クレイジー・バンチが壊滅し、サンダウン・キッドが去った翌日のサクセズ・タウンにて。
  クリスタル・バーの看板娘にして、サクセズ・タウン唯一のうら若き乙女アニーは、今は中身の
 ない厩の前を、箒を持って掃除していた。
  掃いても掃いても砂埃は湧き上がってくるのだからあまり意味はないし、そもそも客自体が町の
 男連中しかいないので掃除なんてする必要もなさそうなものなのだが、しかしいつ来るとも知れな
 い、遠い町からの客の為に、せっせと掃除をする。
  その掃除の最中、埃っぽい厩の片隅に、小さな染みを見つけた。
  使う事のない厩に、いつ、誰かそんな染みを付けたのかは分からない。けれども、赤黒いその染
 みは一見しただけで血であると知れ、その固まり具合から、流されてから一日と経っていないよう
 に見えた。
  だが、一体、こんな厩で誰が血を流すと言うのか。誰も来る事のない厩に。
  思って考え直した。いや、そう言えば昨夜、この町の人間でない賞金首と賞金稼ぎが、町中をひ
 っくり返して、罠に使えるものを探していたではないか。
  彼らが、此処を訪れたと考えるのは、そう難しくない。




  Night of Trap





  昨日、嵐のように現れたのは、壮年の賞金首とそれを追いかける若い賞金稼ぎだった。
  賞金首のおっさんは銃の腕以外に特筆すべき点はないので置いておくとして。若い賞金稼ぎを見
 た途端、酒場に屯していた若者達が色めき立ったのは、多分当の賞金稼ぎ以外全員が気付いただろ
 う。
  サクセズ・タウンには、ゴールド・ラッシュの引き波とクレイジー・バンチの襲撃により、アニ
 ー以外の若い女というものがいない。そもそもアメリカ西部の荒野自体に女の数が少ないのだから、
 田舎のうらぶれた町など、女がいる事自体が奇跡だ。だから、西部では男同士で欲を満たす事が多
 い事の御多分に漏れず、サクセズ・タウンの若者達も流石に狭い町なので互いで欲を満たす事はな
 いものの、若い女だけでなく男も欲望の対象として見る事があった。アニーの兄のように、踊り子
 のポスターで慰めるという例外も、あるにはあるが。
  とにかく、そんな中に現れた若い、しかも美人の賞金稼ぎに、男共が色めき立つのは当然と言え
 ば当然だった。もしもこの賞金稼ぎが、賞金稼ぎでなかったなら、誰かに食べられていたのではな
 いだろうか――いや、そんな根性は、サクセズ・タウンの男にはないか。それに、賞金稼ぎが賞金
 稼ぎ以外の何かに変化するわけもなく、誰も黒髪の賞金稼ぎに手が出せず、指を咥えたまま黙って
 見ているだけだったのだ。
  ただ、唯一、賞金稼ぎに手を出す事が出来たのは、特筆すべきところのなかった賞金首くらいだ
 った。
  一応、5000ドルという大金が首に懸けられている賞金首は、このだだっ広い荒野を駆け抜けてき
 て久しぶりの女っ気であるアニーを見ても、眉一つ動かさなかった。その理由は、すぐ後に現れた、
 件の美人の賞金稼ぎにあったのだろう。そうアニーは踏んでいるし、サクセズ・タウンの男共もそ
 う思っている事だろう。
  実際、アニー達にクレイジー・バンチ討伐を頼まれた後、あの二人はずっとくっついていた。罠
 を探す為にサクセズ・タウンをひっくり返したのだが、罠探しなど冷静に考えれば二人くっついて
 行う必要もない。むしろ手分けしたほうが、早いだろう。
  が、何故があの二人はずっとくっついていた。
  決闘なんていう命懸けの事をした昼間とは裏腹に、ぺったりとくっついていた。というか、サン
 ダウンのほうが、やたらとボディ・タッチが多かったような気がする。マッドがずっと喋り倒して
 いた所為で霞んでいたが、身体に触れる割合は、圧倒的にサンダウンのほうが多かった。大体、マ
 ッドを呼びとめる為に、何故マッドの顎を掴んで振り返らせる必要があったのか。普通に名前を呼
 べば良いだろう、普通。
  だから、絶対にデキてる、なんて言われるのだ。男共に。サンダウンにはそういう意図があった
 のかもしれないが、マッドの方にはそういう意図はなかったように思う。しかし、それでも顎を掴
 まれる事に何の違和感も抱かないとはどういう事か。慣れているという事か、そういう事か。だが、
 顎を掴まれる事など、一般的には起こらないだろう。つまり、普段から、サンダウンはああいうふ
 うにマッドに触れているという事か。
  そして、二人でいちゃつきながら罠を探し、厩に入り、血を流した、と。
  一体、本当に何をしでかしたのか、あの二人は。よもや、決闘の続きをしたはずがない。銃声も
 聞こえなかったし、あのいちゃつきっぷりから言っても決闘なんて殺伐としたものに雪崩れ込むは
 ずがない。
  あのいちゃつきから考えて、雪崩れ込む事態と言えばそんなものは。
  考えて、アニーはそこで思考を止めた。
  まさか、ね。
  いくらなんでも、そんなはずはあるまい。賞金首と賞金稼ぎは確かにならず者に近いが、いくら
 なんでも、いつ誰が来るとも分からない厩で、いちゃついた挙句の果てに事に及ぶなんて、そんな
 事はしないだろう。
  あの二人は、この町を救った英雄だ。そんな、無節操な事をするはずがない。特にサンダウンが、
 マッドを襲って厩で無理やり身体を開かせたりとかそんな事。
  アニーは自分にそう言い聞かせ、乾いた砂の上に落ちた数滴の血痕を、ばさばさと箒ではたいて
 掻き消した。






  昨夜。

 「マッド、何処へ行く。」

  密やかにサンダウンから離れていこうとする賞金稼ぎを見咎めて、サンダウンは少し声を荒げた。
 久しぶりに長時間、しかも町を守るという大義名分のもと人目も憚らずに一緒にいられるのに、マ
 ッドは何故かサンダウンから離れようとしている。
  こそこそと長らく誰も使っていなさそうな厩に向かうマッドは、サンダウンの声にしかめっ面で
 振り返った。

 「んだよ……。」

  声も、少し機嫌が悪い。
  だが、その声には自分が貞操の危機にある事に気付いている節はない。マッドは、自分がこのう
 らぶれた町で色気を放っているなんて微塵も思っていないのだろう。そしてその色気に、女っ気の
 ない男共がやられてしまっている事にも。  
  サクセズ・タウンの男共に、マッドを襲うなんて大それた事が出来るとは思わない。
  が、万が一、という事もあるのだ。万が一、抑圧されていた彼らが爆発して、マッドを押し倒し
 たり、そんな事をしてしまったら。それが起きてからでは遅いのだ。
  が、マッドはむっつりとした表情をしてる。

 「着替えたいんだよ。」
 「何?」
 「あんたと一緒に馬糞を運んだ所為で、臭うんだよ。だから着替えたいんだ。」

  馬糞の臭いがするから厩でこっそりと着替えると言うマッドに、サンダウンは言葉を失いかけた。

 「……ばふん。」

  そんなものの為に、自分の貞操を危機に曝したいのか、お前は。
  マッドにしてみれば、サンダウンの言葉も如何なものなのだが、幸いにしてサンダウンはそれを
 口にする事はなかった。

 「だが、何も、厩で。」
 「うるせぇな。あんたと二人でどっかの部屋に籠ってみろ。変な噂を立てられるかもしれねぇじゃ
  ねぇか。」
 「……………。」

  厩もどうかと思うが。
  それに、別にサンダウンとしてはそれくらいの噂が立ったほうが、と思わないでもない。そのほ
 うが、マッドに手出ししようとする輩は減るだろうから。
  というか、サンダウンから離れて一人で着替えるという選択肢はないのか。いや、サンダウンが
 離れないから、最初からその選択肢はあってないようなものなのだが。
  サンダウンの心の声など聞こえるはずも無く、マッドはずかずかと誰も使っていない厩に入り込
 むと、ジャケットを脱ぎ始めた。マッドの手元にはいつの間にか着替えが準備されている。本当に、
 いつの間に。
  けれどもサンダウンはそんな疑問を呈している暇はなかった。
  ばっさばっさと服を脱いでいくマッドを見て、慌てて視線を逸らす。別に見ていても良いとは思
 うのだが、マッドが良いと言ったとしても、サンダウンの理性が駄目になりそうだ。いや、眼を逸
 らしていても、衣擦れの音が、あらぬ妄想を掻き立てる。それならば厩の外で待っていれば良いの
 だが、やはりサンダウンの中からも、マッドから離れるという選択肢は消えている。
  ばさばさという衣擦れの音に、サンダウンが精神的鍛錬を培っていると、サンダウンのそんな思
 いなど露ほども知らぬマッドが、あー、とか、うー、とか唸り始めた。

 「なあ、キッド。これ、解いてくんねぇ?」

  スカーフが解けねぇ。
  そう強請るマッドの声が可愛かったので、思わずサンダウンはマッドの願いに応えるべく振り返
 ってしまった。何の心の準備もないままに。
  そして、凍りついた。
  そこにいたのは、ジャケットを脱いで、ついでにズボンも脱ぎ去って、太腿を露わにした賞金稼
 ぎだった。日に焼けていないふっくらと形の良い太腿が、嫌でも眼に入る。まして、マッドの生の
 太腿など、サンダウンだって初めて見た。視界に入らないはずがない。

 「すっげぇなんか固くってさー。全然解けねぇから、ちょっとあんたがやって解いてみてくれ……
  ……って、キッドぉ?!」

  うりうりと自分でスカーフの結び目を弄っていたマッドは、それをサンダウンに託そうと顔を上
 げて、声を裏返らせた。
  視線を上げた先では、5000ドルの賞金首が鼻を押さえ、鼻を押さえている手の隙間からは、ぼた
 ぼたと血が溢れているのだ。

 「おい!何があったんだよ!キッド!」

  慌てたマッドが、サンダウンに近付いてくる。もちろん、太腿を出したままで。そして、更に酷
 くなるサンダウンの出血。

 「しっかりしろ、キッドー!」

  マッドがシャツを脱いで、それでサンダウンの鼻を押さえつける。結果、乳首も一緒に見えてし
 まう。というか、下着とスカーフ以外は、ほぼ全裸だ。
  てめぇは俺が撃ち取るんだ、こんな事で死ぬなー!と叫ぶマッドの声を遠くに聞きながら、サン
 ダウンは仄かに香る馬糞の臭いで、辛うじて理性を繋ぎとめていた。