日に翳せば銀の宝冠を戴いているような煌めきが灯るほどの黒い髪と、あらゆる色という色を飲
 み込んだかのような黒い瞳を持った青年は、喧噪犇めく煙の籠ったプラットフォームで、その眼を
 ゆっくりと瞬かせた。
  水滴の欠片も見当たらない乾いた風と、鼻先を擽る砂の粒は、知らないものではないが青年にと
 って馴染みのあるものでもなかった。
  列車から吐き出された灰色の煙が立ち退いた後に、頭上を見下ろす空の色も、信じられないほど
 強い。きつい青の空を少しばかり眩しそうに見上げた青年は、けれども初心者の風を為していたの
 は時間にすれば、ごく数秒だった。
  すぐに端正な仕草で身を翻すと、激流を躱す魚のように身をくねらせて、人ごみを掻き分けて駅
 構内へと向かう。
  駅の構内も同じく人ごみで溢れていたが、しかしそれも踊るように擦り抜けて、その土地を象徴
 するかのような、中途半端に空に浮いている両開きの扉――ウエスタン・ドアに手を掛けた。押せ
 ば信じられないほど呆気なく、扉は開く。
  そして、プラットフォームでは屋根の隙間からしか見えなかった、きつい空の青と乾いた砂の味
 が、強い日差しと共に降り注いできた。




 Modo ad Solium




  19世紀アメリカ西部。
  ゴールド・ラッシュの波が寄せては引いていく、欲望やら夢やらが渦巻いては翻弄されていく鋭
 い時代の節目。
  一攫千金や新たな大地を求める人々は、大陸横断鉄道が出来た事で、ますます激しい勢いで乾い
 た荒野に雪崩れ込む。乾いた大地にはそれほどまで大勢の人間を潤すだけの情はなく、その手の中
 に金の一撮みでも手にする事が出来るのはごく僅かしかいないと言うのに、それでも人は新天地に 
 憧れてやって来るのだ。
  そして、彼もまた、そんな新天地に惹かれてやって来た人間の一人だった。
  粗末な、つぎはぎだらけの汚れた衣服を身に纏う三等席の客の波の中、やけに仕立ての良いツイ
 ードに身を包み、酷く綺麗な所作で砂に汚れた扉を開いていく。細い指は日に焼けた事がないのか
 と思うほど白く、働く事を知らない艶やかな爪をしている。
  指と同じくらい白い大理石のように白い顔の中で、端正に揃った目鼻立ちは、嫌でも目に付く。
 唇に湛えられた笑みが、いっそう人目を惹いた。
  これだけを見たなら、行き交う人々は彼を貴族か何かだと思っただろう。或いは、三等席から降
 りてきたところを見て、斜陽した貴族だと。
  荒野には似つかわしくない線の細い男は、一歩間違えれば一瞬で噛み砕かれる。西部とはそうい
 う荒くれた土地だ。治安は決して良くないし、司法が正常に機能しているかと言われればそうでは
 ない。それでも人がこの地にやってくるのは、新天地に惹かれたから以外に、かつての土地に住ま
 う事が出来なくなったという理由がある。
  斜陽貴族もその一つだ。
  そして斜陽貴族の全てが、上手く西部に馴染めるかと言われればそうではない。貴族である誇り
 を忘れられなければ荒野では浮くだけだし、その細い腕は先にも述べたようにあっという間に砕け
 る事だってある。
  ただ、斜陽貴族かと見られた青年の腰には、彼の属性が一体何なのかを示す、黒光りする銃が異
 質な存在感を放っていた。青年の白い指には圧倒的に似つかわしくない厳めしい銃は、しかし青年
 の親指の腹で時折なぞられて、鈍く煌めいている。
  むろん、銃を持つ者は、少なくない。
  むしろ、銃を持っているのが、この成長過渡期である国家に住まう者の特有であった。
  けれども、それでも、まるで己が何者であるかを主張するかのように、これ見よがしに銃を持っ
 ているという事はあまりない。
  そんな事をするのは、司法の番人である保安官か、或いはその対極にいる無法者か、もしくはそ
 の中央に坐している賞金稼ぎか。
  いずれにせよ、この銃を見せつけている青年は、それによって西部を登り詰めようとしているに
 間違いがなかった。口元に湛えられた笑みが、はっきりと自分がどんな道を歩むのか、それを成し
 遂げられるという自信がある事を示している。
  ウエスタン・ドアを押し開いて、ざくざくと塗装されていない細かい砂が旋毛を巻いて不思議な
 文様を作る大通りに降り立つ。
  馬車が行き交い、無秩序に乱立する屋台の隙間に、人々が屯している。そこから出てくる音の出
 所を突き止めるのは、酷く困難であろう事は誰にでも分かる。時折零れてくる人々の噂話に、気に
 なる単語が混ざっているが、だがそれが何を意味しているのかまでは分からない。
  砂塵混じりの噂話を聞き流しながら、青年の白い手は同じように砂が塗された家々の壁を撫でて
 いく。触れられるたびにぱらぱらと零れる砂粒は、あっという間に何処かに紛れてしまった。
  やがて、壁をなぞっていた青年の指がふと、別の感覚を見つけて立ち止まる。
  粗末な紙に無理やり荒く印刷された写真。どうやら男の顔を印刷したそのポスターは、男の顔の
 下に、荒っぽく金額を印刷してある。そして、生死問わず、と。 
  一体何をやらかしたのか。
  お世辞にも麗しいとは思えない男の人相に、青年は端正な顔を少し歪めて片頬だけで笑いかけた。
 薄く唇を開いた笑みは、途端に口の端から青年の犬歯を覗かせ、青年の表情を一瞬にして肉食獣め
 いたものに変貌させた。
  それは青年にとっては普通の笑みであったのかもしれないし、青年の内面を抉り出した笑みであ
 ったのかもしれない。ただ間違いがないのは、青年がこの時、この西部でどうやって生きていくか
 をはっきりと定めた瞬間でもあった。
  まだ若い、頬の丸みには幼さが描きこまれているが、だが犬歯を覗かせた笑みは青年が酒の苦味
 を知り尽くしているような深淵を思わせた。深淵に似た笑みに笑い掛けられた人相書きは、瞬間、
 青年の手によって壁から引き剥がされて、青年の手の中で丸まっていく。
  その様は、人相書きの男の末路のようにも思えた。
  手の中で男の写真を転がしながら、青年はふらりふらりと情報が集まる場所を探す。酒と葉巻と、
 女で濡れた場所が情報の元になるのは古来から決まりきった物事であり、青年もそれを踏襲する事
 にしたのだ。
  勿論、それによって自分の顔が誰かに覚えられる事も見込んでいたし、顔を覚えられる事による
 不利益も、勿論青年は悟っていた。
  また、それと同じくらい青年は自分の体躯が誰かを魅了するには十分である事も知っていた。己
 の為に、己の外見を見せつける事になど、何ら戸惑いはない。
  勿論、外見に惹かれて、自分に駒がよりつけば良いとも思っている。
  だから、多少の不利益が生じても、誰かに自分の事を覚えてもらうのは重要だった。
  緩やかに今後の計画を立てながら、青年は計画が夢物語にならぬようにと銃をなぞり、煙の濃い
 サルーンの一画へと脚を向けた。