魔法使いの事を考えた。
  その直後に後頭部に、恐ろしい勢いで何かがぶつかってきた。

 「ふおおおお!このおっさん!このおっさんの所為で!」

  叫び声を上げながら、二度三度と後頭部にぶつかってくる物体。
  何事かと思い振り返れば、そこには瓶詰めという、あらゆる生物――天使・悪魔含め――が加工
 された中でも、尤も間抜けな姿をした使い魔が、ふよふよと、これまた間抜けに漂っていた。
  しかも、何か吠えている。
  非常に、シュールで間抜けだ。
  サンダウンは、たった今思い描いていた人物――の使い魔を改めて見やり、心の中で『間抜けだ』
 と繰り返し呟いた。その心の呟きが聞こえていたわけではないだろうが、使い魔はぷかぷかと瓶か
 ら湯気を立てて怒っている。放っておいたら、熱で瓶が割れるのではないだろうか。
  いらぬ心配をしているサンダウンを余所に、使い魔はぷかぷか怒ったままの口調で、サンダウン
 に詰め寄る。勿論、瓶詰めのままだ。

 「おっさん!このヒゲ面の所為で御主人が!」

  全くと言っていいほど言っている意味が分からない。
  サンダウンがぼけっとした表情をしていると、更に激しく瓶から湯気が出る。本当に、割れない
 のか。

 「てめぇ、自分の立場忘れたわけじゃねぇだろうな!自分がみっしりと追いかけられる存在だって
  事忘れてんじゃねぇだろうな!」
 「……お前、マッドから離れて良いのか。」

  あれは怒るだろう。
  何を言っているのか分からない使い魔の瓶詰めに、ひとまずそう言うと、更に湯気が吹き上がっ
 た。ぷしゅーっという音まで聞こえ、瓶が赤くなっているような気がする。

 「ぬおおおお!誰の所為だと!誰の所為だと思ってんだ、このヒゲー!」

  サンダウンは冷静に突っ込んだだけなのに、瓶詰めは再び体当たりをかましてきた。地味に痛い。




 Balmung





  ガンガンとぶつかってきた瓶詰めの使い魔が言うには、こういう事であった。

 「あんたを狙ったアホが、御主人に竜をけし掛けたんだ!このバカバカバカ!あんたが丸焦げにさ
  れたら良かったのに!」
 「……丸焦げになったのか?」
 「なるかよ馬鹿!俺の御主人舐めんなよ!」

     とにかく戻れ、今すぐご主人を助けて身代わりになれと煩い使い魔に折れたわけではないが、自
 分の所為で誰かが丸焦げになるのは流石に心臓に悪い。
  なので、サンダウンは急いで歩いてきた道を引き返す。
  そもそも。
  そもそも、使い魔が来なくとも、サンダウンはマッドの事を考えていた。自分が襲われ、程なく
 したこのタイミングで、マッドが向かった方向で炎と煙が上がった。ならば、マッドの身にも何か、
 と思わぬほうがおかしい。
  だが、こうもぎゃんぎゃんと吠えられると、その気分が萎えるのは、何故か。

 「あー!脚の遅ぇおっさんだな!もっときりきり走れよ!御主人の事が心配じゃねぇのか!てめぇ
  の所為だってのに!」

  吠える瓶が、煩い。

 「御主人はなあ!あんたみたいな薄汚れたおっさんを助けてやるくらいに寛大なんだぞ!この俺に
  だって、本当ならそのまま朽ちてしまいそうなところを、わざわざ瓶の中に入れて保護してくれ
  たんだぞ!」

  なるほど、瓶に詰められているのは、その名残か。
  本当かどうかはともかく、それならばひとまず、瓶に詰められてる理由が分かる。尤も、助ける
 為に瓶に入れたと言う割には、その瓶が非常に薄汚れているのが気になるが。

   「とにかく!元凶であるヒゲのあんたが、御主人の代わりに丸焦げになるべきだ!」

  何故丸焦げにされる事が前提なのか。
  そう心の中だけで突っ込む。もしも口にしたなら、きっと更にややこしい話になるだろう。

 「……それで、マッドは二又の先にある街にいるのか。」
 「他に何処にいるってんだ!」

  てめぇ腑抜てんのか!と叫ぶ使い魔の頭の中には、確認という言葉がすっぽりと抜け落ちている
 らしい。

 「御主人!待っててね!今から薄汚れたヒゲを持って帰るから!」

  そして勝手に話を進めている。
  別に構いはしないが。
  それよりも、さっさとマッドのもとに行くべきだ。サンダウンとしても、自分の所為で誰かが傷
 つくのは本意ではない。
  そう、大体サンダウンだって、使い魔に言われなくても、サンダウンが襲われたこのタイミング
 で、マッドが行った方向で火の手が上がったのなら、自分絡みかと思うだろう。自分の所為でマッ
 ドにも危害が及んでいるのではないかと思う。そして、そちらを確認しに行っただろう。わざわざ
 使い魔なんぞに言われなくても。
  ぶつぶつと思いながら、踵を返して来た道を引き返す。これは別に、使い魔に言われたからでは
 ない。自分が原因で、他の何かが壊れる事を良としないからだ。

 「おい、おっさん!きりきり急げよ!てめぇ御主人が丸焼けになったら承知しねぇぞ!」

  この喧しさに負けたわけでは、決して、ない。

 「それと!言っとくけどな!これはあんたが招いた火の粉なんだからな!だから、御主人を無事助
  けられたとしても、御主人から感謝の言葉なんか貰おうと思うんじゃねぇぞ!まして口付けとか
  抱擁とかなんか、もっての他なんだからな!」

  本当に、この使い魔は何を考えているのだろう。




  マッドは軽く舌打ちした。
  街に並べられた家々の屋根の上に、覆い被さるように翼を広げているのは、一枚一枚の鱗が荒く
 身体を覆っている一頭の竜だ。
  大きさはそれほどではない。それに、鱗の荒さから見ても、決して丁寧に練られたものではない
 だろうし、その事から見ても召喚された本物の竜であるはずもない。
  魔術の一つに、魔力そのものから何か形を練り上げる術がある。
  実際にある物質を練る練金術ではない。術師本人の魔力を、形にする。そう言うと何か大袈裟だ
 が、別にそれほど大したものでもない。魔力を練るくらいなら、駆け出しの魔術師でもできる。
  小さい物を練るにはそれほどの力は掛からない。それが大きく、更に生き物のように自在に動く
 となればなるほど、術師の技とそして何よりも想像力が試される。そう考えると、むしろそれは幻
 術に近いのかもしれない。
  尤も、そんな術についての明確な区分けなどは大した問題ではない。実際に使う側からしてみれ
 ば、幻術も錬金術も、実際の物質に力を加えるか、或いは魔力に力を加えるかの違いくらいで、そ
 れ以外は同じようなものだ。
  ただ、実際の生命と、魔力で作られた生命の形をした物とでは、大きな差があった。
  眼の前で羽ばたく竜は、白に近い黄色をしており、大きさは家一軒程度。皮膜の張ってある鉤爪
 付きの翼を広げても、大通りを覆う程度で、大きさとしては大きくもない。それに鱗の荒さから見
 ても、丁寧に練り上げられたわけでもないようだ。
  ただ、如何せん、これは本物の竜と違い、魔力の塊でしかない故に、臭いや光、痛みなどによる
 怯みが効かない。そういう意味では、ゴーレムなどに近い。圧倒的な力を持って、根底から突き崩
 すしかないのだ。
  此処が街中でさえなかったら。
  マッドは、今にも炎を噴き上げそうな竜の横っ面に、稲光を叩きつけながら苛立つ。
  此処が街中でなければ、マッドとて、さほど苦労しなかっただろう。辺り一面を焼け野が原にし
 ても良いと言うのなら、空を走る稲妻と同じ力を持った電流を、その身体に叩きつけていただろう。
  しかし実際は、未だマッドの周りには逃げ惑う人々がうろつき、少しでも広がりを見せる魔法を
 使えば、それらを巻き込みそうだ。
  それに、マッドには気になっている事がある。
  竜が現れた時、これは異端審問官の仕業かと思った。サンダウンと接触したマッドを始末する為
 に成したのかと。
  だが、よくよく考えてみれば、異端審問官がこんな迂遠な方法をとるはずもない。彼らなら、も
 っと堂々とやってきて、マッドの罪状を読み上げるだろう。それとも、異端審問官の中でも、神の
 力に額ずいて、それを政治に利用している輩の仕業だろうか。表立って行動する事を良としない連
 中の仕業だろうか。
  考えながら、竜が吐き出す熱風を弾き返す。
  きっと、何処かに術師がいる。
  思い、視線を巡らせるのだが、逃げ惑う人々の波が多すぎて、その姿の中から何か一つを見つけ
 出すのは酷く困難だった。まして、竜の気炎を躱し、それから人々を守り、更に一撃を加える隙を
 窺っている状況だ。むしろ、そこで視線を逸らす事は、逆に命取りだった。
  竜の羽ばたき。
  それを、真っ向から受け止める事こそ免れたものの、竜の視線を人々から逸らす為に囮になった
 以上、そこから繰り出される突風から逃げる事はできない。
  一瞬、身体が浮き上がった感触があった。
  と、思う間もなく、地面に叩きつけられる。咄嗟に受け身を取ったが、背骨が軋み、大量の息が
 肺から漏れ出た事は避けられようがない。それと同時に、脳味噌が勢い良く揺さぶられた為、信じ
 られないほど身体が動かなくなっていた。
  砂埃を上げて地面に叩きつけられ、痛みよりも何よりも、ただただ身体が動かない。口の中に砂
 が入るのを感じながら、マッドは歯ぎしりする。
  せめて、あと一分、いや数秒でもあったなら、再び身体は動くだろう。しかし、それよりも先に、
 眼の前に迫る竜の牙が、迫る速度を止めようとしない。
  だが、動けない身体に歯噛みするマッドの耳に聞こえてきたのは、竜の気炎でもなければ、その  顎を開く音でも、唸り声でもなかった。
  動かない身体の代わりに、鋭敏になった耳には、誰かが自分を目指して近付く足音が聞こえてい
 た。