マッドはサンダウンにすりすりしていた。
  マッドとしてはサンダウンにすりすりしているつもりはない。
  マッドは、主に髭に対してすりすりしているのだ。。

  
  

  シェービング

 




  マッドが、サンダウンの膝の上に乗っかって、身体をサンダウン全体に寄り掛からせるようにし
 て、サンダウンの髭に擦り寄っている。
  最初は頬擦りしていたのだが、途中で痛いと言い始めて、今現在はもっぱら手で髭を弄んでいる。
 指に絡めたり引っ張ってみたりと、非常に楽しそうに、興味深そうにサンダウンの髭で遊んでいる。
  一体、何がそんなにマッドの琴線に触れるのか、さっぱりわからないが。
  それよりも、賞金稼ぎが賞金首の膝の上に乗っかっているという状況も、奇妙と言えば奇妙だ。
  マッドは賞金稼ぎの中でも特異な存在で、サンダウンに対しても決闘を申し込んでくる事以外で
 は、普通にまるで親しい何かのように話しかけてくるし、一緒に酒を飲んで夜を明かした事や、寒
 波の末に偶然辿り着いた小屋で、ぴったりと身体を寄せ合って眠った事もあるから、多少のスキン
 シップくらいでは、驚いたりしない。
  ただ、一緒に廃屋で一晩過ごす事になった夜、とりあえず鍋でシチューを作って、それを腹の中
 に納め終った後、賞金稼ぎが賞金首の膝の上に座って、しかも身体を投げ出すように凭れかかって
 くるというのは、やはり少しばかりおかしい気もした。
  その上に、更にサンダウンは、マッドに髭を弄られているのだ。
  ヒーゲ、ヒーゲ、と言いながら、サンダウンの髭を突いているマッドは、他の賞金稼ぎや賞金首
 には見せられない。

 「伸びたなあ、髭。」

  マッドは、サンダウンの不揃いの髭を引っ張りながら呟いている。
  前に見たときよりも伸びてるぞ、と言うマッドに、サンダウンは当たり前だろう、と思う。髭が
 伸びるのは当たり前の事象であるし、以前マッドに逢った時から髭を剃っていないのだから伸びて
 いて当然だ。
  もともとサンダウンは髭が伸びやすい。そう言えば、若い頃から髭は一人前に伸びていたな、と
 思い出す。そしてそれは今でも変わっていない。何があろうとも、髭だけは毎日しっかりと成長し
 ているような気がする。
  一方のマッドはと言えば、つるりとした肌をサンダウンの目の前に曝していた。白い頬にも、筋
 の通った鼻の下にも、形の良い顎にも、マッドの髪の色と同じ色であるはずの髭は、全く見当たら
 ない。
  というか、剃り跡さえ見当たらないとはどういう事だろうか。白い肌で黒い髭ならば、間違いな
 く剃り跡が目立つはずなのに。一体どういう髭の剃り方をしたらそうなるのか。
  目の前でふらふらと動くマッドの頬を、思う存分に見ながら、サンダウンは宇宙の神秘の一端を
 垣間見たような気がした。

    「つーかさ、あんた、なんで髭を剃らねぇわけ?」
 
     マッドの言葉に、お前だって剃ってないじゃないか、と反論しかけ、サンダウンはそういえばこ
 うやって一夜を共にした次の朝、マッドが髭を剃っているのを見た事がない事に気づく。そして、
 それでもマッドの肌はつるりとしていた事を。
  神秘の深みを見たような気がしているサンダウンに、マッドは不揃いなサンダウンの髭を、繊細
 な掌でじょりじょりと擦っている。

    「そりゃあ、髭を伸ばしてる男は多いぜ。でもさ、伸ばすんならきちんと整えろよ。女の髪と同じ
  で、髭だってちゃんと整えねぇと意味がねぇんだぜ。身だしなみってのは、どんな状況であろう
  と大切なんだからな。」

     人目を避けるように生きる賞金首に、そんな事を言われても困る。
  お洒落で派手好きなマッドにとっては、確かに身だしなみというのは、生活の重要点なのかもし
 れないが、サンダウンにとって身だしなみなんてものはもはや意味を為さないものだ。いつ死んで
 も良いと思う人間が、自分の着ている服や、靴、まして髭なんてものに気を遣うわけがない。
  だが、それはマッドには理解できない考えのようだ。

    「明日、ちゃんと斬ろうぜ、髪も、髭も。何も全部切り落とせって言ってんじゃねぇ。伸びたとこ
  だけ切って、揃えようって言ってんだ。」

     それだけでも、サンダウンにとっては面倒臭い事この上ない。
  というか、マッドは髭がある事の面倒臭さを知らないんじゃないのか。そのつるっとした肌は、
 もしかして一回も髭が生えた事がないんじゃないのか、だから剃り跡がないだけか、そうなのか。
  正直なところ、もしも人生で一度も髭が生えた事がないと言うのなら、サンダウンとしては大い
 に羨ましいのだが。
  ただ、野生の本能がそれをマッド本人には言ってはいけないと警告したので、サンダウンは口を
 閉ざす事にした。
  ヒゲ、ヒゲ、とご満悦でサンダウンの髭を引っ張っているマッドに、少しでも水を差そうものな
 ら、この食欲が満たされた後の何とも言えない充実した倦怠感を放り出して、決闘だ!と騒ぎ出し
 かねないからだ。サンダウンは、そんな老骨――というような年齢にはまだ早いのだが――に鞭打
 つような真似はしたくない。
  ただ、サンダウンとしては髭を毎日整えるなんて面倒な事は、やっぱりしたくないわけで。例え
 マッドのお願いであっても――マッドが毎日整えてくれると言うのならともかく、荒野で出会う回
 数は半端なくても一緒に暮らしているわけではない以上、それはない――面倒臭いものは面倒臭い。
  というか、それならいっその事。

 「全部、剃ってしまうか………。」 

  防御力は下がったような気分になるかもしれないが、ならば当分の間は髭を整えたりとかそうい
 う事はしなくてもいいのではないだろうか。
  生えかけの髭というのが、かなり見苦しいものであるという事実を無視して、サンダウンは呟い
 た。
    途端に、満足げに髭を撫でていたマッドの手が、ぴくりと止まる。更にあっという間に身に纏う
 空気が変貌する。そう、例えば決闘する間際の空気に。
  白い米神がひくりと動き、サンダウンを上目遣いに睨み上げる黒い眼差しが、はっきりと殺気を
 浮かべている。
  何事か。
  あまりの変貌ぶりに、呆気に取られているサンダウンに、マッドは獣の唸り声のような低い声で
 吐き捨てた。

 「てめぇ……。この俺様に、髭のないてめぇを、追いかけろって言うのか。」
 「……………。」

  髭。
  髭のあるなしは別に賞金には関係ないだとか、髭がなくなったからと言ってサンダウンが別人に
 なるわけがないだとか、そんな一般常識を口にするには、マッドの眼は恐ろしいほど真剣だった。
  そして、サンダウンが、マッドにとっての自分の価値が、果たして何処にあるのかが分かった瞬
 間だった。