7.霧の濃い朝






「嘘だろ!?」


 叫んだ男の声は、なんというか絶叫に近かった。



 
 北部の朝は冷える。

 特に凍えた日は、空気中に浮かぶ水分でさえ凍りついて肌を刺す。

 降り積もった雪の白さと、掴みどころのない刺のような霧の白さに挟まれて、人間は小さく身を縮
 
 めるしかない。

 木々の生い茂る田舎ならば、そこに住まう野生の動物達も、眠りの中に沈んでいく。

 
 しかし、身を縮めていても人間は野生動物とは違う。

 彼らのように脂肪を着けて春までまどろむことはできない。

 吐く息の白さが外の世界の白に混じるような朝でも眼を覚まし、爽やかさとは対極にある空気の中
 
 を動かねばならない。


 まして、サンダウンは一人身だ。

 両親は昨年亡くなり、かといって親戚達に身を寄せるほど幼くもないし、身を寄せられるほど親し
 
 い者達がいるわけでもない。
 
 仲が悪いわけではないが、こと無愛想を絵に描いたようなサンダウンには好んで誰もお節介をかき
 
 たがらない。

 それに、北部の男は別に女に頼らずとも多少は一人で生きていくだけの知識も技術も身につけてい
 
 るものだ。

 そんなわけで、大した苦労もない為、サンダウンは一人暮らしを謳歌しているわけだ。

 
 だが、だからといってサンダウンは自堕落に暮らしているわけではない。

 一人暮らしというのは意外とする事が多い。

 本来男がするべき仕事に咥え、食事の準備は勿論、洗濯やら掃除やら瑣末事を毎日毎日片付けてい
 
 かねばならない。

 それは、外が文字通り真っ白な日も例外ではない。

 
 ひとまず、日課の水汲みを済ませようと思い立ち、サンダウンはむくむくとしたコートを着て、猟
 
 銃を右手に、バケツを左手に持ち、のそのそと雪の中に一歩足を踏み出した。

 その瞬間に、びゅおっと音がして木枯らしというには凶暴すぎる風が吹き込んできた。

 氷の塊のような風を直接肺に取りこんで、サンダウンは眉間に皺を寄せた。


 寒い。


 水汲みなんぞ、そのへんの雪を溶かして代用するか、という思いがちらりと頭を掠めた。

 そしてそれは寧ろ余りにも画期的なアイデアのような気がした。

 見たところ誰も踏みつけてなさそうだし、沸騰させてしまえば、この時分常に凍りついている湖の
 
 氷と大差ない。

 人間として当然の横着ぶりを発揮して、サンダウンはざくざくと雪をバケツの中に掬い始める。

 それほど大きくもないバケツは、2,3回雪の中に突っ込むだけで、直ぐに満杯になった。

 これでよし、と思って顔を上げると、真っ白な世界にぽつりと黒い点が落ちている。

 そこだけ真っ黒な点にサンダウンは怪訝な眼差しを向けた。

 
 あんな所に、何かあったか?
 
 
 不信感を持って近付いた。

 次の瞬間、ぎょっとした。

 見下ろしたそれは、北部では珍しい上等の黒のジャケットと、それに身を包んだ人間だった。

 そしてその人間の髪が、ジャケットの黒よりも何よりも黒く、白い世界に亀裂を刻んでいる。

 生きているのか死んでいるのか、眼にして認識してしまえばそれさえも飛び抜けて強烈な存在感を
 
 放っている。

 なんだ、これは。


 閉じた瞼の一本一本でさえ、世界中の黒を固めて削り出したかのように黒い。

 その周囲を囲う肌は、対照的に雪に埋もれそうなほど、白い。

 その中で、唇が薄く赤く色づいている

 ほんのりと灯った色味に、サンダウンは思わず手を伸ばした。

 
 がさり。

 
 触れる直前で見開かれた眼と、跳ね上がった上半身。

 覗いた眼の色が、これまた深い黒で、サンダウンは息を呑む。

 だが、その静謐さとは打って変わって、赤い唇が零したのは些か上品さに欠ける言葉だった。


「雪?!またかよ?!なんで?!」


 愕然とした声を吐き出してから、彼はサンダウンに気付いて視線を上げる。

 みるみるうちに膨らんでいく黒い眼。

 唇は歪にぽかんと開いている。



 そして、言葉は冒頭に戻る。