事を。
  ふん、と鼻を鳴らして男達を撃ち落し、やがて夜の下は再び静まり返った。
  死屍累々とした、けれども静かになった世界に満足した老人は、ふと男達の屍の中、動くものを
 見つけた。咄嗟に銃を向ければ、けれどもそれは銃口などどうでも良いのかしなやかに立ち上がる
 と服に付いた砂などを手で払い落としていたりする。
  そして老人を真っ直ぐに見つめると、その黒い眼でにやりと笑った。

 「ああ、案外上手くいくもんだな。」

  微かに南部の訛の残る、しかし西部にあるには酷く端正な声。
  ひらりと服の裾を翻したのはまだ若い青年で、夜と同じ色合いの髪と眼が、夜風にも涼しそうだ。
  その様子を見て、老人はこの男が、と思う。

 「……お前が、俺に付きまとってた奴か。」
 「ああ。まあ、気づいてるとは思ってたけどな。でなきゃ、西部一の賞金稼ぎだなんて言われるわ
  けもねぇ。だから付きまとったんだけど。」
 「何を企んでやがる。」
 「安心してくれよ、企みはもう終わったさ。」

  首を軽く竦め、青年は横たわる死体を見回した。

 「ちょっとばかり性質の悪い賞金首を撃ち落してな。それで、そいつと繋がってた連中に追われて
  た。残念な事に俺はまだ大した力もねぇから、黒幕を撃ち落したところで逆に潰されるのがオチ
  だし、かといって連中を延々撒き続けるのも難しい。」

  だから、西部一の賞金稼ぎの力を、借りたのだ。勝手に。その為に付きまとい、神経を昂ぶらせ、
 最終的には銃声を上げさせた。
  けろりとした顔で言う青年に、老人は再び鼻を鳴らした。

 「知ってるぞ。そうだ、あの保安官の飼い犬を撃ち落したガキだな。」
 「そう、そのガキさ。おかげで最初の獲物の賞金は、あんたの居場所を知る情報と、あんたを追い
  かける馬を買うのに使っちまった。ここ何日間はろくな物も食ってねぇよ。」

     お前、と老人は眉間に皺を寄せた。

 「俺に撃たれるとか考えなかったのか。」
 「あの乱戦で?」
 「違う。」

  銀の銃口が青年を見据えた。

 「此処で、俺の怒りに触れて、だ。」

  途端に、青年が笑い出した。
  心底愉快そうに。

    「銃弾の無駄だろ、そんな事。この荒野で、そんな無駄撃ちするほど、あんたは馬鹿じゃねぇだろ?」
 
     カラカラと笑う青年に、老人は呆れたような眼を向ける。だが、すぐに青年の眼の色を見て、問
 うた。

 「お前、名前は?」

  ふっと。
  青年が何かを考えるような眼をした。
  だが、すぐに小首を傾げて、笑みを湛えた。

   「さて。まだ決めてねぇな。」