8.横断歩道




 ランニングとは自分との闘いである。

 如何に己の力の限界を知り、力の配分を考え、決して調子に乗って力を出し過ぎてはいけない。

 己の力を過信し、最初に力を出し切ってしまえば、後はふらふらと倒れるしかない。

 日勝はその事を知っており、それを十分に知る事ができるランニングを最もよいトレーニングとし
 
 て好んでいた。

 
 だが、今、日勝は力の配分を考えるはずのランニングで、どうしようもなく猛烈に力を出し切って
 
 全力で走っていた。

 ゴールはまだまだ先である。しかし、両腕を無意味に振りかぶって、足が一歩出る間に三回くらい
 
 腕を振って、走っていた。
 

 日勝が眼を血走らせて見る先には、一つの縞模様があった。

 そして、ゼブラゾーンの行く先には、命が潰える危機を知らせるかのように点滅する青いランプが。

 何の事はない。

 単に、歩行者信号が青から赤に変わろうと、点滅しているだけの話である。

 しかし日勝は知っている。ここの信号が、一旦赤になったら次に青に変わるまで、裕に2分はかかる
 
 事を。

 
 たかが2分。
 
 されど2分。

 なにせ、正義の味方である某宇宙の彼方からやってきた宇宙人が、3分で怪獣を倒せるご時世である。
 
 ならば、2分で一体どれほどの事が出来るだろうか。

 スクワットは間違いなく500回以上できる。

 腕立てならば1000回は出来る。

 背筋ならば2000回。

 反復横飛びならば4000回………。

 もはや本当にできるのかどうかも疑わしいレベルの妄想を繰り広げる日勝は、凄まじい形相で横断
 
 歩道目掛けて疾走する。

 ふぬおおおお!とかいう形容しがたい気合のこもった叫び声を上げて。


 だが。


 あ、変わる!

 
 眼の前で、信号が赤から青に変わった。

 しかし此処まで来たからにはもう止まれない。

 急ブレーキは事故のもとって言うしな!

 そう腹の底から本気で思って、日勝はダンプカーの前にダイブする。

 が、その前に黄色い帽子を被った子供が二人、ちょこんと大人しく、清く正しく信号待ちをしてい
 
 るではないか。

 その姿に、心も最強を目指す日勝の善なる心が動いた。


 ふっ……そうだ。

 心も最強になるんなら、信号待ちの一つや二つ耐えて見せねぇとな……。


 カッコよさげに心中で呟いた台詞は、一般市民なら守って当然の法律の事である。

 しかしそんな自分にとって都合のよろしくない事は完全に脳内から追い出せるという羨ましい限り
 
 の思考回路を持つ男は、安全帽を被る幼児達と共に信号待ちをするのである。


 戦士にも休息は必要だ。

 信号待ちの間、そんな事を呟き、子供達に不思議そうに見上げられていた事を日勝は知らない。