8.たった一度の恋だった







    何かを叩き割るような凄まじい音がして、どっと入口という入口から屈強な男達が雪崩れ込ん
   
 できた。
 
  老師は何処だと口々に叫ぶ彼らが、一体何者なのか、ユンには分からない。ただ分かる事は、彼
  
 らが決して温厚な存在ではないという事だけだった。

  彼らは、ちっぽけで所々不具合が生じ始めている修行場を、更に痛めつけようと足音高く叫んで
  
 いる。

  その太い腕が伸びてきて、ユンの胸倉を掴んで引き摺り回す。首が締まり、息苦しさに眼が霞ん
  
 だ。男達は何事かを怒鳴っているが、耳の奥がわんわんと反響するばかりで聞き取れない。仮に聞
 
 き取れたとしても、呼吸さえ阻まれた喉からは、一言も声は零れなかっただろうが。

  しかし、そんな役に立たない耳に、澄んだ音がはっきりと響いた。



 「止めなよっ!」



  凛とした声は、ユンの良く知るものだ。

  次の瞬間、激しい衝撃と共にユンの身体は地面に投げ飛ばされた。同時に口の中に空気が一気に
  
 押し寄せ、激しく噎せた。

  だが、そんな事をしている場合ではない光景が眼の中に飛びこんできた。

  ユンを取り落とした男が床に倒れており、その前には昂然と顔を上げた少女が瞳に怒りを灯して
  
 立っていたのだ。そしてその周りには、ぞくぞくと屈強な影が集まっている。


 
 「レ、レイさん、逃げて!」



  立たぬ足腰を鞭打って、未だしこりの残る喉を行使して、ユンは叫んだ。

  自分達は、いくら訓練を受けたからといってもまだ弟子の域を出ない。こんな、どう考えても自
  
 分達の何倍も修行をつんできたような連中とは、まともにやり合えない。
 


  けれども分かっている。

  あの少女はそんな理由では、敵の前から逃げたりしない事も。ようやく様になり始めたばかりの
  
 構えで、立ち向かおうとしている。



 「レ、レイ、ユン!逃げるっチ!」



  これから起こる惨状に顔を引き攣らせていたユンのもとに、酷くうろたえたような声が、けれど
  
 もしっかりと割り込んできた。

  サモの巨体が今にもレイに襲いかかろうとしていた男を撥ね飛ばしたのだ。

  だが、それはたった一人だけへの攻撃に過ぎず、まだ数多く残る男達は次々とサモを蹴り飛ばし
  
 ている。



 「サモ!」



  救出に向かおうとするレイに、男の鋭い膝蹴りが入る。大きく眼を見開き、口から大量の空気と
  
 唾液と胃液を零してよろめく少女の身体に、容赦なく拳がめり込む。


 
 「や、止めてください!」



  床にくずおれて動かないレイを見て、ユンはまだレイの身体を足蹴にしている男の腰に縋りつい
  
 た。これ以上、少女の身体が痛めつけられているのを見てはいられなかった。まだ細い、女の匂い
 
 の乏しい身体だ。今にも折れそうな身体が鈍器で殴られるかのような音を立てて甚振られてる様は
 
 見ている事さえ残酷だ。

  

 「ぼ、僕が貴方達の相手になります!」


 
  必死に叫ぶと、男達の間から笑い声が聞こえた。
  
  同時に、背中に骨が折れるような衝撃が襲ってくる。

  もはや動かないレイには興味を示さず、まだ動いているユンに矛先を変えたらしい男達に、ユン

 は背中に襲い来る衝撃につんのめりながらも、これで良いのだと思う。

 
 
  レイは女性だ。

  こんなふうに傷つけられるべきではない。
 
  本当ならばもっと着飾って、もっと色んな楽しみを知っているべきだったはず。
 
  それができないのなら、せめて傷がつかねば良い。


  
  一撃、二撃。


  
  血の匂いを帯び始めた痛みに、ユンは意識が途切れ始める。

  血の匂いを嗅ぎ、床に倒れて動かないレイを見ながら、ユンは骨が折れたりしていないだろうか、
  
 と思う。或いは、後になってしまうような傷が。

  今でも頬に大きく傷が残っている。それを実は気にしている事を、ユンは知っていた。

  ならば、これ以上傷が残らねば良い。



  どうかどうか、



  それが、最期の記憶だった。