5.花火のような恋だった







 
  どうして、という疑問は、実はあまり考えた事がなかった。

  多分、心の根底にありすぎて、意識する必要もなかったのだろう。


  呼吸する事と同じで。


  ただ、呼吸はある一定の限界に来ると、苦しさを伴ってはっきりと存在を主張し始める。

  激しい鼓動と、掠れた喉の音で、身体を苛む。

  それと同じように、その疑問はふとした瞬間――心が弱っている時に浮上してくる。


  どうして、この道を歩き続けているのか、と。


  日勝が格闘技の道を選んだ理由は、誰も知らない。

  以前は訊いてくる人間もいたのかもしれないが、その度に適当な事を言ってきて、そして今では
  
 訊いてくる者はいない。

  別に、説明が面倒くさかったわけではない。

  ただ、自分にとっては当たり前の事すぎて、いちいち言う必要もないと思っていたのだ。

 
  勿論、そんなわけはなく、自分の事が他人にわかるはずがないのだが。

 
  日勝がもうほとんど意識しなかったそれを思い出したのは、大きなスランプに陥っていた時の事
  
 だった。

  トレーニングをしてもトレーニングをしても、いまいち集中力に欠け、結果も出ない。焦りばか
  
 りが募って、けれども身体が追いつかない。身体のペースはあっと言う間に乱れ、自分で自分の動
 
 きが分からない。

  酷い状態だった。

  あちこちで、もう無理じゃないのかと囁かれ、最初の内はあったそれを跳ね除ける力もそのうち
  
 薄れ、自分でも駄目かもと思い始めた、ちょうどその頃だった。


  たまたま、とある居酒屋で、昔の格闘技を録画した番組をしていたのだ。

  女レスラーが、戦い合う番組だった。

  ノイズの酷いブラウン管をぼんやりと眺めて、あっと思った。

  この一戦を、自分は知っている、と。


  身体にぴったりと張り付く赤い服を着た女は、隆々とした筋肉を見せている。

  対照的なのは、対戦相手である青い服を着た女。上背はあるものの、格闘家からしてみれば、頭
  
 を抱えたくなるほどの細い身体。 

  その身体が、汗を散らしながら戦っている。

 
  思わず、手を握り締めた。

  それは、まだ幼い日勝がしていたのと同じ動作。

  日本人には判官贔屓といって、弱そうな方を応援したくなる真理があるらしいが、幼い日勝もま
  
 さにそれだった。

  長い髪を揺らしながら戦う細い女戦士を、握り拳を作って必死になって応援していた。

 
  そして長い戦いの末――時間ぎりぎりで、女戦士は相手戦士を打倒した。

  細い腕で、押し倒し、動きを封じ込めた。

  湧き上がる歓声の中、立ち上がって誇らしげに手を挙げる彼女の姿に、見惚れた。


 
  そう、その必死に戦った者が見せる美しすぎる立ち姿に、日勝は全てを決意し、この道を選んだのだ。



  ただその後、日勝が彼女の試合を見る事は二度となかった。

  幼い心を鷲掴みにした戦いを最後に、彼女はリングを降りたのだ。




  ノイズの音が聞こえる中、ぼんやりとその時の事を思い出す。

  あの時の興奮、熱気、そして決意。

  心の底で横たわっていたものが、じわりと滲みだしてきた。

  それは忽ちの内に奔流となって身体の中に駆け巡る。


  自分は、彼女と同じ、あの時のような一瞬の熱を求めて此処まできたのだ。

  その想いが今、体中を駆け巡っている。   
 

  日勝は大きく頷いた。

  そして、ごちそうさん、と店主に告げて千円札をカウンターに放り投げた。