2.偶然がくれた恋だった







 夢にも思わなかった事が起きて、決して混じり合わない出会いがあって、

 けれども恋をするのは必然だった。



 
 奇妙に歪んだ声と共に、いつも見ているごみごみした風景が、突如白く色のない世界へと変貌した。

 広がるのはくすんだ景色ばかり。

 生命の気配のない、歪んだ魂の木霊しか行き来しない世界で、自分と同じく別世界から飛ばされてきた彼女に出会った。



 
 アキラは思春期真っ盛りの少年だ。

 性にも恋にも興味がある。

 けれど、性の対象者は妙子がいるけれど、彼女は恋愛の対象者にはならない。

 今は亡き男を思う彼女は、とてもではないがアキラを見てくれる可能性はなく、

 また、アキラにもそんな眼で見る事は出来ない。

 そしてその他のチビッコハウスの面々は、アキラよりも幼く彼と対等に心の遣り取りが出来るような

 相手ではなかった。

 一度街に赴いてみても、アキラの喋り方と行動、様相がそうさせるのは、アキラは大人を困らせる少年でしかなく、
 
 同世代の女の子達からは敬遠されるばかりだ。

 
 もちろん、言い寄って来る少女がいないわけではない。

 だが、それは所謂性に早熟な少女達で、アキラを恋愛の対象ではなく、性の、酷い場合はある種のステータスとしてしか

 見ていない。

 外見から不良扱いされる事の多いアキラだが、妙子の教育と松の指導のおかげか、少女とそういう関係になるには

 愛が必要であると、実は物凄く古風に、真面目にそう思っている。

 その潔癖さ故、アキラは今まで誰一人として『彼女』というものを作った事がなかった。


 そんなアキラが、自分と同世代の、まだ女の匂いの乏しいレイに出会って、そのまま恋に落ちる事は

 決して予想できぬ事ではなかった。

 しかもレイはアキラの姿を見ても敬遠する事はなかった。

 初めて出来た女友達は、瞬時に恋愛対象となった。


 少年のような面影が残る顔も、丸みに乏しい身体も、もっともっと知りたいと思うし、もっと近付きたい。

 何よりも、深淵に深い悲しみを湛えながらも鋭く光輝くその心の中に、入り込みたい。

 その中に自分の居場所はあるだろうか。

 その中に自分の心を置いてくれるだろうか。


 人の心を読むのはアキラにとっては造作ない事だった。

 今まで、妹のカオリの心でさえ平気で読んできた。

 けれど、今、レイの心を読む事が掛け値なしに、怖い。
 

 レイの心の中に、アキラが立ち入る隙間がなければ、アキラ以外の人間が既に確立されていたら、

 アキラの事を嫌っていたら。

 そんな覚悟、出来るはずがない。

 

 けれど、それよりも、もっと覚悟しなければならない事がある。

 

 降りしきる雪の中で、レイが茶色の髪を振り解いて天を仰ぎ見ている。
 
 雪が、彼女の髪を装飾する。

 飾り気のないレイには、それだけで十分に彩りとなる。

 その姿がもうすぐ見れなくなる事を、アキラは痛いくらいに自覚していた。

 この邂逅は、魔王の嘆きによって生まれたものだ。

 魔王の悲鳴が途絶えれば、自分達は離れ離れになるしかない。

  
 レイがこの世からいなくなるわけではない。

 アキラは既に、永遠の別離を知っている。

 けれど、それよりも、いずれくる別れが、辛い。


 その別れが来る前に。

 この想いを告げてしまおうか。

 だがそれによってレイを苦しめるのは本意ではない。

 

「あれが、魔王って奴がいる山だね。」


 雪に濡れた髪を掻き上げながら、レイが濁った色の山を見上げて呟いた。
 
 聳え立つ山は切り立ち、底知れぬ息吹を噴き上げている。

 そこから聞こえてくるのは、風鳴ともつかぬ魔王の嘆きだ。

 そしてそれは、はっきりとアキラに別離の時間が迫っている事を告げている。

 
「いくよ。」


 茶色の髪を払い、少女は凛として、アキラの心の痛みなど飛び越えるかのように別れの為の一歩を平然と踏み出した。
  
  

   
 

 あの山の頂上に辿り着いたら、とアキラは思う。
 
 そこには永遠の別離が待っている、と。
 
 この偶然が終わり、現実が再び始まる。
 
 これは、夢だったのだ。
 
 そう思うくらい、普通の日常が、また始まるのだ。
 
 
 
 だからせめて夢だというのなら。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 彼女の事は全て忘れさせてくれ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 いいや、全て、覚えさせておいてくれ。
 
 声一滴、視線一筋、決して忘れないように。